『いけにえ』を「英雄」と言い換える社会/藤子Fの未知との遭遇②

今年に入って、浅野いにおの漫画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」略して「デデデデ」がアニメ映画化されて、二部作で公開となった。

原作もアニメも、そこかしこに藤子F作品へのオマージュが捧げられており、藤子Fファンであれば、本筋とは関係ない部分でも楽しめる作品であろう。

藤子マニアを自称しておきながら、僕は本作の映画を見るまで「デデデデ」が、藤子ワールドを意識した作品だとは知らなかった。何ともお恥ずかしい限りである。

「デデデデ」と藤子作品の関連性については、丸々一本の記事では収まらないほどに考察しがいがあるが、ここでは割愛する。(原稿料貰えるなら書いてもいいけど・・・って冗談です)

一点だけ言えば、「デデデデ」の設定は、とある藤子先生のSF短編からアイディアを拝借している。『いけにえ』という作品である。

『いけにえ』では、突然強大なUFOが地球に飛来して、東京の真上で静止する。宇宙人たちの来訪の目的は不明で、そのまま何事も起きずに時が過ぎ、都市の人々もUFOの存在を気にしなくなる。

「デデデデ」では、最初にUFOとの交戦があったという設定になっているので、完全に『いけにえ』と同じという訳ではない。

また、そもそも『いけにえ』自体が、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり(Childhood's End)」のアイディアを変化させたものなので、「デデデデ」が「いけにえ」だけを参考にしたお話ということでもない。

「何を考えているかわからない宇宙人」というアイディア自体は、SFとしては割とありふれたものと言えそうである。

ちなみに藤子先生のSF短編には、「幼年期の終わり」の邦題を拝借した『老年期の終わり』という傑作も存在する。こちらは内容というよりはタイトルのいただきであるが、いずれにせよ藤子先生がクラークのSF小説を愛読していたことはよくわかる。


また、本作『いけにえ』を書くきっかけとして、本作の2年前に公開されたスピルバーグ監督の映画「未知との遭遇」の影響があったものと考えられる。突如人類の前にUFOが現れるという展開や、光り輝くUFOのビジュアル面などに共通点を感じる。

ちなみに、「未知との遭遇」公開タイミングで、「ドラえもん」の『未知とのそうぐう機』という作品が発表されている。こちらは内容面ではなく、タイトルを頂戴した形となっている。



『いけにえ』
「漫画アクション増刊スーパー・フィクション4」
1980年4月29日号/大全集3巻

大都会・東京の上空に、巨大なUFOが浮かんでいる。UFOは眩いほどに光り輝いており、夜ともなれば、町のどこからでもその姿を確認できる。否が応でも目立つ存在だが、意外なほどに町行く人々はUFOを気にかけない。すっかり日常に異様な光景が溶け込んでしまっているようだ。

少々小太り気味でぱっとしない風貌の男が、そんなUFOに見とれている。隣に連れそう女の子が、男に「早く帰ろうよ」と声を掛ける。

ここで、男の口からUFOについての現状が語られる。
①おととしの暮れからずっとUFOがいる
②国連調査委員会が呼びかけても応答なし

続けて、男は仮説を立てる。本当は何かUFOから途方もない要求があったが、発表するとパニックになるから当局が抑えているのではないか、というもの。

女の子の方は「宇宙人の気持ちなんてわかるわけないでしょ」と、無関心に等しい反応をする。このセリフには、早くも本作のテーマが端的に表現されているのだが、この時点では少々気づきにくい。


すると突然、主人公の男に黒づくめの男性二人が掴みかかり、車に乗せて連れ去ろうとする。女の子は驚いて周囲に助けを求めるが、誰もいない。ところが、発進した車がすぐにエンストしてしまい、男は事なきを得る。

突然の誘拐と、誘拐未遂を食らった男だが、「万年浪人の僕なんかさらってどうしようというんだ」ということで、あまり深刻に受け止めない。女の子も「それもそうね」とあっさり同意する。

何か事件の匂いがするところだが、自分たちが深刻な事件に絡むわけがないと考えている。それほどに平凡な人間であるという自覚があるというわけだ。


二人は久しぶりのデートを終えて、それぞれ帰宅することになるのだが、男の方はもう少し仲良くなりたいと考えており、アパートへ寄っていかないかと女の子を誘う。そこで女の子は、

「そんなこといえる身分? まず入試を突破して、卒業して就職してから・・・ね。それまでは勉強、勉強」

と丁重に男の申し出を断り、ほっぺに優しくキスをする。女の子はこの男性に対して好意があることは明らかだが、「万年浪人生」である男に、まずは自立する力を付けてもらいたいと考えているのである。

