見出し画像

予知する未来がない世界『大予言』/大予言のウソ④

「大予言のウソ」と題して、F作品の中から未来予知がいかに不確かなことかというテーマに沿ったお話を複数検証してきた。

これまでの記事は下記。

これまでの記事で、F先生が「ドラえもん」の出木杉君や「エスパー魔美」の高畑君のセリフを借りて、いかに未来予知が信用できず、予言者がウソくさいかを語ってきたことを取り上げた。

本稿では少しこれまでと趣向が異なる。

3回に渡って「予言は信じられない」というF先生のメッセージを受け取ってきたが、本稿で紹介する『大予言』は、予言を受け取る側、つまり私たちに対する皮肉を利かせた作品となっている。

「なぜ予言は信じるのに、予測は信じないのか」という問いをズバリ投げ込んでくるのである。


『大予言』「S・Fマガジン」1976年5月号

主人公はテレビでも人気の予言者・ノストルタンマという男。エスパー魔美に登場した予言者・銀河王と異なり、見た目も爽やかな裏表も無さそうな人物である。

ただ使っている技はかなりいかがわしく、第三者をトランス状態にして、その口から未来の予測を聞き取るというイタコのようなやり方となっている。何かの暗殺事件を当てたことで脚光を浴び、売れっ子となったようだ。

画像1

いつもの番組収録を終えたノストルタンマは、ディレクターの飲みの誘いを断って、予知の師匠である田呂都(たろと)先生を久しぶりに尋ねることにする。

田呂都はその名の通りタロット占いで有名だった予言者だが、この4、5年ノイローゼだという噂。その原因は、どうやら何か恐ろしい未来を予知してしまったことにあるという。ノストルタンマは、その真相を聞くために田呂都の家に向かう。

家に行くと、奥さんが出迎えてくれる。田呂都は部屋に鍵を掛けて引き籠っているようで、孫のしんいちだけが出入りを許されている。ノストルタンマが部屋に入って、いかにもノイローゼの表情をした田呂都の肩を触ると、突然「ウワアア~ア」と驚きの声を上げて飛び上がる。

明らかに何かに怯えている田呂都に、ノストルタンマは未来予知について「気に病む必要がない、当たらぬも八卦という言葉もある・・・」と、予言者の禁句を口にする。

画像2

何も語ってくれない田呂都に対して、ノストルタンマはいつもテレビでやっている暗示を掛けて真相を聞き出す手段を取ることにする。

催眠術を掛けて、どんな予知をしたのかと尋ねると、田呂都は「何も予知などしていない」と語り出す。

それでは何を先生は怖がっているのであろうか? 田呂都は「知っているくせに」と大声を出したかと思うと、「世界中のみんなが知っている」と泣き出す。そして田呂都は一冊のスクラップブックを本棚から取り出して手渡す。

それは、新聞や週刊誌の切り抜きであった。一体どんな記事なのだろうか。

・エネルギー危機 今世紀中にも石油は枯渇
・複合汚染 蝕まれる人体
・直下型大地震必至
・人口爆発 小氷期接近 世界大飢饉
・核拡散 保有国増大すれば暴発の歯止めなし

そのどれも、近未来を悲劇的に予測した「不都合な真実」であった。

画像3

本作が描かれた70年代後半は、オイルショックを経て右肩上がりの成長神話が途絶え、成長のゆがみである公害問題がクローズアップされ、開発途上国(当時は後進国)を中心に人口が爆発的に増えて来たるべき食糧不足が懸念された時代である。

言ってみれば、破滅的な将来の予測が盛んとなってきていた時代であったのだ。本作は、そういうムードの中で描かれている。


このスクラップを淡々と読むノストルタンマ。田呂都はその様子を見て「拍子抜けしたような顔が怖い」と口にする。そして興奮して叫び出す。

「自分たちの滅亡を予言されて、肝狂わないでいられるみんなが怖い! 有効な対策もないくせに、騒ごうともわめこうともしない世界人類が怖い!」

人々は不確かな未来予知に一喜一憂するくせに、確実性の高い予測については全く反応しない。何とかしなければならないのに、何もしない。そういう人間たちに対して、田呂都は恐怖していたのである。

予知の内容に加えて、未来を正視しない人間に対する恐怖で、田呂都はノイローゼとなってしまっていたのだ。


最後、田呂都が孫のしんいちを抱いて語るセリフに痛烈な皮肉を込められている。

「しんちゃん、お前にはもう予知してあげる未来もないんだよ」

田呂都は、もう予知をできない。なぜなら、このまま無為に人間が過ごせば、必ずや破滅がやってくる。破滅の先には、もう未来などない。だから未来予知の必要も無くなってしまうというものだ。

物凄く絶望的なラストを迎える作品なのであった。


SF短編の考察たくさんやっております。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?