愛情が奪われる世界『間引き』/ディープ&ダーク短編集③
「ディープ&ダーク短編集」と題して藤子F先生が、1973年9月~1974年9月の1年間に「ビックコミック」に発表した異色短編を紹介するシリーズ。本稿はその最終回。
第一弾と第二弾の記事はこちら。共に力作なので、お暇なら是非ご一読下さい。
『定年退職』は世界的な人口爆発と食糧不足という社会情勢を踏まえた作品。『コロリころげた木の根っこ』は当時に「みんなのうた」でリバイバルされた童謡「待ちぼうけ」をヒントに描いた復讐劇。
作品のきっかけは身近にあることだが、その料理法がやはり人と違う。子供向けマンガの枠を外れて、F先生の眠っていた凶暴な才能が露になった印象を持つ。
本稿で見ていく『間引き』も、当時の社会問題を発端に、藤子先生ならではのSF的味付けを施したブラックな後味の作品となっている。
『間引き』
「ビックコミック」1974年9月10日号
本作はTVでもダークな作品として取り上げられたこともある。
本作でまずは特筆したいのが、世の中に表出した現象を大風呂敷を広げたSF設定に取り込んでしまう想像力のスケールの大きさである。しかも「そんなバカな」と思うような設定を、「いやそうかもしれない」と思わせる画力・構成力がある。
壮大さとリアルさが異色短編の特色であり、それによってラストの衝撃が強まるように思われる。
お話のテーマは人口爆発・コインロッカーベイビー・人間の倫理の欠如、等を組み合わせたものである。
人口爆発については、『定年退職』でも詳しく書いたが、本作が描かれた1974年は世界の人口が40億を超えた年である。近く世界的な食糧難も予測され、破滅的な未来が想像される空気があった。本作は人口が45億に到達する間近の昭和55年(1979年)という時代設定にしている。
コインロッカーベイビーについては、少しだけ情報を補足しておく必要がある。今でも時々あるのかもしれないが、本作執筆時の1973年前後には日本中の駅のコインロッカーに新生児が遺棄される事件が頻出した。模倣犯続出で社会問題化し、コインロッカーベイビーと呼ばれるようになる。
本作の舞台は明示されていないものの、実景とセリフから新宿西口地下のコインロッカーではないかと思われる。新宿西口地下のコインロッカーと言えば、実際に1972年に新生児遺棄事件が起こっており、これに本作がヒントを得ている可能性が高い。
当時藤子先生は新宿から小田急線で自宅に帰っており、新宿西口地下はよく通る馴染みの立地であった。想像ではあるが、通勤路の目と鼻の先での子供が捨てられて死んでしまうという事件が、F先生にインパクトを残したのではないだろうか。
そしてF先生は、考えたはずである。なぜこのような事件が起きてしまうのか、と。
実際は、未婚の母の生きずらさなど、やむにやまれぬ事情があったのかもしれない。けれど藤子先生は、そうした現実的な面から一歩引いて、増えすぎた人間自身の人口制御機能が原因であるという、壮大なお話に仕立て上げた。そしてこの嘘を、見事に本当のことのように思わせる。
藤子先生の語り口の妙を堪能しつつ、内容を簡単に追ってみたい。
主人公はコインロッカーの管理人。近頃妻の態度が冷たくなったのが大いなる不満だ。
冒頭は、仕事に向かう朝、妻との言い争いから始まる。妻が弁当を作ってくれないので求めると、「いるの?」と冷たい反応。「働いているんだぞ」と文句を言うと「一日座っているだけでしょ」とさらに冷たく返す。そして、渋々「ほれ」と紙包み一つ渡される対応に、男は腹が立って仕方がない。
この世界では増えすぎた人口による食糧難から食券による配給制度が導入されていて、人々は常に腹を空かせているのである。
男はロッカールームに着くと、まずは臭いを嗅いで回る。これはコインロッカーが流行していた当時、腐臭から赤ちゃんの遺棄が発覚するケースが多かったことを踏まえた行動である。
男は「もう鼻もきかんよ」と独り言ちており、遺棄事件が頻発していることが伝わってくる。
仕事場に着いて、最近の妻の態度にイライラしていると、「週刊朝目」編集部の木地角三という記者が現われ、赤ん坊遺棄の現場写真を撮って記事を書くので、コインロッカーの一日取材をさせてくれと依頼していくる。
