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二度と戻れない恐怖の世界?『音のない世界』/もしもの世界を見てみよう③

まずは「もしもボックス」登場作品の一覧から。

①『もしもボックス』「小学四年生」1976年1月号
②『もしもボックスで昼ふかし!?』「てれびくん」1976年12月号
③『お金のいらない世界』「小学五年生」1977年1月号
④『あやとり世界』「てれびくん」1977年4月号
⑤『音のない世界』「小学三年生」1977年5月号
⑥『かがみのない世界』「てれびくん」1981年3月号
⑦『大富豪のび太』「小学五年生」1981年7月号
⑧『ねむりの天才のび太』「てれびくん」1982年4月号
⑨『ためしにさようなら』「てれびくん」1983年2月号

本稿では、5作目となる『音のない世界』を取り上げるのだが、リストを見てもらえばわかるように、本作までの半年間で4作品も「もしも~の世界」を描いている。この時期に、いかに藤子先生が凝っていたか、アイディアが沸き上がっていたかがわかるというものだ。


ここで僕が注目しておきたいのは、「もしもボックス」という大いなる野望を達成できそうなひみつ道具を用意しながらも、登場させるもしも世界は、あくまでのび太目線の矮小な動機に留まっている点である。

例えば一作目の「羽根つきとたこ揚げのない世界」を作る動機は「お正月の遊びが下手くそなのでこの世から消したい」という、非常に子供じみたものだった。

三作目『お金のいらない世界』では、もっと深掘りができそうな設定だったが、のび太の目的はプラモデルが欲しいということだけ。


ここから見えてくることは、「ドラえもん」における「もしもの世界」は、あくまでのび太(=小学生)が望む世界という、他のひみつ道具と何ら違わない徹底した子供目線に立ち続けているということである。

本来なら、壮大な「もしも世界」を実験したいはずの藤子先生だが、「ドラえもん」においては、きちんと子供の欲求に応えた作品からはみ出さないのである。

もっとも、「大長編」となった時には、その枠からはみ出していくのだが・・。


『音のない世界』
「小学三年生」1977年5月号/大全集8巻

本作で描かれる「もしもの世界」は、これまでの中でもは最も壮大な「音がない世界」である。SF的に広がりがありそうなテーマで、一本の長編が作れてしまいそうなアイディアに思える。

実際、映画「クワイエット・プレイス」シリーズは、音を出してはいけない世界という設定で、かなりグレードの高いホラーSF作品となっている。一本のハリウッド映画が作れてしまうアイディアなのだ。

ところが、本作における「音のない世界」は、なぜこの世界を欲したのかという動機、展開、結末まで、徹頭徹尾バカバカしい。もっと広がりそうなテーマを、あくまでのび太目線の範囲内に留めておけることが、逆に素晴らしいと感服する一本となっている。


冒頭、ドラえもんが寝転がっているのび太に「風が爽やかだよ」と言って窓を開けようとする。のび太は「わっ、やめて」と顔色を変える。間に合わずドラえもんが窓を開けると、「ボエ~」という恐ろしい歌声が流れ入ってくる。

「今日は風向きが悪くて、ジャイアンの歌がここまで流れてくるんだ」

気が狂わんばかりのドラえもんとのび太。「あの声を長く聞いていると命にかかわる」殺人的な歌声なのである。

風に乗ってきた歌声だけで目を回してしまう迫力だとすると、もはや町中の公害である。相当なクレームが郷田家に届いてもおかしくはない。

ちなみに本作の描かれた1976年前後は、ジャイアンの歌に関する悲惨なエピソードが連発していた時期である。ジャイアンの歌については、ずっと先になるが、大々的にシリーズ記事を作る予定なので、宜しければ気長に待っていてもらいたい。


ジャイアンが普段にも増して歌声を響かせているのは、近くリサイタルを準備しているからに他ならない。のび太とドラえもんは、命の危機でもあるジャイアンリサイタルを何とかしなくては、と思い悩む。

すると、のび太が「そうだ」と何かを閃いたようである。


そして、いきなりリサイタルの当日がやってくる。学校が引けて、ジャイアンはいつものリサイタル会場である空き地に、大々的な看板と聴衆が座る木箱をセッティングしている。看板には、

「ジャイアン心の友 天才歌手郷田武 リサイタル会場」

と書かれている。自分から天才と言ってしまうのが、自分本位のジャイアンらしいところ。ジャイアンは、皆に言って欲しいことを自分から口にしてしまう悪い癖があるのだ。

3時から始まるということで、「みんな来いよ、来ないと酷いぞ」とのび太・スネ夫・しずちゃんをにこやかに脅すジャイアン。「楽しみだなあ」と冷や汗をかきながら対応する3人。

その場を離れると、「今から寒気がしてきた」と生気を失う面々。


のび太は帰宅後、ドラえもんに「こないだの計画通り・・」と声を掛ける。「よしきた」と言って出した道具は「もしもボックス」。のび太とドラえもんはボックスに入り、「もしも音がなかったら・・・」と受話器に告げる。ジリリリンと鳴り響くベルの音。

のび太たちは、音の無い世界を作り出して、ジャイアンの歌声から逃れようという作戦を描いていたのである。音が無ければ、歌声もない。リサイタルは当然不可能だろうが、果たしてどのようなことになっているのか?


