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路傍の石に私はなりたい『石ころぼうし』他/複数回登場ひみつ道具④

大正~昭和と活躍した作家山本有三の未完の著であり代表作の「路傍の石」。路傍の石とは、そこらに転がっている石のように、居ても居なくても同じもの、というような意味合いで、卑下しているというよりは謙虚さを示すような言葉ではないかと思う。

そこにあるのに、目に入らない存在。「ドラえもん」には、そんな路傍の石に着目したひみつ道具がある。それが「石ころぼうし」である。

姿が消える「透明マント」や「見えなくなる目薬」などは割と常人の発想だが、「石ころぼうし」というアイディアが浮かぶのは、天才の成せるわざとしか思えない。

そんな「石ころぼうし」は、短編で2作品、大長編で2作品に登場している。前稿で取り上げた「山びこ山」のように、登場するごとに若干使い方が変わっていくパターンの道具なので、そのあたりも確認してみよう。


『石ころぼうし』(初出:だれにも気にされない)
「小学六年生」1973年4月号/大全集1巻

本作は「小学六年生」に初登場したお話。読者の年齢が高いことを意識したのか、単純に透明になったりする道具ではないところに、F先生の趣向を感じるのは僕だけだろうか。


冒頭ではのび太が、パパやママやドラえもんに次々と小言を言われて、「もう放っておいてほしい」とキレる。ドラえもんはみんながのび太のことを気にかけているからだと言うが、のび太は見張られていると感じているようだ。

そこで誰にも気にされない機械を求めるのび太。ドラえもんは一瞬の躊躇がありつつも、「石ころぼうし」という帽子を取り出す。これは透明人間になる道具ではなく、見えるけど気にされなくなるものだという。

よく意味の分からないのび太だが、道端に落ちている石ころを誰も目を留めないことと同じだと説明されて一応納得。要は路傍の石になれる道具なのである。


「石ころぼうし」は少し小さめサイズで、無理やり被ることになるのび太。これが後に重大な事件を引き起こす。

帽子を被ったのび太は、ドラえもんに「似合う?」と聞くと、急にドラえもんが他人行儀になる。つい先ほどまで会話をしていたのに、まるでのび太が居なかったことのような態度である

のび太は「返事くらいしろよ」とドラえもんの体を揺らすが、「どうしてひとりでに体が揺れるんだろう」と不思議がっている様子。のび太はここで、既に自分が石ころみたいになったことを意識する。

このあたりを読む限り、「石ころぼうし」を被ると、被った本人の存在が最初から無かったことのような扱いとなることがわかる。物理的な姿が見えなくなるというよりは、概念的に存在しなくなってしまうということのようである。


のび太はこの状況で、「どこで何をしても誰も文句言われない、バンザーイ」と大喜び。パパの前で「勉強止めて遊びに行くよ」と声を掛けても、全く気にされない。ママをくすぐっても、のび太がしたとは露にも思わない。

さらには道路の真ん中で胡坐をかいても誰からも注意を受けない。のび太は「いいなあ」とご満悦である。

さらには、しずちゃんが通りかかり、後について勝手に家にも上がり込む。ところがお風呂に入ることになり、のび太は真っ赤になってここで離脱。服を脱ぎ始めたところでのび太が家を出てしまうのだが、しずちゃんの裸のシーンが登場するのはまだ先のことである。


その後はジャイアンとスネ夫をからかって、野球にも参戦。偶然ホームランを打つのだがもちろん、のび太が打ったとは思われない。そこで帽子を脱いで皆に気付かれようとするのだが、ここでトラブル発生。帽子が脱げないのである。

ここからは「石ころぼうし」のデメリットが次々と発覚。存在を意識されないので、ボールをぶつけられたリ、体当たりされたり、おしっこを掛けられそうになる。

帽子を脱がして欲しいとドラえもんに頼もうとするが、こちらも気付かれない。ママには水を掛けられてしまう。のび太は誰も構ってくれない状況が一生続いたらどうしようと焦り出し、ついには「そんなの嫌だ」と言って号泣する。

・・・すると、水や汗で帽子がふやけて、ポロと石ころぼうしが脱げる。そこでママやパパの目に留まり、また注意を受けるのだが、のび太は「気に掛けられるって嬉しいね」と、安堵するのであった。


『災難予報機』
「小学四年生」1980年7月号/大全集10巻

それは忘れたころにやってくる。「石ころぼうし」再登場はその7年後。本作では前回から少しだけ機能が追加されている。

この作品では「災難予報機」という、何時間以内にどんな災難に遭うかを事前に教えてくれる機械が登場。便利そうな機械に思えるが、災難を知ることができても防ぐことはできないという。

この機械でしずちゃんの災難を調べてみると「ゴキブリに蹴飛ばされる」という意味の分からない予報が出てくる。よく分からないが、ゴキブリからしずちゃんを守らなきゃとのび太とドラえもんは案じる。

そこで「石ころぼうし」を被って、しずちゃんのそばについてて守ろうと考える。これが二度目の登場場面である。


ここでは帽子は二つ用意され、のび太とドラえもんの二人が被る。すると、二人以外からは道ばたの石のように誰にも気にされなくなるのだが、二人は互いに見えているし意思疎通もできる様子。

すなわち、一人が被るとその存在が見えなくなるが、二人で被ると被った人同士は引き続き交流が可能ということになる。これが、二回目の登場で追加確認された事実である。


なお二人でしずちゃんの部屋に入り込み、勝手におやつを食べたりするのだが、そのうちにしずちゃんがお風呂に入ることに。外で待ってた方が良いと言いつつ、もし中で悲鳴が上がったら飛び込むべきだろうなどと会話をしている。

「そんなことにならなきゃいいなあ」などと言いながら、そんなことを期待しているように聞こえる。そしてお風呂からしずちゃんが出てくると、「無事に上がったよ」と少し残念な空気が出ている。こうした雰囲気・感情をマンガで巧みに表現するF先生のテクニックには感心しきりである。

なお、ゴキブリが何者だったのか、についてはてんとう虫コミックスなどでご確認下さい。


二度目の登場では、石ころぼうしを被った人同士は姿も確認できて、会話も普通にできることが判明した。しかしこの設定は、次の登場でひっくり返される。(もしくは機能の変更が加えられる)

それが大長編ドラえもんの『のび太の魔界大冒険』である。詳細は省くが、ここではのび太たち5人が帽子を一斉に被るのだが、互いの存在は確認できた上で、姿だけが見えなくなっている。

また匂いで悪魔に追いかけられるシーンも出てくるので、単純に見えなくなってしまう道具として使われている印象を受ける。

また大長編では『のび太の創世日記』にも登場しているが、この時は『災難予報機』と同様に、帽子を被った者同士はそのまま日常の交流が可能となっている。なので、「魔界大冒険」の時だけがイレギュラーな使い方だと言えるのかもしれない。



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