商品力・作品力に勝るものは無し?『コマーさる』/CM効果あり?②
映画の宣伝というと、一昔前(30年前?)は嘘ついてなんぼみたいな世界だったという。嘘は言い過ぎだとしても、「全米No.1」等の良くわからん箔付けだったり、「全米が泣いた」的な誇張とか、「5分に1回泣けます」のような煽りは、宣伝には付き物であった。
ところが、SNS時代において、ウソ宣伝はほとんど効果が効かなくなっていると言われている。宣伝で「泣ける」と煽っても、実際のお客様が「泣けない」「宣伝は誇張」というような声をSNSに上げてしまうと、そっちの意見にお客様は引っ張られることになる。
宣伝活動において、まずは人目に付かないことには始まらないので、ある種の煽り(時には炎上)も必要なのだろうが、実際のところ、売りたい作品や商品に、ユーザーを納得させる力がないことには勝負にならないのが、SNS時代の現実であろう。
さて、藤子作品の中からコマーシャル(CM・宣伝)を主題としたお話がいくつか存在しているので、「CM効果あり?」というシリーズ名で数本ピックアップしている。
前回1本目ということで、宣伝とは何ぞやということが実例とともに学ぶことができる「ドラえもん」の『かがみでコマーシャル』を取り上げた。
この作品は広告の効果を語るとともに、下手なやり方は炎上を招くという注意喚起や、良いものはユーザーに届くという商品力の重要性についても読み取ることができる。是非とも広告業界などPR活動に従事している諸氏には一読願いたい作品であった。
本稿では少年SF短編の中から、コマーシャルをテーマとした作品『コマーさる』を取り上げてみたい。タイトルからして、コマーシャルのダジャレとなっているが、実際に商品(作品)と広告宣伝との関係性が理解できるお話となっている。
掲載誌は「こどもの光」というJAグループを母体とする「家の光」から発行している会員の小学生向け雑誌。「キテレツ大百科」や「ドビンソン漂流記」などを連載していたことで藤子ファンには馴染みがある。本作は「キテレツ大百科」が終了してちょうど2年後に掲載された。
本誌のメインとなる読者年齢層は小学校の中学年程度ということで、本作の語り口はだいぶ取っつき易い。ただし、中身としては、大人の鑑賞にも耐えうる奥深いメッセージの込められた作品となっている。
本稿では、本作からF先生の発信・メッセージを読み取っていきたい。
本作の主人公は名も無き平凡な小学生。お小遣いに困って欲しいものが買えないタイプである。本名が一切出てこないので、ここでは「少年」としたい。
少年が今回狙っているのはラジカセ。ラジカセが今の人たちに通用する言葉かわからないが、ラジオカセットレコーダーの略で、僕ら昭和世代の子供の頃の憧れの神器であった。
少年は母親の家事を自主的に手伝い、媚びを売った後でラジカセを買って欲しいと切り出そうとするが、機先を制するがごとく、「ダメよ」と拒絶されてしまう。
少年はラジカセが英会話などに役立つと説得するのだが、どうせサザンオールスターズを録ったり、深夜放送を聞いて夜更かしするんでしょと、少年の思惑を見抜いてしまう。
本作のように藤子作品に「サザンオールスターズ」というような実名が出てくることは珍しいが、1979年当時サザンは「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」と立て続けに大ヒット作を飛ばして、一躍音楽業界のど真ん中に鎮座したバンドであった。
母親からの臨時収入は見込めそうもないので、無駄使いを止めてひたすら貯金して、自力で買うしかない。そうなると、お金のかからない遊びをしなくてはならない。
そこで思いついたのが、漫画家のタマゴの有礼内(うれない)さんの仕事場に出向いて、ただで漫画を読もうという作戦。そして有礼内とは、一生漫画家のタマゴのままを予感させる名前である。
