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超高齢化社会・食糧問題を予見した『定年退食』/ディープ&ダーク短編集①

SF(すこしふしぎ)短編の名手・藤子F先生は、数多くの連載を抱えながら、読切短編も100本以上執筆した。それらは二つに大別される。

・少年SF短編
・異色SF短編

この二つの違いは、簡単に言えば少年向けか大人向けかということ。中身というよりは、作品の掲載誌で判別していく。

「ドラえもん」「パーマン」などの日常ギャグマンガのイメージで藤子先生を捉えていた人が、何かの機会で短編に触れて衝撃を受けるというのは一つのパターンとなっている。

なぜ衝撃的かといえば、内容が読み手の想像以上にダークでディープなのである。少年向け・大人向けに関係なく、読者の心の奥底を揺さぶる仕掛けが常に施されている。「面白かった」というような浅い感想を口にさせない圧倒感みたいなものが読後に押し寄せてくる。


藤子F先生はもともと短編の名手で、デビューから多数の読切短編を発表していた。徐々に連載に軸足を移していき、1960年代後半には「オバケのQ太郎」「パーマン」「ウメ星デンカ」「21エモン」と氏を代表する作品を連打して、一つのピークを作り出していた。

しかし、そうした子供向け作品が作者の想定以上に短命で終わってしまう。世の中では青年・大人向けマンガが興隆して、藤子先生の方向性がグラつくことになる。それが1969年の頃だ。

そんな折に、ビックコミックの編集長小西氏から「大人向けで一本書いてみたら」との声が掛かる。ビックコミックは、小学館から1968年に創刊された大人向けのコミック誌で、手塚治虫など名だたる作家を揃えていた。

この依頼に対してF先生は

「冗談じゃない。書けるわけがない。ぼくの絵知っているでしょ。デビュー以来子どもマンガ一筋。骨の髄までお子さまランチなんだから」
(愛蔵版 藤子不二雄 SF全短編 第一巻)

と答えたという。

しかし小西はあの手この手でF先生の創作意欲を掻き立て、一本書かせることに成功する。それが『ミノタウルスの皿』である。この作品についてはいずれ考察をするが、子供向けのタッチそのままに内容がディープなSFファン向けという、その違和感だけでも震えがくる一作だ。

この作品については反響も大きかったようで、

「これが意外に、実に意外に好評でした。自分にもこんな物が書けるのかという、新しいオモチャを手に入れたような喜びがありました」
(愛蔵版 藤子不二雄 SF全短編 第一巻)

と後年語っている。

新しく手に入れたおもちゃ、SF短編。時を同じくして藤子先生最大の大ヒット作となる「ドラえもん」の連載も開始される。藤子先生は、この両端の作品を描くことを「二足の草鞋を履く」と表現している。この二足の草鞋がF先生にとって履き心地が良かったらしく、70年代に入ると歴史に残る傑作が次々と生み出されていくことになるのである。


前置きが長くなったが、これから3回シリーズで「ディープ&ダーク短編集」と題して「ビックコミック」に掲載された初期の頃の異色短編3作を紹介していきたい。1973年9月~1974年9月の一年間に描かれた作品で、同時期に「ドラえもん」を描いていたと同じ作者とは思えない、深く・暗い作品群となっている。

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『定年退食』「ビックコミック増刊 オリジナル号」
1973年9月5日号/大全集1巻

高齢化社会と食糧不足がテーマとなっている。社会派の側面を持つ作品なので、まずは本作が発表された当時、どのような社会状況だったのか確認しておく。

・世界の人口が40億に到達しようとしていた(到達は1974年)
・オイルショックが起こる直前(10月に中東戦争勃発)
・前年から穀物価格が上昇、食糧危機の観測が強まっていた

73年の経済企画庁の「年次世界経済報告」では「過剰から不足へと急変した食料事情」といった食糧危機を煽る報告がされている。

残念ながらこの時僕は生まれていないが、本作執筆当時は、世界人口が急増し、エネルギー資源に限りが見え、世界的な食糧難が予見された、先行きを不安視する空気があったのではないかと想像される。


