満月と早期退職と安楽死「中年スーパーマン佐江内氏」『名月や』/中秋の名月②
僕の生まれた実家では、十五夜、お月見の夜になると子供たちが各家庭を巡って、お菓子を貰うという風習があった。今では少子化・過疎化で失われてしまったようだが、これが毎年の楽しみだった。
大人になって上京して、このお月見の風習のことを話すと、ほとんどの人はポカーンとなった。同じような体験をしている人が全くいなかったのである。
ハロウィンのパクりじゃないか、という人もいた。でも僕の子供の頃はハロウィンという言葉は全く定着していなかった。ハロウィンの風習よりも、お月見の方が先だと今でも考えている。
今ではネットが普及してくれたおかげで、地元の風習についてすぐに検索することができる。ネットによれば、「お月見どろぼう」と呼ばれる、主に農村部に伝わっている風習であるという。
そんな名称があるとは知らなかったが、子供の頃のイベントのおかげで、今でもお月見と聞くと、心がザワザワするのである。
さて本稿は「中秋の名月」にちなんだ藤子作品を紹介するその第二弾。前回の記事はこちらでした。
本稿では「中年スーパーマン佐江内氏」という、悲哀たっぷりな中年サラリーマンが、スーパーマンになって活躍するお話から、一本取り上げる。
ただし、あらかじめ書いておくと、本作においては、佐江内はほとんど何も活躍しない。一人の人間を自殺を食い止めたようにも思えるが、おそらく佐江内が関与しなくても死ななかっただろう。
本作は、事件解決ものというよりは、中年男性の生きざまを考えるという、だいぶん風変わりな物語なのである。
なお、「中年スーパーマン佐江内氏」とは何たるかについては、下記の記事を参照いただきたい。
佐江内の会社。社員たちは昼休みを思い思い過ごしている。佐江内はパチパチと計算機で何かを一生懸命に計算している。遠巻きには仕事をしているようにも見える。
後輩となる男性二人が、佐江内のすぐ近くで「早期退職制度」の話題を繰り広げている。曰く、これからの国際市場で勝ち抜くためには、ぜい肉となっている部分を落として体質改善を図るべきという。終身雇用制度を見直し、だぶついている中高年層に道を譲ってもらいたいと熱弁している。
そこまで話してきて、佐江内の存在に気がつき、言葉を慎む二人。そして1時となり、昼休みの時間は終わりとなる。
佐江内が熱心に計算していたのは、早期退職制度に伴う、退職金優遇措置の金額を元に、会社を辞めた場合・再就職した場合のシュミレーションをしていたのだ。
なお、本作が描かれたは1978年。今から40年以上前の日本とは思えないほどに現代的な話題が繰り広げられている。この時から「終身雇用」「国際市場」などという単語が飛び交っていることに驚きを感じる。
日本では、主にサラリーマン社会において、同じような課題をずっと持ち続けているのである。
佐江内はあまりに不確定要素が多いので、計算を途中で止めてしまう。早期退職制度の導入までにはまだ少し時間が残されている。
窓から夜空を眺めると、真ん丸のお月様。今晩は十五夜である。佐江内はスーパーマンのスーツを着て、冷蔵庫からビールとつまみを少々持ち出して、フラリと夜空へと飛び立っていく。
空き地の多い郊外まで飛んでいく。そして虫の音が聞こえてくる原っぱへと降り立つ。そこは以前から佐江内が着目していたススキの原であった。が、すぐ近くにはユンボーが一台止まっている。開発の波はこの原っぱにも及んでいるのだ。
ススキの原と開発というテーマは、前稿での「エスパー魔美」『虫のしらせ』でも描かれている。藤子先生は、虫の声と月の光を楽しめる風景が少しずつ都会から失われていることに、ある種の万感が込められているように思う。
佐江内が何のひねりもない句を詠みつつ缶ビールを楽しんでいると、困っている者からの念波を感じる。雰囲気を壊されと思いつつ、念波の元へと飛んでいくと、「痛い、苦しい、死ぬ」とのた打ち回る男性がいる。
男の近くには鋭利な刃物。傷害事件かと思いきや、男性自身が自殺をしようとして、誤って耳たぶを刺してしまったのだ。心臓と耳たぶではだいぶ距離があり、本気で自殺をしようとしていたのかは甚だ疑問だが・・・。
倒れていた男は、佐江内よりは年上の初老の男性。名残の月見ということで、酒も肴も存分に用意されている。佐江内を誘って、二人でのお月見が始まる。
ここから5ページに渡って、老人の人生が語られ、人生に絶望した視点から世相を斬り込んでいく。本作のメインテーマの部分ではあるが、ほぼ会話のみで進行していくので、ざっくりと箇条書きで紹介していきたい。
ここまでの話を聞いて、佐江内も自分のことを考え出す。
佐江内の愚痴を聞いて、元社長はすっかり斜に構えた意見を述べる。
話が目先の会社の話題から、地球規模の人類の危機にまで広がっていくのだが、特に後半の部分は、70年代に藤子先生が量産していた「異色SF短編」で描かれそうなディストピアな世界観を披露している。
元社長の話は佳境へと差し掛かる。彼の自殺の理由とは、踏みしめるべき大地を失った恐怖、宙ぶらりんの恐怖から逃れるためだという。
ここまで聞いている中で、佐江内はグビグビと日本酒を飲んで、かなり酔いが回っていた。さらにガブガブグイグイとコップを空にして、自分が間違っていたと言って立ち上がる。
もう自殺を止めない。いっそのこと殺して差し上げますと、男が持っていた包丁を手にする。そしてそのまま男を追いかけ回す佐江内。男は、偉そうに自殺する理由を語っていたが、実際には血を見るのが怖くなっているのだった。
男は佐江内から、「だったらシメますか」と言われて首を絞められたり、根っこから引っこ抜いた木を振り回されたりする。佐江内はその内に酔いつぶれて眠ってしまい、男は「わし・・・気が変わった」と言って、フラフラとその場から立ち去ってしまう。
佐江内は酔った勢いで人を殺そうとして、逆に自殺を踏み留めさせたのである。(最初から自殺できそうもなかったが)
翌朝。佐江内はいつの間にか家に帰ったようで、自室の布団で起き上がる。頭がガンガンして、完全な二日酔いのようだ。奥さんには「肩叩きなんてされないようにしっかりしてくださいよ」と声を掛けられて見送られる。
佐江内はスーパーマンになって出社する。
いくら人生足掻いても、社会全体が変わってしまえば、一個人ではどうしようもないこともある。かと言って、そのまま時代に流されていても、光明は見えない。
ベストを尽くす。そのあたりが、実際的な中年サラリーマンの落としどころなのだろう。すっかり中年となった自分自身の気持ちにピッタリと寄り添ってくれる作品であった。
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