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聞き心地の良い嘘は中毒になる『うそつきかがみ』/藤子Fの嘘つき物語①

少しだけ「ウソ」について考えてみたい。

まず大前提として、これまで生きてきて、「ウソ」をついたことがない人はいないだろう。もし自分がそうだと言う人がいるとしたら、それこそウソつきである。

幼稚園の年長くらいになれば、子供はウソをつき始めるし、思春期の頃はウソやハッタリだらけだし、大人になってもウソをつき続ける人はいる。


僕自身を振り返っても、今さらウソだと言い出せないようなウソも数多く口にしてきたし、ウソをウソで上塗りして身動きが取れなくなったこともある。ウソがきっかけで怒鳴られたこともあるし、思わずウソついた自分に嫌悪したこともある。

その一方で、人にウソをつかれることも多い。明らかにウソと分かることを言われて眉をひそめることあるし、ウソにウソだと切り込んで、言った言わないの喧嘩に発展したこともある。

ウソをついたり、つかれたりして、人間は生きていくものなのだ。


そんな風に考えた時に、物語の世界でも「ウソ」は大きなキーワードの一つとなっていることに気がつく。

古くはイソップ童話の「オオカミ少年」や「金の斧銀の斧」のようなウソと教訓を絡めるパターンがあり、日本昔話や落語などでは「ホラ」を笑い飛ばすお話がある。

刑事コロンボ」のようなウソをついた犯人を追い詰めていく刑事ドラマがあったり、映画「スティング」のような騙し合いモノもエンタメの定番ジャンルとなっている。いわゆるキラキラ系の恋愛・青春ドラマやコミックでも、「嘘から始まる恋」系の話は無数にある。

ウソという日常を彩る心理的な小道具が、物語作りにおいてとても有効的だと言えるだろう。


藤子作品でも、多くのエピソードで「ウソ」が物語をドライブさせる役割を担っている。例えば「ドラえもん」などでは、スネ夫のウソで右往左往する話があったり、ウソをつくとそれが本当になるひみつ道具が複数存在する。四月バカをテーマにした作品も多いし、「SF短編」などでもウソをメインテーマとするお話がある。

そこで、「藤子Fの嘘つき物語」と題して、いくつかの「ウソ」をテーマとした作品を取り上げていきたい。何本かの「嘘つき物語」を通じて、ウソとストーリーテリングの関係を考察できればいいと思う。


本稿では、まずはウソの代表作となる作品から。

「ドラえもん」『うそつきかがみ』
「小学四年生」1971年4月号/大全集1巻

いきなり一コマ目から、のび太がメタな発言を行う。突然、ハンサムに書き込まれたのび太の顔が写し出され、のび太は驚きの声をあげている。曰く、

「今まで、僕の顔は漫画みたいだと思っていたけど、こ、これがほんとに僕だろうか?」

漫画の世界の住人は、自分の顔のことを漫画のような顔だと認識するものらしい。


のび太は鏡に映し出されたハンサム顔を見て、喜びを隠せない。自分が「世界一の美男子なのでは」と言葉にした瞬間、鏡がしゃべり出す。

「そうです。あなた様は世界一なのです。私は真実を映し真実を語ります」

鏡が話し出したことに驚いていると、ドラえもんが部屋に入ってきて、鏡をポケットへとしまい込む。この鏡は「うそつきかがみ」と言って、あまり見ない方がいい道具らしい。

ちなみに「うそつきかがみ」を出しっ放しにしていたドラえもんが、何の要件で使用したのかは不明。本作の扉絵のように、胴長・長足の自分の姿を映し出してうっとりしていたのだろうか。

ドラもうっとり


のび太は、鏡が言ったことがお世辞とは思えない。あれこそ真実の姿だと言い聞かせる。そしてもう一度鏡が見たいと、半ば禁断症状に陥っていく。

ここで分かることは、聞き心地の良い嘘はクセになるということだ。褒め殺しという言葉があるように、本当かどうかは別として褒めまくると、相手はすっかり喜んでしまって、こちらの言うことを聞くようになるのだ。


するとそこへ、一階からガチャンという音。ドラえもんが一人ボウリングをして、鏡台のガラスを派手に割ってしまったのである。

なぜ一人でボーリングを・・?と、少々ご都合主義的な疑問を感じつつ、のび太は、怒るママとドラえもんの間に割って入り、「ドラえもんに悪気がない」と言って取り繕う。そして、「代わりにあの鏡を出しな」と、「うそつきかがみ」を要求する。


さっそくママは「うそつきかがみ」を見て、鏡に映った自らの美貌に驚く。すかさず「奥様は世界一の美人です」と鏡が合いの手を入れると、「そうかもねえ」とウットリしてしまうママ。

