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結局のび太はどの時代でも花が咲けない『石器時代の王さまに』/石器時代の物語①

古典的な学説によれば、人類が石を加工して道具としてきた時代を「石器時代」と呼ぶ。この後、青銅器時代、鉄器時代と進み、農耕を中心とした社会が発展していく。

石器時代も、打製石器を使っていた「旧石器時代」、磨製石器を使い出した「新石器時代」に区分される。

世界各地を一様に区分けできないが、概ね石器時代の始まりは今から約200万年前とされている。青銅器時代は、エジプトなどでは紀元前3世紀あたりがスタートと言われる。

よって、石器時代は200万年前から6000年前くらいとざっくり考えておきたい。

我が国では、縄文時代は採取・狩猟中心の社会であり、ここがいわゆる石器時代に区分される。弥生時代に入ると、大陸から青銅器と鉄器が同時に輸入されたので、青銅器時代を飛び越して一気に鉄器時代が到来した。ざっくり、縄文時代=本格的な稲作が始まる前までを「石器時代」と理解してよいだろう。


藤子作品では、タイムマシンを使って石器時代へと向かうお話がある。すなわち、藤子2大タイムマシーンものである「ドラえもん」と「T・Pぼん」において、石器時代のお話がいくつか存在している。

そこで、「石器時代の物語」と題して、それらを紹介していきたい。まずは、「ドラえもん」の有名作から始めてみよう。


『石器時代の王さまに』(初出:大むかし)
「小学三年生」1971年10月号/大全集2巻

「ドラえもん」の初期作品にはタイムマシンを使ったお話が割と多め。のび太のパパの少年時代を訪ねてみたり、江戸時代のご先祖様に会いにいったり、恐竜をハントしに行ったりしている。

その中で本作は、初めて原始時代を舞台にしたお話であり、かつ初めてのび太が一人で過去を目指す展開となっている。筋書きとしては、のび太が現代の文明の利器を石器時代の住民たちに見せつけて、その世界の神様になろうと企むのだが・・・、というオーソドックスタイプではある。

また本作では、原始時代ののび太・ジャイアン・スネ夫・しずちゃんのご先祖様たちがこぞって登場する。その意味ではドラえもん史においても重要な一作と言えるかもしれない。


珍しく読書しているのび太。「大むかしの人びと」という図鑑のような本を読み、「これだっ、僕にぴったりの時代!」と嬉しそう。

のび太が読んでいたのは石器時代の人々の暮らしの部分らしく、のび太曰く「人間がサルみたいな暮らしをしていて、電灯・自動車・飛行機など便利なものを何ひとつ知らない」と何だか上から目線

そして、そこへ便利グッズをのび太が持ち込んで、色々と教えてやるんだと意気込む。具体的には、
①マッチでシュッと火を起こす
②暗闇で懐中電灯を点ける
③ラジオでロックを聞かせる

などして、みんなを驚かせて、王様になろうと言うのである。今の時代ではのび太はみんなからバカにされているので、その意趣返しを石器時代で実行しようという企みなのである。

ドラえもんはのび太の話を聞きながら「そう、うまくいくかね」と懐疑的。のび太は「ドラえもんはついてこなくていいよ、王様は一人でたくさんさ」と言うことで、単独タイムマシンに乗りこんで、10万年前へと遡る。


タイムマシン空間を抜け出ると、のび太は「僕の世界だ」と声高らか。文明を持たない人間たちは生まれたての赤ん坊同然ということで、のび太は「色々と教えて導いてやるんだ」と意気揚々なのである。

さらに続けて、相手はゴリラみたいなやつらかもしれないが、愛情をもって優しく近づけば、きっと懐いてくれると考える。

もう「ドラえもん」読者なら理解していると思うが、こうしたのび太の自信満々な様子は、この後の反転の壮大な前振りとなっている。


さて、この10万年前のこの時代、人口は今とは比べ物にならないくらい少なかったに違いない。のび太は歩き回るがさっぱり石器時代の人々に出会えず、段々嫌になっていく。ついには「あほらしくなった」とやる気を失い、帰ろうとするのだが、「タイムマシン」の出口を見失ってしまってしまう。