ここから、まずは「音のない世界」についての説明エピソードが描かれていく。

音がないのでしゃべっても聞こえない。なので、筆談がこの世界の主なコミュニケーションツールとなる。

のび太は安心してリサイタルの3時まで昼寝をすることに。そこへママがやってきて「のびちゃん」と書いた紙を出す。のび太は昼寝中なので気が付かない。ママは「のび太!!」と大きな字で起こそうとする。

この世界では目覚まし時計なども機能しないだろうから、起きるのも起こすのも一苦労なのだ。


のび太は起きだして、「何?」と聞く(もちろん紙で)。するとママは次々といつもの小言を紙に書き出していく。「もっとしっかり勉強しなさい」という紙に対して、「勉強」が何て字かと尋ねるのび太。怒りに輪をかけたママは「べんきょうしないからよめないのです」と全部平仮名で注意する。

結果的に何十枚にも及ぶ量の説教を受けてしまうのび太。この世界では、紙が膨大に必要となりそうである。


町へと出ていくのび太。音がないので真夜中のように静かである。気持ちが休まると思った瞬間、後ろから車にぶつけられそうになる。

ここを読むと、車のエンジン音は、歩行者の身を護るためにも必要なのだと気づかされる。個人的には、エンジン音がやたら静かなプリウスを初めてみた時のことを思い出す。


注意深く歩いていると、前から先生が歩いてくる。そのまま通過しようとすると、「挨拶を忘れるな」と注意書きを出される。この世界では紙と鉛筆は必携道具なのである。

のび太は先生から紙とペンを渡され、誤字たっぷりに「こんにちわ」と書いて、全直しとなって0点を付けられてしまう。読む能力・書く能力が、現実の世界以上に重視される世の中であるようだ。

のび太はこの世界はあまり良くないと思い始める。のび太はどの世界でも生きずらいようである。


空き地へと向かうと、途中でしずちゃんがしょげている。歌を聞くのが怖いのだという。音がないのに聞こえることを怖がっているわけだが、それはどういう了見なのか。。

「聞こえないから平気だよ」としずちゃんを連れて、リサイタル会場へと向かうのび太。確かにその通りだと思うのだが・・。


リサイタル会場では、ここが音がない世界とは思えないように、ステージが組み立てられ、ジャイアンが上がる。「待ってました」「パチパチ」と、掛け声や拍手まで紙に書き出される

変わっていることと言えば、ジャイアンの後ろに大きなホワイトボートが設置されていることだ。そして、リサイタルが始まるのだが、何とジャイアンはホワイトボードに、歌いながら文字を書いていく。

「おいらの愛は~」

と書かれた文字を見て、のび太とドラえもんはオエ~と吐き気を催す。何と何と、酷い歌は字を見ただけで寒気を催すものなのである。

この世界では、声の違いで聞き手の印象が変わるように、文字の違いで読み手の感情を揺さぶることがあるようだ。


のび太はここで妙案を思いつく。眼鏡を外してしまえば、近眼なのでジャイアンの歌を読むことができなくなる。ところが、いつもは自分の歌を聞いてくれない人間を許せないジャイアン。この世界では、ジャイアンの歌を「見ない」ことを酷く咎められてしまう。

ジャイアンは「やい!!」と紙を出してのび太の胸ぐらを掴み、のび太は「ばれたか」と紙に書いて突き出す。ジャイアンはのび太をボカボカと殴り続け、のび太は逃げていく。

「いたいいたい」「ゆるして」「ひ~」「ごめん」「ギャア」と叫び声を書きながら・・・。


本作はここでエンドとなるが、実は忘れてはならないことがある。それはこの後、もう一度「もしもボックス」を使って「もしもの世界」から元の世界に戻らなくてはならないということ。

戻る際には、「元に戻れ」と受話器に話しかけなくてはならない。が、この世界は音が出ないために、受話器に声を吹き込むことができないのだ。つまり、普通に考えれば、元の世界に戻ることができないのである!!


ここからは頭の体操。果たしてのび太たちはどのように元の世界に戻っていったのだろうか。

一つに考えられるのは、「のび太の魔界大冒険」のように、ドラミちゃんに未来から来てもらって元の世界に戻してもらうことである。これは有力。

もう一つ考えられるのは、「もしもボックス」はあくまで実験の道具なので、有効期間があるのではないか、ということである。

本作より前の「もしもボックス」登場回では、「もしも○○の世界になったらと実験できる道具」だと紹介されている。実験には、思いもよらない出来事が起こることはままある。よって、危機回避のために一定期間経つと、元の世界に戻れる機能が付いているの可能性があるのではないか。

強制的に戻れる機能が付いているからこそ、安心して「もしもボックス」が使えるのではないだろうか。・・・そんな風に僕は考えたりしている。


さて、もう一つ余談。本作はこれまでの長いドラえもんのアニメ史の中で、一度もTV放送されたことのないエピソードである。その理由は、音のない世界を映像化した場合に、それはほとんど放送事故と同義となってしまうからに他ならない。

無音の世界は映像に不向きなのだ。しかし、そうしたお話があっても良いような気がする。是非とも実験的に、本作をアニメ化して欲しいと強く思う次第である。



「ドラえもん」考察幅広くやっています。


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