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ダジャレかよ!ナンセンス・ヒロイン『スーパーさん』/ヘンテコスーパーマン②

藤子F先生の読切短編の歴史を少しだけ紐解く。

まずキャリアの最初の頃は、ほとんどが読切短編作品であった。徐々に連載作品も出てくるが、長続きはせず、読切作品を数多く執筆していた時期が続いた。

藤子不二雄として「週刊少年サンデー」にて1959年の創刊号から「海の王子」の連載を始まると、これが2年以上も続く長期連載作品となった。藤子F先生は、この頃から小学館と講談社の子供向け学習誌を中心に、連載の数が急増する。

1965年スタートの「オバケのQ太郎」が大ヒット。「パーマン」「21エモン」「ウメ星デンカ」そして「ドラえもん」と続けざまにヒット作を量産していく。

連載数が増える中で、それまで主戦場としていた読切作品をほとんど書かなくなっていく。書く暇がなかったのかもしれない。

ところが、読切を発表しなくなることは、連載という形式には収まらないアイディアの行き場が失われることを意味していた。浮かんだアイディアを着地させるために、もう一度読切短編を書き始めることになるのは、必然であったのだ。


『スーパーさん』「少女コミック」1968年9月号

本作『スーパーさん』は、藤子F作品の中ではかなりマイナーな作品に分類される。しかしながら、本作は再び読切作品を書き始める、その一作目という非常に重要なポジションの作品なのである。

そうしたバックグラウンドを念頭に、作品を具(つぶさ)にみていく。久々の読切作品ということであるが、これが全く肩の力が入っていないナンセンスコメディなのである。


主人公は、ある日突然スーパーマンとなった女の子、スーパーさん。なぜか作中に名前が出てくることはない。

彼女は横町のスーパーマーケット・やすい堂の娘で、突然ヒーローとなったことで、両親も戸惑う。

「どうしてそんなものになっちまったんだ。親に断りもなく」

まるで不良娘になったかのような言い草である。

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前回の記事で取り上げた『カイケツ小池さん』の小池さん同様、ヒーローになる理由が全くないというパータンであり、藤子F先生らしい展開とも言える。

スーパーマンとなったことで、ご近所中の噂になるのだが、町内会長がやってきて、「スーパーマンは素晴らしい出世であり、活躍すれば店の宣伝にもなる」と助言していく。

スーパーマンでスーパーマーケットの宣伝・・・。ダジャレかよ!と思わずにはいられない。

スーパーマンに詳しいという近所の男の子にギャングや怪獣を倒すのが仕事だと教わり、「スーパーさん」と正式に命名される。

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ところが、ギャングや怪獣を求めて空を飛んでも、当然そんなものは見つからない。暇を持て余していると、さっきの男の子がやってきて、「宣伝が不足している」と指摘する。

では看板を出そうと、スーパーさんは塀に「スーパー・・・」とペンキで描いていくが、間違えて「スーパーマーケットやすい堂」と、自分の家のスーパーの名前を書いてしまう。


先ほどの男の子に、今度はX線眼で犯罪の匂いを探ったら、と言われて試してみると、家の中が素通しに見える。たまたま透視した家では小池さんがラーメンを食べており、それを見たスーパーさんは、中へ入っていってラーメンをご馳走になる。

『カイケツ小池さん』といい、本作といい、小池さんとスーパーマンは、何かと相性がいいようだ。

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X線眼を使って、札束をカバンに詰めて歩いている男を発見する。この男が襲われるのではないかとスーパーさんは思い、男の家の前で悪い奴が来るのを待っていると、いかにも怪しい男が、挙動不審の態度で家の中へと入っていく。

怪しい、犯罪の匂い! 壁をぶち破って助けに入ると、怪しかった男は金持ち男の弟だという。スゴスゴと引き返すと、今度は裏口から、またも強盗のような怪しい風貌の男が周囲を気にしながら入っていく。

今度こそ怪しい、犯罪の匂い! 窓ガラスがぶち割って助けに入ると、今度は金持ち男のいとこだという。「二度と来ないでくれ」と追い返されるスーパーさん。


このままじゃ気が済まないということで、家の様子を伺っていると、ハエが飛び回って、男たちがそれを気にしているようである。そこでスーパーさんは、家に入り込んで代わりにハエをやっつけようと暴れ回り、家中を壊しまくってしまう。

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重ね重ねの迷惑をかけ、お詫びの気持ちになるスーパーさんだったが、そこに警官が現われて、この3人はニセ札作りの犯人だったと明かされる。スーパーさんは、意図しないままにお手柄だったのだ。

彼女の活躍を取材しに、マスコミが集まってくる。スーパーマンになった感想を聞かれると、「スーパー・・・マーケットはやすい堂」と、またも間違えて自分の家のスーパーの名前を答えてしまうのだった。


ところがこの発言によって、やすい堂は大流行。儲かったお金でなんとデパートが建つ。すると、スーパーさんだった彼女は、デパートの娘となったことで・・・、

なんとデッパになった!

「ミーは敏感ざんす。シェー」

と、イヤミのような姿形になってしまう娘。ご丁寧にも(C)フジオプロという著作権表記も添えられている。

僕は最後まで読み進めたところで、結局「ダジャレかよ!」と思わず突っ込んでしまうのだった。。。

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本作が発表されたのが68年9月。この約一年後に『ミノタウロスの皿』を描いて、本格的なSF短編集を発表していくことになる。また、70年1月からは「ドラえもん」の連載が始まり、これがライフワークとなっていく。

考えようによっては、本作を起点にして、ドラえもんとSF短編を並行して描いていくF先生の全盛期が幕を開けたのかもしれない。・・・そうでないかもしれないが。


SF短編の考察、たくさんやってます!


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