ちなみにこの男女の関係性は、本作の二年後に発表されるSF短編『親子とりかえばや』でも使われている。


さてここで、登場人物名を明らかにしておきたい。

何年も浪人をしている男の名は、池仁平(いけにへい)。どう考えても「いけにえ」となるべき名前だが、その点は後ほどギャグ的に補足が入る。女の子の名はミキである。


池仁平がアパートに戻ると、部屋の中に男性が忍び込んでいる。男は朝売新聞社会部記者の浅田瓜男と名乗る。池仁平の顔を見て、「かわいそうになあ・・」と気になる呟きをする。

なぜ新聞記者が、一介の浪人生の部屋などに忍び込んだかは謎だが、さらになぜか池仁平に向けてUFOについての「特ダネ」を語りだす。

・巨大なUFOは母船で、中に小型のUFOを何台も収納している
・ここ何十年間に世界各国で目撃されたUFOは、この母船から送り出された小型UFOだった
・小型UFOが僻地の核ミサイル基地に出現したので迎撃を試みたが無傷だった
・最近、中国とイスラエルが核実験をしたが、爆心地にUFOがいて、これも無傷であった
・エベレストが登頂禁止となったが、その理由はUFOからの一条の光線で山頂が消されてしまったから
・宇宙人サイドは、かけ離れた力を誇示した上で、総理大臣直通の電話に、流暢な日本語でとある要求を突き付けた。

なお、上の話の中で、中国とイスラエルの核実験について触れているが、イスラエルが初めて核実験に成功したのが1979年9月のこと。本作の約半年前のことである。中国は70年代にはもう何度も核実験を繰り返していた。


浅田記者の「特ダネ」は続く。

宇宙人からの要求とは、とある地球人一人を貰うだけで大人しく立ち去るというものだった。その目的は、地球訪問の記念品か食料にするためか、まるで見当つかない。で、その不幸な地球人というのが、池仁平なのだという。

突然名指しされて「冗談じゃない!!なんで僕なんかが」と取り乱す池仁平。「僕に聞かれても困る」と浅田は答えるが、彼は池仁平を救い出そうと考えているらしい。

既に各国首脳との間に緊急極秘連絡が取られ、池仁平の引き渡しは決定しているという。しかし、「一個の生命は地球より重い」と浅田は言う。

この件が公になれば、アムネスティなどの人権団体が黙っていないはず。世論を盛り上げて池仁平を救うべく、その準備をする間、しばらく知人の別荘に匿うという。


突然降りかかってきた池仁平の受難。なぜ自分なのか、自分を連れ去って何をするつもりなのか。相手が宇宙人なので、さっぱり意図がわからない。浅田記者も「推測しても無駄だろう」と言って、宇宙人の真意までは深追いしない。

池仁平は浅田の車で山奥の別荘まで送り届けられる、隠れ家と引き換えに「宇宙人の魔手を逃れて」という日記を書けと言われる。記者の目的は、ただの人命救助だけではなかったということだ。


一週間経ち、食糧の在庫も心細くなってきたが、記者はまだ一度も顔を出してこない。入試直前なのに、勉強道具を持ってこなかったことを悔やむ池仁平。

すると入口の扉の下の隙間に今朝の新聞が置かれている。中を開くと、浅田瓜男が泥酔の上誤って用水に転落して水死したという記事がある。とても偶然とは思えず、青ざめる池仁平。

その瞬間、ドアが開き男たちが入ってくる。官僚風のリーダー格の男が、「仕方が無かったんだ、彼が知りすぎたんだよ」と、浅田の死が仕組まれたことであることを語る。

男たちに成すすべなく捕まってしまう池仁平。「いけにえなんてまっぴらだ」と騒ぐが、官僚風の男は「同情します。総理も衷心からよろしく頼むと・・・」と、総理直下の、政府の人間であることを明らかにする。

池仁平は、浅田に言われた言葉を借りて「一個の生命は地球より重いんだぞ!!」と怒鳴るが、逆に「その地球に何十億個の生命が存在してると思うかね」と逆襲されてしまう。

政府の考えでは、「いけにえ」とは、少数の人間の人権と引き換えに、その他の人々の人権を守るための施策であるということだ。いわば一人の犠牲の上で大勢の人間を救う「トロッコ問題」のようなものである。

ただし「いけにえ」では聞こえが悪いので、官僚は「英雄」になってくださいと、池仁平に語っている。特攻隊に向けた「お国のために」に似た言葉のように聞こえる。


ここからは、無事に池仁平をいけにえとして宇宙人に提供したい政府側と、それに対して必死に抵抗する池仁平の対立が描かれていく。

大役なのだから体力をつけてもらわなきゃということで、ご馳走をたっぷりと用意するのだが、「太らせて宇宙人の餌にしようたって、そうはいかない」と抵抗する。ハンガー・ストライキ(飢え死に作戦)である。

池仁平を何とか懐柔しようと、国連事務総長から池に対して世界栄誉賞を贈り、主要都市に銅像を建て、殉難の日を世界の祝日に定めるという連絡があったと告げるのだが、フンと言って相手にしない。