さっそく出向くと快く部屋へと通される。少年は「まことちゃん」の続きを読もうとすると、有礼内から大傑作を書き上げたので読んで欲しいと言われる。表情の曇る少年。ここだけで、普段読まされている有礼内のマンガは面白くないということが表現されている。
ちなみに「まことちゃん」は1979年当時「週刊少年サンデー」で絶賛連載中だった楳図かずお先生の代表作。「グワシ」「なのら」など流行語の宝庫であったが、僕としては突如挿入される気味の悪い表現が恐ろしくて、あまり好きな作品ではなかった。
有礼内は、母親からのプレッシャーで、この作品が雑誌に載らないとマンガを辞めなくてはならないところまで追い込まれているらしい。全てを注ぎ込んだ傑作ということだが、少年は一読して顔を曇らせる。
明らかに駄作と思いつつ、無理やりに「面白い」と言葉を紡ぐ。そんな少年の心の内を理解せぬままに有礼内は気を良くして、雑誌社へと売り込みに出掛けていく。
少年は思う。ラジカセもマンガ原稿も買ってもらえないという悩みは一緒だと。
少年が公園で時間を潰していると、一匹の種別不明なサルがゴミ箱を漁っている。どこかのペットが逃げ出したのだろうか? そしてこのサルがポテトチップスの箱の中身を検めているのだが、少年はその様子を見て、急にそのポテチを自分も欲しくなる。
お菓子屋に駆け込み、無駄使いはしないという決心を吹き飛ばして、ポテトチップスを購入してしまう少年。公園に戻ると、今度はサルがコカコーラの缶の残りを飲もうとしている。
またまた駆けだした少年は、コカコーラも買ってしまう。なぜかこのサルが持っているのを見ると、無性に欲しくなってしまうようである。大人しく家に帰ろうとすると、このサルも一緒に付いてきてしまう。
サルは少年の部屋に入るなり、机の引き出しを開けて、中身を漁り出す。そして少年が欲しがっていたラジカセのチラシを手にして、部屋から飛び出していく。
急に走り込んできたサルに驚く少年の母親。すると、サルが手にしていたラジカセのチラシを見て、「ラジカセを買ってらっしゃい、早く!!」と言って、お金を少年に渡す。
念願のラジカセを聞きながら、少年は状況を整理する。このサルは催眠術による暗示を掛けるのか、念波を放射しているのかわからないが、フラフラと買いたくさせる不思議な魔力を持っている。それはまるで良くできたコマーシャルみたいだと。
さて、雑誌社に赴いていた漫画家のタマゴ・有礼内だが、結果は「否」であった。「明日から仕事を探すよ」と酷く落ち込む有礼内に、少年は「試してみたいことがある」と言って、2~3日原稿を預かることにする。
それは、コマーさるを使って、原稿を漫画誌の編集長を見せようというプランである。さっそく「週刊少年ジャンボ」のビルに向かい、編集長に対して原稿を見せびらかしてこいと、コマーさるに指示を出す。
この時、「いいか一番威張っているのが編集長だ」と少年が告げているが、なんだかトゲのある言い方だなと思った次第。
しばらく待つと、編集者が建物から飛び出してきて、「このまんが是非欲しい!!」と少年に勢いよく申し出る。さっそく有礼内に伝えると、「夢じゃないかしら」と号泣して少年に感謝の意を述べるのであった。
その後、コマーさるのせいで、少年の家では母親が無駄使いの嵐となる。洗濯機を何台も買い、テレビも三台、衣類・家具・ちり紙などを買い漁り、月賦が大変なことになってしまったらしい。
コマーさるは、本能的にチラシなどを持って走り回り、PRしてしまう習性があるようだ。とても、ペットとして飼っておくにはいかないサルである。
さて、物語はここからが本番。
コマーさるのおかげで、毎週の連載を継続できている有礼内だが、単行本化したものの、これが一冊も売れないと言ってしょぼくれている。この時に、有礼内が描いているマンガが「ボサくん」というタイトルであると判明する。いかにも話題にならなそうな題名である。
