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のび太、偉大なる預言者となる?『十戒石板』『モーゼステッキ』/私は神さま④

「私は神さま」と題してお届けしている、「もしも自分か神様になったなら」というもしもシリーズ記事の4本目。今回も「ドラえもん」からピックアップしていく。

本稿は、神様になるお話ではなく、旧約聖書の中の偉大な預言者・モーゼ(モーセ)に関わるひみつ道具を用いたお話を取り上げる。

預言者とは、神の意志や言葉を人間の言葉に置き換えて伝える伝道師のことで、神そのものではない。ただしモーゼは、そんな預言者の中でもとりわけ重要な人物であったとされる。

伝承等によれば、モーゼはモーゼ五書を執筆し、エジプトに囚われていたユダヤ人たちを率いてエジプトを出発して、長い年月を経て約束の地へと導く。

その道中では、海を真っ二つに割ってエジプト軍から逃れたり、道中に立ち寄ったシナイ山にて、神より十戒(神と民との契約)が書かれた二枚の石板を授けられたとされる。

荒っぽく言ってしまえば、モーゼはとてもキャラクターの濃い、旧約聖書の主要登場人物なのだ。


本稿で取り上げる作品は、『十戒石板』『モーゼステッキ』の2作品。いずれも出エジプト記に記されたモーゼの奇跡がモチーフとなっている。(もしくは後述するが映画「十戒」がモチーフからも知れない)。

ここで少し興味深いのは、これら2作品が、1983年4月と7月という短期間で描かれていることだ。

さらに付け加えれば、前稿までで見てきた『神さまごっこ』『のび太神さまになる』は、それぞれ1982年7月と1983年4月の作品だった。ほぼ同時期の作品であるし、『のび太神さまになる』は『十戒石板』と同じ月に発表されている。

1982年7月~1983年7月の約一年の間で、「ドラえもん」では、のび太が神様になったり、モーゼの奇跡を起こしたりと、似たようなモチーフの作品を量産していることになる。叶うものなら、この時一体どんな心境があったのか、藤子先生に聞いてみたいものである。


それでは、2作品をザザッと見ていく。

『十戒石板』「小学五年生」1983年4月号/大全集12巻

お話を見ていく前に、実際の十戒とはどんなことが書いてあったか確認してみよう。

①主が唯一の神であること
②偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
③神の名をみだりに唱えてはならないこと
④安息日を守ること
⑤父母を敬うこと
⑥殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
⑦姦淫をしてはいけないこと
⑧盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
⑨隣人について偽証してはいけないこと
⑩隣人の家や財産をむさぼってはいけないこと
 *正教会・聖公会・プロテスタント(ルーテル教会を除く)

カトリック教会・ルーテル教会では、文言が若干変わっているようだが、掲載は割愛する。

シンプルな10の約束ではあるが、「唯一神」しか認めない点や、偶像崇拝の禁止など、キリスト教徒ではない自分としては受け入れがたいものに感じられる。

また、旧約聖書に書かれていることは、キリスト教・ユダヤ教だけでなく、イスラム教にとっても、同じ世界観に中にあることを忘れてはならない。「十戒」から読み取れる宗教観は、世界的には大多数派であることを、しっかりと押さえておきたい。


さて、ドラえもんに話を戻すと、本作はママがだらしない生活を送るのび太に対して、色々な決まり事を定めて、一回破るとお小遣いから10円を引くとお達しを受けるところから始まる。

「残酷だ!!」と泣き叫ぶのび太。そこでドラえもんは、「きまりにはきまりで対抗するか」ということで、「十戒石板」という道具を出す。使い方は、決めたことを石板に掘りつけると、それを破った者に雷が落ちるという過激なもの。全部で10の戒律を書き込める。

例えばということで、

一 のび太の小遣いを減らすな

と掘り、階段をドタドタドタとわざと騒がしく降りていく。「十円減らすわよ」と怒るママだが、そこにはゴロゴロビシャンと雷が落下。容赦なく真っ黒けになるママ


石板の効果がわかったのび太は、ここから調子に乗って、次々と自分に恩恵のある戒めを書いていく。

二 貸した道具を取り返すな

これでドラえもんは、「十戒石板」を取り返せなくなる。その後も

三 のび太をいじめるべからず
四 のび太の悪口を言うな

と書き込んで、ジャイアン・スネ夫・安雄・はる夫に雷を落としていく。

五 のび太の頼みを断るな
六 のび太に噛みつくな

と続けて、のび太は「僕に逆らう者はみなこうなる(雷が落ちる)のだ」と、神様気取り。まあ、いつもの調子と言えばいつものことだが・・。

そして、マンガの中では良く読み取れないが、七・八・九にも自分に都合の良い戒律を書いていったようだ。(「のび太におやつをやれ」「のび太の命令を聞け」というようなことが書かれているものと思われる)


