自分の信じた道を進め! By藤子『ベロ相うらない大当たり!』 /当たるも八卦当たらぬも②
「当たるも八卦当たらぬも八卦」とはよく言ったもので、八卦(=占い)の信憑性はそれほど高くないということを見事にいい当てた言葉となっている。
類似用語としては、「信じるか信じないかはあなた次第」というものもある・・。
占いは、言って見れば未来予知のようなものだが、その結果がどうだったかまで検証することはほとんどしない。
ノストラダムスの大予言なども、自分の死後の世界を予知しているので、それが外れたからと言って、断罪されることもない。朝のテレビ番組で今日の運勢が悪いと言われても、それが当たったかどうかは誰も判断できない。
要は言ったもん勝ちみたいなところがあるのだ。だからこそ、占いは当たるか当たらないか分からない程度に考えておくのが適切なんだと思うのである。
さて、「当たるも八卦当たらぬも」と題したシリーズ記事の2本目は、「ドラえもん」から一本取り上げたい。「ドラえもん」で占いと言ったら、すぐに浮かぶのはアレ。そう、手相ならぬ「ベロ相」占いである・・。
冒頭、空き地でスネ夫が友人たちの手相を見ている。のび太は少し遠巻きに、「あんなの当たるわけないのに」とぶつくさ言う。すると、空き地の端っこでしょんぼりと座っている男性が、
と同調する。
「変な人」と思うのび太だったが、そこであるアイディアが閃く。それはタイムマシンを使うことらしいのだが・・・。
のび太はタイムマシンでどこかへ行き、戻ってくるとそのまま空き地へ向かう。そこでしずちゃんたちに、「ベロ相」占いをすると言う。その占い結果とは以下であった。
これを聞いたみんなは、当然「いい加減なこと言って」と文句ありあり。
すると、先ほどから空き地の隅で座り込んでいた男性が、ふかしていたタバコの吸い殻をポイと投げ捨てる。まだ火の残る吸い殻は、そのままスネ夫の背中に。「アチャチャー」と叫ぶスネ夫に、のび太は「そうら火難」と冷たく一言。
ジャイアンが慌てて隣家に水を求めて走っていき、女性が持っていた金魚の入った鉢を取る。それをスネ夫ではなく、間違えてしずちゃんに掛けてしまう。のび太は「水難だ」と一言。
そして金魚ごと水を掛けてしまったので、女性がジャイアンに「どうしてくれるんだよ」と絡んでくる。のび太は「これが女難」と一言。のび太のベロ相は、あっと言う間に全て大当たりしたのであった。
すると、その一部始終を見ていた空き地に座っていた男性が、のび太にベロを見せてくる。「恐ろしいほど当たっていた、自分もベロ相を見て欲しい」というのである。
逃げ出そうとするのび太だったが、強引に連れられ男の家へ行く。男の名は元高角三(げんこうかくぞう)。学生の頃から小説を書き続けているが、さっぱり売れないのだと言う。昔ながらの書生のような佇まいである。
元高角三は、ここへきて人生に迷っている様子。いつまでこんなことをしていても仕様がない。仕事を変えようかとも思うが、一度は決意した文学の道も諦めきれないと。一体自分は作家になれるのか否か、占って欲しいというのだ。
元高角三の重た~い悩みを聞いて、仕方なくタイムマシンで未来を見に行くことに。ドラえもんがのび太の行動に気づき、「タイムマシンをそんなことに使ってはいけない」と怒る。
しかし元高角三があまりに気の毒だということで、見込みがあるかどうかだけも見てくることになる。さしあたり5年後の未来へ向かうのび太とドラえもん。
5年後の世界。元高角三は作家として名前が知られている様子は伺えない。彼の家に向かうと、元高が大量の原稿をちり紙交換に出しており、「インスタントラーメンか何かと代えてくれんかね」などとお願いしている。貧乏度が増しているようである。
その姿を見た二人は、今のうちに諦めた方が本人のためだと考える。しかし未来から戻ってきたものの、直接大成しないと告げるのは偲びづらい。躊躇していると、元高角三の方から「作家になれるかね」と聞いてくる。
・・・ダメだと言う事を聞き、元高角三は涙を一粒落とし、「こうなったら商売でも始めて大儲けするか」と強がる。そして、
と言って、「ハハハハハ・・・」とカラ笑いを上げる。その笑い声は、のび太たちが家から出ても聞こえてくる。元高角三の無念が良く伝わってくるシーンである。
ちなみに、元高が語った「男子至る所青山あり」は、「人間至る処青山あり」という言葉を少し変えたもの。
世の中その気になれば、どこでも骨を埋める場所があるという意味で、自分の現在地から離れることを躊躇してはならないというメッセージが込められている。元高がインテリであることをさり気なく示すセリフとも言えるだろう。
さて、では作家を諦めた元高角三は、どんな将来を切り開いていくのだろう。気になったのび太たちは、もう一回5年後の未来へと向かう。周囲の聞き込みでは、元高角三が商売で成功を収めたという証言は出てこない。
そして家に行くと、何と以前に増してボロ家と化している。これは一体どういうことなのか? 元高角三の家に入ると、のび太たちのことは覚えているという。(のび太が成長していないので戸惑う)
のび太たちから占いの結果を聞いたものの、元高角三は結局筆を折ることはできなかったようだ。それどころか、一度は諦めようと思ったことで、逆に自分の生きがいは文学以外にないと分かったのだと言う。
売れなくても構わないと思い至り、アルバイトで食いつないで小説を書き続けたらしく、その結果最近は自分でも満足できる作品が書けるようになったと、元高角三は語る。世の中の評価とは別に、自分自身が優れた小説を書いていることを知っているので満足だというのである。
「そんなものかなあ」とドラえもんたちは腑に落ちないが、この元高角三のセリフは、同じく作家である藤子F先生の思いを強く表現しているのでは?と推察できる。
売れる売れないの前に、まずは自分の作品を信じられるのかどうかか大事だと、藤子先生は、元高角三の言葉を借りて語っているのである。
すると、元高角三の家の外がにわかに騒がしい。新聞社やテレビ局の旗を立てた自動車がたくさん集まってくる。要件を聞くと、なんと元高角三の小説が、文学賞を受賞したというのである。
取材陣に囲まれる元高角三は、まるで狐につままれたような表情を浮かべる。そして多くの出版社からオファーを受ける。自分自身が満足できる作品を作り上げた結果、それが世の中にも受け入れられたのである。
のび太たちは帰り道に今回の件を総括する。
本作のテーマをズバリを語っているシーンである。
のび太が現代に戻ると、ジャイアンに「歌手になれるか占ってくれ」と声を掛けられる。そこでのび太は、「自分の信じた道を歩みたまえ!」と発破を掛け、ジャイアンは大興奮。
それを見たドラえもんは、こればっかりは辞めさせた方が世の中のためじゃないのかと思うのであった。
本作を読むと、占いとか予知みたいな眉唾の言葉を信じずに、自分自身が生み出したものを信じるべきだ、という強いメッセージを受け取ることができる。
その意味で、本作はこれから世に出ていく全クリエイター必見のエピソードだと思うのである。
ドラえもん、徹底考察・・中。
「ドラえもん」『七時に何かがおこる』(初出:みちび機)
「小学五年生」1977年2月号/大全集5巻
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