ここで「道を聞こうにも交番もない」と狼狽えるのび太。現代人の知性を発揮するのではなく、現代人のひ弱さを醸し出している。この先の嫌な展開を予感させるひと言である。


のび太はつまずいて川に落ちて流される。水に飲まれるのび太を救ったのは、意外にも原始人の家族である。この中で一家の子供はどう見てもスネ夫のご先祖といった顔つき。原始人一家は、のび太を猿か人間か区別が付かないようで、「人間にしては間の抜けた顔をしている」などと評価されてしまう。

目を覚ましたのび太が原始人に話しかけると、当然言葉が通じず、逆にサルだと思われてしまう。晩のおかずになどと検討されるが、スネ夫そっくりの子供、スネルがペットにするということで、のび太は一命を取り留める。

そんなやりとりが行われているとは露知らず、言葉を理解できないのび太は、「僕のことを尊敬しているのは確かだ」と何の根拠もない自信を見せる。


スネルに縄を首にかけられ、ペットと化したのび太。「王様になるんだぞ、こんなことしていいのか」と必死に抵抗するも、ズルズルと引っ張られてしまいボロボロに。そして、川で魚とりをしている友人たちの前に連れて行く。

そこには、どう見てもしずちゃん、ジャイアン、そしてのび太の石器時代のご先祖様たちだと思われる子供たちがいる。のび太の先祖と思われる男の子だけはなぜか素っ裸。石器時代からのび太は間抜けな扱いのようである。


のび太は採ったばかりの魚を食べなと渡されるが、そんなもの食べられるかいと言って、現代から持ってきた風呂敷を開く。取り出したのは缶詰。食べて驚くなと得意満面なのび太だが、お約束のように缶切りを忘れて中身を見せつけることは不可能・・。

原始人たちが火を起こそうとしているのを見たのび太が、尊敬させるチャンスとばかりにマッチを取り出す。ところが、これまたお約束通りにしけっていて、火が点かない。川に落ちて濡れてしまったのである。

この缶切り忘れと濡れたマッチについては、だいぶ先の事になるが、『のび太の結婚前夜』でも同じ失態を繰り返すことになる。

さらにラジオを取り出し「魔法の箱」だと強調するのだが、この時代にはラジオ放送など流れているはずもなく、「ただの箱」となり下がる。さらには、懐中電灯も電池切れ、トランプの手品はタネを忘れてしまっている。

あまりの準備不足、認識不足がたたり、のび太は王様どころか、サル以下の存在となってしまうのである。「なんにもすることなあい」と叫ぶのび太は、たまらず縄を解いてその場から逃げ出す。


すると、とことん運の悪いのび太は、逃げていく先で巨大なマンモスの鼻に巻かれて捕まってしまう。マンモスはそのまま、原始時代のしずちゃんたちを追い駆けてくる。

子供たちがマンモスに襲われていることを知った大人の原始人たちは、石槍などで戦おうとするが、全く歯が立たない。マンモスはのび太を巻き付けた鼻で、原始人たちを振り払っていく。


絶体絶命のピンチ。すると、ビビッとどこからか光線が飛んできて、マンモスに衝撃を与える。そしてのび太を放して、そのままズシンと倒れ込む。

少し離れた丘の上に、ドラえもんが光線銃を構えて立っている。マンモスを倒したのは、のび太が心配で見に来ていたドラえもんだったのである。

すると、マンモスを一打ちに倒したと原始人たちが集まってくる。離れ業を目の前で見せられて、ドラえもんを神様だと崇めたてる。のび太が願っていた神様だと尊敬されたのは、ドラえもんの方であった。

石器時代の人々に肉やら果物やらを差し出され、神様だと崇拝されるドラえもん。ご満悦なドラえもんに対して、さっぱり役立たずだったのび太は「もう、帰ろうよ」と文句を言うのみであった。


現代において、普段から友だちなどにこっ酷くバカにされているのび太。環境を変える意味でも、石器時代にタイムトラベルして、文明人の優位性を発揮して神様になろうと考える。

ここではないどこかで花咲かそうと考える気持ちはわからないでもないが、結局終わってみれば、原始時代であっても現地人にバカにされてしまう。

文明の利器が無ければ、逆に石器時代などでは現代人はひ弱さが目立ってしまう。そんな皮肉めいた視点も垣間見れる作品かもしれない。



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