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非道徳超人『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』/藤子F超能力入門②

【前回の記事のおさらい】
藤子F作品の主人公たちは、超能力を何らかの方法で獲得しているが、それらを使いこなすのには苦労している。
苦労はするが、その能力を自分のためだったり人のために役立てたいと考えており、基本的には超能力の楽しさ(憧れ)を描いている。

前回の記事で、主に超能力への憧れの部分を考察してきたが、その一方で、藤子先生は超能力を使うことの難しさ・怖さについても、しっかり見据えている。

一例を挙げれば、「エスパー魔美」では、エスパーであることが世の中に知られたら、最初はチヤホヤされるだろうが、やがて恐怖の目で見られることになるだろうと予見している。自分とは異なった者を排除する「魔女狩り」が行われてしまうのではないかと。

なので、特別な能力を持ったF世界の住民は、その能力を公にひけらかしたりはしない。パーマンは正体を明かさないし、キテレツは大百科の存在を内緒にする。超能力者として節度を持った面々なのである。


ところが、「SF異色短編」では、そうしたF世界の約束事を大きく揺るがす登場人物たちが出現する。節度を外したキャラクターだったり、非情な世界観を用意したりする。これがF先生の裏芸ともいえる、大人向けSF短編の大きな特徴と言えるだろう。

さて、今回見ていくのは、超能力者が、道徳心や節度や正義感を欠如している人物であったら…、というある種の実験マンガである。非情極まる世界観に是非触れてもらいたい。

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『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』
「S・Fマガジン」1976年1月号/大全集4巻

主人公は小池さん・・・の見た目の、句楽兼人(くらくけんと)。日星商事の「待機室長」という肩書を持ち、たった一人で大部屋に寝そべって新聞を読んだりしている。相当な厄介者らしく、社員の誰もが関わらないようにしている。蛇足だが、句楽の名前は元祖「スーパーマン」の世を忍ぶ仮の姿、クラーク・ケントから取られている。

本作のもう一人の主人公、片山。句楽の同期らしく、昔はざっくばらん飲み明かす間柄であったようだ。そんな片山が、句楽に社内でばったり出くわしてしまい、遊びに来いと誘われる。片山は見るからに戦々恐々としており、句楽が何かヤバい人物であることがプンプンと香る。

家に帰って句楽の家に行くことを奥さんに告げると「バカバカ。だからいつまでたってもヒラなのよ」と非難し、「行かないで」と涙を流す。片山は、「これも運命だ」と諦観し、「あの化け物に逆らったらどういうことになるか」と、泣きつく奥さんを振り切って車で句楽の家へと向かう。

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句楽の家の周辺は戦争でも起きたかのように荒廃している。すると何者かが車の前に飛び出し、それを避けて車を大破させてしまう。「約束の時間を過ぎると、どんなことになるか」と焦って走り出す片山の前に、スーパーマンの格好をした句楽が空から舞い降りてくる。

「私は正義の味方、ウルトラ・スーパー・デラックスマン。善良な人、弱い人、困っている人々を救うため日夜働いているのです」
注)ウルトラ・スーパー・デラックスマンを以降USDと表記します。そういうロゴのスーツも着てますので


どうやら句楽=USDではない、という約束事があるようだ。USDに句楽の家まで送ってもらった片山。するとUSDが言う。

「句楽兼人氏によろしく、さらばさらば。アハハハ、面倒くさい。止めようや。君になら明かしてもいいだろう。実は僕の正体は…ジャアン!!君の友人句楽兼人その人だったのさ。・・・驚かないの?」

と、とんだ茶番なのである。句楽は続けて言う。

「どうせみんな知っているんだろうけど、建前は守らなきゃな。しゃべるとただじゃおかない」

と、とてもヒーローのセリフとは思えない。むしろ悪党そのものなのである。

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句楽と片山は酒を酌み交わし、どうしてUSDになったのか、という話題になる。かいつまんで説明すると、元は平凡なサラリーマン。正義感は強かった。非力だったので現実に悪を見ても知らんぷり。ところがある朝超能力に目覚める。X線眼・怪力・飛行力。超人となった句楽は、正義の味方として、大小の悪党・財政界の黒幕・公害企業までを倒した。