さて、調子に乗ったのび太が辿る道は決まっている。そう、しっぺ返しである。

十戒の一つを残したまま帰宅すると、家の玄関に「夜遊びするべからず」と書かれた張り紙が貼ってある。これにイラつくのび太は、ママが懲りずにきまりを作ったのだと考える。

そして最後の戒律を書き込む・・

十 勝手なきまりを作るな

書き終えたと同時に、ガラガラビシャンと雷がのび太を直撃。今回も容赦なく黒焦げとなるのび太から、ドラえもんは十戒石板を取り戻す。

勝手なきまりを作れる道具に、勝手なきまりを作るなと書き込むと、その書いた本人が撃たれるという、よく考えられたお話なのであった。



『モーゼステッキ』「小学四年生」1983年7月号/大全集

続けて、モーゼの出エジプト記におけるクライマックスをモチーフにしたお話。

エジプトを脱出したモーゼ一行に、背後からエジプト軍が迫ってくる。葦の海に追い詰められるのだが、モーゼが杖を振りかざすと海が真っ二つに割れたとされる。

超大作映画「十戒」では、このシーンが当時最新鋭の特撮技術を駆使して描かれ、凄まじい反響があった。映画大好きな藤子先生も、この「十戒」に影響を受けていることが想像される。


しずちゃんと川でのボート遊びをしていると、スネ夫のラジコンが走ってきて、二人に水をかける。ジャイアンがラジコンを借りて同じようなことをするのだが、操縦が下手で、ボートに直撃させてしまう。

飛沫でずぶぬれとなり、帰ることになる二人。この時しずちゃんが、「おフロに入って着替えなきゃ」と口にしている点には、少し注目しておこう。


家に入る前に、ジャイアン・スネ夫に呼び止められるのび太。ラジコンが川に沈んだのは、ボートを避けなかったのび太のせいだから、川底から取ってこいという、いつもの難癖を付けられる。

この話を聞いたドラえもん。モーゼの杖の逸話をひとしきり語った後、「モーゼステッキ」という道具を取り出す。このステッキのボタンを押すと、目の前の水が二つに分かれる効果を発揮する。

試しに洗面器に水を入れてスイッチを付けると、中の水が割れる。これで川を割って、底を探そうという訳だが、洗面器と川では水のスケールが違いすぎる。


そこでのび太はもう一度実験してみたいと言って、どこでもドアでしずちゃんの家へ。ご存じの通り、どこでもドアでしずちゃんの家を指定すると、大概お風呂に直行する訳だが、今回も案の定入浴中のしずちゃんのもとにドアが開く。

さらに言えば、しずちゃんは、先ほどお風呂に入りたいと言っていたので、それも踏まえてののび太の行動である。キャーと騒ぐしずちゃんに、のび太は「すぐ帰るから」と極めて冷静。

手にしたモーゼステッキのスイッチを押すと、お風呂の水が真っ二つに割れて、しずちゃんの姿が露わになる・・。「大丈夫みたい」とのび太は満足そう。裸を見て喜んだのではないので、これも冷静な反応と言えるのかもしれない。


ということで、ラジコン探しに川へ。ステッキで開いた川底には、ラジコン以外にもゴミが散乱している。「だから川が汚れるんだ」と憤るのび太。それは良かったのだが、空いてない缶ジュースを見つけて飲もうとするのは、少し考えものである。

ラジコンは無事見つかり、スネ夫に戻すと、話の流れでモーゼステッキを取られてしまう。川底にいいものが落ちてないか、探すのだという。

この話を聞いたドラえもんは、「もうじき電池が切れるんだ」という衝撃的な発言をする。川に行くと、川は既に閉じており、スネ夫とジャイアンが溺れている。電池切れが、生命に関わるかなり危険な道具であるようだ・・・。


本作はただ水を二つに割るという道具のお話なのだが、読んでいくと、しずちゃんのお風呂を真っ二つにしたのがハイライトだったような気がする。それは僕のうがち過ぎだろうか・・?



「ドラえもん」考察しています。


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