そして鏡は畳みかけるように、悪魔の囁きをする。

「それで、髪をちょんまげになされば、さらに素敵です」

「うそつきかがみ」は、嘘の美貌を映し出し、「世界一美しい」という流言で自らの虜とさせて、全くイケてない姿に誘導させることが真の目的なのであった。嘘は時として、人を操ることができるのだ。

ただそれにしても、うそつきかがみは誰得の道具なのだろうか? 有効な活用法は、まだ良くわかっていない。


ママが美容院にちょんまげを作りに出かけた隙に、のび太は鏡を自分の部屋へと持っていく。部屋に鍵を閉めて、鏡に向かって問う。

「鏡よ鏡。世界中で一番美しいのは誰かしら」

これはグリム童話の「白雪姫」からの有名なセリフの引用。「オオカミ少年」といい、やたらと嘘絡みの話がイソップ童話には多いようだ。


鏡の答えを聞いて、「やっぱり」と破顔するのび太だが、すぐに「何で今まで誰も言ってくれなかったのか」と我に返る。そこへすかさず鏡は「目立たないからです」と注釈を入れ、「表情を工夫するだけで一段とハンサムになれる」と言い出す。

これはいわゆるウソの上塗りとも言える手口。矢継ぎ早にウソを発信して、疑問を差し挟む余裕を奪ってしまおうという鏡の作戦である。

ウソをつき続ける人がいる一方で、ウソに疑問を持たずに信じ込む人がいる。本作は、そんな人間の縮図を浮かび上がらせる(大袈裟)。


うそつきかがみに言葉巧みに誘導され、髪をボサボサにして目を互い違いにさせるのび太。

「マジックセメント」という道具で粉々に割れた鏡台の修理を終えたドラえもんの所に、グチャグチャな顔ののび太が現われる。驚いたドラえもんは、鏡を見るように言う。

すると本当の鏡に映った不細工な自分を見たのび太は逆ギレ。ボウリング玉で直ったばかりの鏡を割ってしまう。ドラえもんは「うそつきかがみ」を返せと迫るが、「ネズミ!」だとウソをついて、鏡を持ち去ってしまうのび太。


のび太は誰にも邪魔されない裏山(?)にうそつきかがみを持ち込み、鏡の美辞麗句に酔い、うっとりと自分を眺める。かがみは、「いつも本当の事しか申しません」と神妙な物言い。

のび太はもう一度「変顔」となって、しずちゃんに見せようと言って山を降りていく。すると、ちょうど鏡の近くで一人バレーボールの練習をしていたしずちゃんが、偶然うそつきかがみを覗き込んでしまう。

すると、まるで少女漫画のキャラクターのような姿が映し出される。しずちゃんファンにはたまらない可愛さである。

すぐに鏡の虜となってしまったしずちゃんは、のび太と同じように、自分の言うことを聞けば世界一の美しさになれるというかがみの「ウソ」に騙され、凄まじい変顔にさせられてしまう。

しずちゃんファンには見るも耐えられない醜さである。


ちなみにこの少女漫画タッチのしずちゃんは、藤子先生ではなく、当時アシスタントをしていた志村みどりさんの絵柄である。志村さんは、『ロボ子が愛してる』のロボ子や、『白ゆりのような女の子』のパパの想い出の女の子(のび太)を描いたことでも知られている。

しずちゃんファン悲喜こもごも


しずちゃんも誰かにこの美貌を見せようと変顔のまま町へ行くが、そこで同じく不細工なのび太と遭遇し、二人は共に大笑い。互いに「笑うなんて失礼だ」と非難するのだが、ここは騙されていると気がつく最後のチャンスであった

結局二人は、「一人で鏡を見ている方が楽しい」と言って、かがみの元へと戻っていく。

そして夜。みんなのママが集まって大騒ぎをしている。子供たちが集団で帰ってこないのである。ドラえもんは、「さては!」とうそつきかがみを仕業を疑う。


山では、いつの間にかスネ夫やジャイアンたちも合流し、連れ立ってうっとり鏡を眺めている。かがみは、「あなたがたみんな世界一」とウソを吐き続けている。それは、もはやウソつきのレベルではなく、人々を洗脳する悪徳宗教家のようであった。

ドラえもんは、うそつきかがみを皆から引きはがす。そして、

「調子の良いことばっかり言って人を騙して!! 壊してやる」

と、空からかがみを落とそうとする。「ごめんよう」と謝り、反省を促されるかがみ。


鏡の中毒症状に陥っているのび太が、ヨロヨロと家に戻ってくる。再びかがみを見ることのできたのび太だったが、反省した鏡は「本当はこんな顔です」と、酷いいたずら書きのようなのび太を映し出す。

本物と違うという意味ではこれもウソ・・。やっぱり「うそつきかがみ」はウソつきのままなのであった。

さて、ウソを巡るお話は、まだまだ序の口。さらに次稿では別の嘘つき物語を解説する。



「ドラえもん」考察盛りたくさん。


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