実際には実力ではなくコマーさるのコマーシャル効果で連載を勝ち取っているので、人気と実力が露わとなる単行本が売れないのは仕方がない。コネ入社の社員がちっとも戦力にならないみたいなものだろうか。違うか。
才能が無いと、再び落ち込んでしまう有礼内に、少年は思い切った手を打つ必要があると判断。そこで、CM効果抜群のプロ野球の球場で、コマーさるにボサくんを手にして走り回らせるアイディアを思いつき、実行してしまう。
1979年当時では、巨人戦などは後楽園球場がいつも満席だったし、テレビ中継などはかなりの視聴率を獲得していた大人気コンテンツ。スタジアムでの広告効果は抜群であったので、少年の思いつきは全く持って理にかなっている。
すると少年の狙い通りに、我先にと町中の老若男女たちがボサくん目当てに書店に集合していく。少年の父親も買いに走っていったし、大挙する中には血相を変えたドラえもんとのび太の姿も見える。
こうしてボサくんの単行本は大ヒット。売り切れ続出で次々と重版が決まっていく。編集部では100万部増刷だと興奮した声が飛び交っている。
ところが有礼内が、自分の本が売れているからさぞかし喜んでいるいるのかと思えば、そうではない。逆におさるさん(コマーシャル)のおかげかと思うと虚しくなると言うのである。そして、
と落ち込む。有礼内は雑誌に載りたい、売れたいとずっと考えていたのだが、コマーシャルの効果でいくら売れても意味がないと悟ったのである。読者に支持されないまま漫画を描くことは本望ではなかったのだ。
そこで有礼内は、最後のチャレンジを試みると言って一念発起。今回の事件をヒントにして、これまでの作風をガラリと変えたギャグマンガを執筆する。
タイトルは「コマーさる」。表紙の絵は、本作のおさるそっくりで、事件をヒントにしたのではなく、そのまんまマンガにしたのでは・・と思えるほど。
書きかけ状態で少年にゲラを手渡し、お世辞抜きの感想を聞きたいと迫る。すると今度は、冒頭の「ボサくん」の時とは違って、熱心に読み耽る少年。読後、すぐに「面白い!!」と声を上げる。表情からして、これは嘘ではなさそうだ。
きっと傑作になると言い添えて少年は帰宅の途につく。有礼内は、「自信が湧いてきた、頑張るぞ」と、これまでにない手応えを感じている様子。有礼内にとって大事なことは、雑誌に載る、単行本が売れるではなく、良い作品を描いて読者に満足してもらうことだと、心から理解したのである。
少年の帰り道。夜空に浮かぶUFOを見る。そして家に帰ると、さるの姿はない。少年は、その日以後、さるを見かけたことはないという。
コマーさるはその役割を終えたということなのだろうか。宇宙人が置き忘れていったのを取り戻しに来たのであろうか。その意味するところは含みを残す。
本作はコマーシャルをテーマとして、本当に重要なことは素晴らしい作品を作ることなんだというメッセージが込められている。逆に言えば、読者を引き付けない作品をいくら宣伝してもダメ、というようにも聞こえる。
もちろん、世の中に出ることも大事で、コマーさるの力がなければ、有礼内は漫画家から足を洗ってしまったかもしれないし、その後の傑作が生まれなかった。本作は、宣伝の有効性も語られているのは間違いない。
いずれにせよ、本作は、僕のようなエンタメコンテンツを売る仕事をしている人間からすれば、かなり真に迫るお話である。ウリかデキか。作品なのか商品なのか。口コミなのか大量露出なのか。色々な問いかけが頭を巡る。
作者の書きたいことと読者の読みたいことの間で葛藤してきた、藤子先生の思いがよーく詰まった作品なのではないだろうか。
SF短編の全作考察しています(目標)。
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