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不思議に思うためには、現実を知らないと『歯みがきで強くなろう』/単行本未収録幼児向けドラえもん⑥

藤子F先生は児童向け漫画の名手だが、読者層としてもっとも得意だったのは、小学校の中学年~高学年だったのではと考えている。

藤子先生のSF(すこし・ふしぎ)ワールドは、あくまで現実世界がベースにあって、その上にほんの少しの不思議が乗っかってくるイメージとなっている。つまり、現実を知らないと、不思議さを楽しめない構造なのだ。


例えば「空を飛ぶ」という不思議を理解するためには、空を飛べないという現実を知る必要がある。3歳くらいになれば人間が飛べないとわかるかもしれないが、2歳だと理解できない可能性がある。

恐竜が出てきて驚くのは、恐竜が絶滅していることを知っているからである。しかし、絶滅うんぬんを理解していない小さな幼児だと、恐竜を出すまでもなくゾウやライオンで驚くことだろう。

そう考えると、少し不思議を描く藤子作品は、より現実を分かっている読者であるほど楽しめると言えそうだ。なので、小学生で言えば、現実世界への理解が深まる中学年以上の方が、藤子作品をより楽しめるという訳だ。


そうした中、現実世界をまだ良くわかっていない幼児向けの作品では、不思議さの塩梅がとても難しい。

幼児たちにとっては、現実世界でも十分不思議なことだらけなので、「現実+少し不思議」を描くためには、まず幼児たちにとっての現実をきちんと見定めることが重要となる。


そこで、以上の議論を踏まえながら、幼児向けの「少し不思議」とはどういうことかを検証していくが、良くわかるテキストとして、「幼稚園」に掲載された『歯みがきで強くなろう』を詳しく読み込んでみよう。


『歯みがきで強くなろう』
「幼稚園」1970年6月号/大全集18巻

幼稚園生にもなると、自分で歯を磨くのが当たり前となる。けれどまだうまく磨けないのでイライラしてくるし、虫歯になったこともないので歯を磨く意味も理解できていない。

つまり、幼稚園児にとって、歯磨きはとても面倒くさいことなのだが、藤子先生の観察眼は、そうした幼児の些細な気持ちまでもしっかり捉えている。

本作では、歯磨きが面倒くさい、という子供たちにとっての「現実的な気持ち」がまず描かれる。ここで子供たちの心を掴んだ上で、ドラえもんが「すてきな歯ブラシ」をのび太に渡す。

この歯ブラシを使うと、歯が宝石みたいにきれいになったり、何でも噛めるようになるという。

歯磨きなんて面倒なだけで意味が無いと思っている幼児読者にとっては、歯磨きの劇的な効用を示されて、「すこしふしぎ」に感じるのではないだろうか。


「ほんとかな」と半信半疑で歯を磨くのび太だったが、たちまちビックボスもビックリのぴかぴかの歯になる。さっそく「みんなに見せてやろう」と家を飛び出して行くのび太。

外では、ジャイアンがしずちゃんを泣かせている。バットを振りかぶっていて、しずちゃんを今にも殴ろうとしている。園児にして、既に少年行きを命じられそうなDVガキ大将ぶりである。

のび太がここで割って入り、ジャイアンに「お前も殴っちゃうぞ」と脅されるのだが、そこで口を開いてピカピカの歯を見せつけると、あまりの輝きにジャイアンは目をやられてしまって、たまらず逃げ出してしまう。

そしてジャイアンが置いていった物騒なバットを、ばりばりがりがりとかじってしまうのび太。すてきな歯ブラシは、ジャイアン退治に役にたったのである。


さて、ここから少しひねったオチとなるのが、本作の最大の魅力。

のび太が「この歯ブラシのおかげだよ」と自慢すると、しずちゃんは「素敵、ちょっと貸して」と借り受ける。

もしかして、しずちゃんもその歯ブラシを使って間接キッスをしちゃうのかと思いきや、その歯ブラシで靴を磨いてしまうしずちゃん。ついでに近所の犬や猫の歯も磨いたようである。

「本当だ何でもきれいになるわ」と大喜びだが、歯ブラシを靴ブラシやペットの歯ブラシとして使われてはたまったものではない。

一度靴を磨いたブラシを口の中に入れることに躊躇するのび太だったが、「ちゃんと磨きなさい」「せっかくいい歯ブラシをあげたのに」と、ママやドラえもんに責め立てられてしまうのであった。


本作を精読しても良くわかるのだが、幼児向け作品では、藤子先生も非常に気を使ったお話作りをしているように思う。

「歯磨き面倒くさい」という子供たちの「日常」を描き、その上で、歯磨きすることで歯が光ったり、バットをかみ砕けるようになるという「すこしふしぎ」を表現する。

これぞ藤子ワールドといったところだが、少しだけ窮屈な印象を僕などは感じてしまう。藤子ワールド全開とするためには、恐竜を出したり、宇宙に飛び出したりしなくてはならないのだ。

「ドラえもん」において、幼児向け作品が単行本に収録されなかったこと、そもそも幼児向け作品の数は少ないことには、そうしたお話の構造が遠因になっているのだと思われるのである。



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