内容に入っていこう。

まずタイトルが『定年退食』と定年退職のもじりになっている。定年して失うものが職ではなく食ということだ。

時代設定は1973年から見て近未来。食料不足と生産者人口の減少によって国家の存亡に立たされている。定年は一次定年と二次定年とあり、二次定年(75歳)を迎えると年金・医療・食料の配給などの国家からサービスが打ち切られる。

二次定年には特別延長制度があり、毎月の抽選によってその枠に入ることができるが、「天文学的」な倍率であるという。

藤子タッチで明るく描かれているが、立派なディストピアものと考えていいだろう。

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本作の主人公は間もなく二次定年を迎える74歳の老人。名前は明示はされていないが、抽選の申し込み用紙に安彦という文字が読み取れるので、本稿では安彦と呼ぶ。年金などが打ち切られる直前という深刻な立場に追いやられているが、どこか達観したおっとりとした雰囲気を出している。

もう一人の主要人物で狂言回しとなる男が吹山である。安彦と対照的に、吹山は二次定年特別延長の枠にどうしても入りたく、抽選において都市伝説のような技を使ったり、特別枠が減少している点を調べ上げて、役所に抗議をしたりする行動派の男である。

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静と動の老コンビが本作を動かしていくのだが、実はストーリーはそれほど動いていかない。設定・世界観の妙を感じさせるお話となっている。

定年延長枠に入りたいが入れない二人に追い打ちをかけるように、首相である奈良山がテレビ演説を行い、二次定年の年齢引き下げを発表する。それまでの75歳から72歳となり、安彦も吹山も来年を待たずして「定年」となってしまったのである。

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本作の特徴的な設定としては、安彦たちは日常的に節食を心掛け、無理やりご飯を抜いてそれを保存パックにしている点である。「冬に備えなきゃ」と言っているので、この世界では冬季には食料の配給事情が厳くなっていることが伺える。

また、登場人物の大多数が長髪で描かれている点もユニークだ。奈良山首相が相当にロングヘアだが、吹山や公務員の男たち、役所に集う人たちの後ろ髪はやたらと長い。

60年代後半以降、長髪にすることは反逆心の表れであるというカルチャーが存在した。本作ではその状況を反転させて、長髪を「標準」としている。逆に短髪が体制への反抗を表す意味合いになっている。

吹山の孫が登場するが、彼は丸坊主にして「無髪族」を気取っているようだ。こうした価値観の反転をさり気なく挿入している点に注目しておきたい。

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さて、ラストがとても辛辣で、読者の心を容赦なく鷲掴みにする。公園のベンチでやるせなく座る安彦と吹山の目の前に、偶然吹山の孫が彼女を連れて歩いてくる。空いているベンチを探していたようだ。

公園のベンチは男女の逢引きの場として活用されているが、孫は吹山にベンチを開けてくれと要求してくる。「年寄りに席を譲れだと!?」と憤慨する吹山だが、安彦は朗らかに「譲ってやろうよ」とたしなめる。

そしてラスト一頁=一コマ。沈みゆく夕日を背景に、安彦は観念したように語る。

「わしらの席は、もうどこにもないのさ」

爽やかさとブラックさが同時に描写され、ラストに辿り着くや、心が大きく浮沈すること間違いなし。

改めて本作を精読し、今の時代にフィットする社会問題も含め読むべき作品だと強く感じる。現在「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(2)定年退食」などで読めるので、新鮮な驚きに満ちた読後感を是非とも味わってほしい。


最後に蛇足。
本作と設定のアイディアが酷似する「ソイレント・グリーン」というSF映画がある。本作の発表よりも数カ月前に日本公開されているのだが、F先生は執筆後にアイディアが被ったことを知ったと述懐している。

パクリではない!と高らかに主張されていたが、F先生を信じるのが妥当だろう。

なぜなら、最初に本作を取り巻く社会状況を整理したが、そうした環境は世界共通であり、世界中で同じような危機感が醸成されていたはずである。そこから同様のSF的アイディアが生まれることは、むしろ自然だと考えられるのだ。

次稿では、ディープ度、ダーク度がさらに上がる作品を見ていく。


SF短編を多数考察しています。こちらも目次からご覧ください。


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