こうして今の世界は平和そのものとなったのだが、句楽は犯罪のニュースが流れると俺が飛んでいくので、報道管制を敷いているのでは、と疑っている。

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正義のヒーローになりたくて、実際なった句楽。しかし彼は徐々に自分の都合のいい様に世の中を捉えていく。正義の軸が個人の見解に移った時点で、ヒーローは、ヒーローではなくなってしまうのである。

そこからは句楽の悪に堕ちたヒーローの姿がたっぷりと描かれる。

TVに出ている可愛い歌手をお茶したいとテレビ局に電話する。彼女のスケジュールなどは一切無視だ。寿司屋に出前を頼むが、お代は負けてもらう。悪い奴は容赦しないということで、虫のいどころによってはグチャグチャに惨殺してしまう。

句楽は言う。

「俺の力は世の不正を正せと神が与えたもうたものだ。その俺に逆らう者はすなわち悪だ。悪を抹殺するのがなぜ悪い!!」

他己的な道徳心を完全に失ってしまっている。


既に人類の敵となったUSDは、警察・機動隊・自衛隊と攻撃されるが、蚊に刺さた程度にもならない。法治国家をトクトクと語る文化人も無視、自分を批判するマスコミも潰す。挙句の果てに、小型核ミサイルを撃ち込まれるが、これも効果が無かった。

ウルトラ・スーパー・デラックス細胞で成り立つUSDは、もはや敵なしとなったのである。そうなると、今度は現状を追認するしかない。政府はUSDなど実在しないと公式発表し、マスコミも沈黙、会社も待機室長というポストを与えて、句楽は見かけ上、平凡なサラリーマンに戻ったのである。

荒唐無稽な展開ながら、「もし道徳心のない超能力者が現れたら」という思考実験を突き詰めた作品となっている。

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句楽の家に、先ほどお茶に呼ばれた可愛い歌手が現われる。お茶にしようと声を掛けると、「お茶なら結構、私に御用ならすぐ済ませて下さい」と、投げやりな返事。「お言葉に甘えて」と、句楽は女を寝室へと連れていく

ここで、F作品ではほとんど見られないベッドシーンが描かれる。女の意思を持った目が凄いインパクトである。

と、そこに句楽に恨みを持った女性が現れて、ハンマーで頭を殴りつける。片山はその女性を連れ出して逃げるが、怒り狂った句楽はUSDに変身して後を追う。

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狂気のUSDは完全に悪役そのものとなっている。善悪の境目がいかに恣意的であるかを指し示す。「女を渡せ、さもないと虫けらどもと同類とみなす」と古い友人の片山に対しても慈悲がない。

片山は覚悟を決めて叫ぶ。

「句楽、貴様は正義の味方なんかじゃない。血に飢えた化け物だ!!」

よくぞ言った、片山。当然USDは怒って攻撃してくる。が、そこで吐血し、句楽は倒れ込む。

吐血の原因は胃ガン。最高の医療を受けたが、ウルトラ・スーパー・デラックスガン細胞の増殖は押さえることができずに、あっという間に句楽は死んでしまうのであった。洒落た終わり方ではある。

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超能力を持って活躍する、そういう憧れは誰もが持つことがあるだろうが、正義の軸を自分自身の感情にしてしまうと、あっという間にヒーローが悪党になってしまう。

これは超能力に限らず、権力でも同じことが言えるだろう。例えば、権力を使って世のため人のために働くことが政治家の使命だが、利己的になってしまうと、自分の言うことを聞かない勢力を、だと認識してしまう。

善悪の判断は、権力者の外側に置かなければ、一部の支援者に向けた権力行使しかしなくなってしまう。

本作は超能力へ畏怖を描いた作品だが、その本質は権力などの力を持った者への畏怖に他ならないのである。


ところで、本作にはベースとなる作品が存在している。句楽氏(小池さん)がいかに非道な「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」となったのかという前日譚のような作品である。タイトルは『カイケツ小池さん」。こちらについては、少し日を置いて記事化させる予定である。

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