意外にも諦めの悪い池仁平に対して、次なる刺客・神父さんを送り込む。

コミュニケーション上手な神父は、池仁平から自分の置かれた境遇についての不満を聞き出し、それに対して一つ一つ丁寧に答えを用意する。

池は「なんで宇宙人が僕なんかに目を付けたか納得できない」と言うと、神父は「宇宙人の意図をあれこれ推測することは無意味で不可能だ」と答える。

ミキちゃんや浅田記者も同様な意見を述べていたが、改めて本作のテーマを語っていることになる。

池は「国民を守るべき国家が、僕をいけにえにしようとしていることが悔しい」と告げる。そして憲法25条の「生存権」を引いて、僕には健康で文化的な生活を送る権利があるんだと主張する。

対する神父は「保障や権利などは幻想です」とぶった切る。人間の存在そのものが宇宙の片隅のカビみたいなもので、非力な人間の権利など保障できないというのである。

ここでの池と神父の議論は、図らずも近代以降の憲法が積み上げてきた人間の尊厳とは、砂上の楼閣の上に立っているに過ぎないという事実をあぶりだす。

「いえにえ」などという行為は前近代的な野蛮な考え方であったはずだが、人知を超えた存在を目にしたり、とてつもない非常事態に陥った時には、あっという間にその思想が蘇ってしまう。

「人権」を守り抜くことがいかに難しいということ、権力者は容易に人権を踏みにじるということが、本作のやりとりから浮かび上がっていく仕掛けとなっている。


ここまでうまく池の不満を反らす方向に話を進めていた神父だったが、どこか饒舌になりすぎたようで、池に対して「あなたが羨ましい、あなたは神に選ばれたのですよ」と、殉教者になることを誇りに思え的な発言をする。

すかさず池は「そんなに羨ましけりゃ、代わろうか」と神父に凄む。全く反論できない神父を池は殴りつけて、その場から逃げ出そうとするが、あえなく捕まってしまう。


政府の男に、池を明日引き渡すことになったと連絡が入る。池は荒れる一方で、「宇宙人と刺し違える」と口走るようになり、政府の人間も事態を深刻に捉える。

そこへ、池に対して好意を抱いている女性(ミキ)の存在がリークされる。

そして早速ミキが別荘へと送り込まれ、二人は再会を果たす。取り乱していた池だったが、ミキを抱きしめると「もう受験で悩むこともなくなったよ」と、軽いジョークを飛ばす。

ミキは黙って服を脱いで裸になる。最後の思い出とばかりに、二人は夜明けまでベッドの中で抱き合うのであった。

「もうすぐ行っちゃうのね」とミキ。池は「やっと自分の運命を納得できたよ」と語る。

池はずっと、なぜ自分がいけにえになるのか納得できないと不満を口にしていた。ところが、愛する人と愛し合うことができて、彼女のために自分が犠牲になるのだということを実感したのである。

「君のためなら死ねる」

と池は言う。そして「どこかで聞いたセリフ」と冷静になる。安っぽい英雄ものにありがちな決意表明だったからだ。


そんな中、政府の高官の元に緊急連絡が入る。宇宙人からの要求に修正が入ったというのである。この修正を聞いた役人は、「宇宙人の気持ちはさっぱりわからん!!」と腹を立てる。

一方、ヒーロー(=いけにえ)となる覚悟を決めた池。いよいよ連れていかれるかと思いきや、なんとこのまま帰っていいと告げられる。「夢じゃないかしら」と嬉しさを爆発させながら、池とミキは別荘を後にする。

そして政府の高官から、UFOの新しい要求が何であったかが明かされる。それは、池仁平を志望校に入れろというものだった。「なんで宇宙人が裏口入学のあっせんをなど・・」と納得できない部下たち。

しかしそんな要求を飲めばUFOが立ち去ると約束したので、世界各国の首脳から学長に圧力が掛かっているらしいと高官。最後の最後まで宇宙人の気持ちが理解できないと呆れるのであった。


本作は訳の分からない宇宙人に右往左往する地球人という主題を、一人のどこにでもいるような平凡な浪人生を主人公に据えることで、何やら珍妙なバランスの作品に仕立てている。

基本的に宇宙人の意図については不明確にしておき、非常事態における人権の否定だったり、「外圧」によって国家意思が捻じ曲げられることを描いている。

また、世の中の犠牲者たる「いけにえ」を、「英雄」もしくは「殉職者」と言葉巧みに言い換えようとする企みも活写しており、非常時において社会の欺瞞があぶり出される仕掛けにもなっている。


ライトタッチで描かれるお話だし、基本的にナンセンスなSFなのだが、要所要所で現実的な視線が突き刺さってくる。非常に深い一作だと思うが、皆さまはいかがだろうか。



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