捨てる瞬間を押さえるのは困難だと話していると、突然コインロッカールームで刺殺事件が発生する。犯人は逃走、管理人が通報して警察がやってくるが、動機は不明。近頃は理由なき殺人が増えているのだという。
流れ出した血を淡々とモップで片付ける管理人。「余計な仕事が増えて腹が減る」というセリフから、もはや流血の掃除も馴れっこの様子である。
記者木地角三が食事に出て、自分も妻からもらった弁当を食べようとすると、渡された包みの中はカップラーメンが一個。「確かにあいつは変わった」と、妻にはうんざりの男。
そこへ、保険のセールスレディがやってくる。新発売の「カロリー保険」の案内であった。「カロリー保険」は、被保険者が死んだ場合、今後摂取されたであろうカロリーの三分の一を遺族に食券で渡すという商品である。それに対して、
「知ったことかよ、俺が死んだ後の食い扶持なんて!」
ときっぱり断りを入れる管理人の男。もはや夫婦の愛情はゼロである。
そこへ記者が戻ってきて、座り来んで赤ん坊殺しについての、個人的見解を述べ始める。まずは事実の部分の要点を下記にまとめてみる。
<事実>
・カギは人口爆発。年2%の増加率で増えるが、食料の増産が追い付かない
・動物はどの科であっても全体個数の上限があるという説がある
・有史以来絶滅を逃れている動物は年間の増加率がゼロに近い
・種は総数を調節する機能があって食物連鎖に組み込まれている
・連鎖が破れて絶滅した例に、アリゾナ州のシカの話がある
・人類も誕生以来百万年近く、人口増殖率は0.001%だった
・調節機能だった戦争・疫病などを払いのけた結果、現在の増殖率は2%
ここまでの話を聞いて、管理人の男は「コインロッカーが人口抑制の手段として使われるという話なのか」と結論を先回りする。記者は「そうではない」と答える。赤ん坊殺しは、あくまで氷山の一角であると。
すると、そのタイミングでロッカーに赤ん坊を捨てようとしている学生の姿が見えて、記者が現場を押さえようと追いかける。ところが、これはおとり。男がゴタゴタしている間に注意を引きつけて、女が赤ん坊を捨てる作戦である。
管理人はその手口は百も承知で、記者が学生に詰め寄っている間に、相手の女学生を捕まえる。捕まった女は、
「この赤ん坊二人で作ったんだよ。誰の世話にもなっちゃいない。自分のものを自分が捨てて悪いのかよ!!」
と逆切れ。赤ん坊への愛情が一切感じられないのである。
この騒動を見て、記者は自分の説が正しかったと確信する。そして記者の持論が説明される。こちらもまとめておこう。
<持論>
・近頃の社会現象から、母性愛を始めあらゆる愛情が消滅しつつある
・生命の絶対尊重という道徳の基盤がひっくり返りつつある
・「愛」は種の存続のための一機能に過ぎない
・自然の摂理・大いなる宇宙意志の介入で「愛」が取り払われた
・今後憎しみ合いが激しくなり、効率の良い「間引き」が行われる
・適当な人口まで減った時に人類は、愛を取り戻せるかもしれない
持論を語り尽くし、満足して去っていく記者。
殺伐とした気持ちのまま一人残された管理人の元に妻がやってくる。遅くなったので夜食を持ってきたというのである。思わぬ妻の優しさを久しぶりに感じて、泣いて喜ぶ男。そして、作ってきてくれたおにぎりにかぶりつく。
すると、町全体にサイレンが鳴り出す。45億人到達を知らせるためだという。サイレンの中、男はおにぎりをポトリと落として、その場に倒れ込む。そこには青酸カリが混入されていたのだ。当然、妻の仕業である。
「ごめんね。今日あなたをカロリー保険に入れたのよ。だってお腹がすいてしようが無かったんだもの」
ズルズルと男を引っ張っていく妻。
「うまくロッカーに入るといいけど・・・」
「間引き」が行われるだろうという記者の推論は、あっさりと証明されたのであった。
3回に渡って、ディープでダークでヘビーなSF作品群を紹介した。どれもこれもズシンとくるが、このような作品はまだまだ存在する。少しづつ切り口を変えながら、記事にしていきたいと思う。
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