地球は滅ぼすのに値する星か?『征地球論』/宇宙人に観察される②
藤子作品にしばしば現れるスキーム。それが地球の外側から人間の営みを観察するという構造のお話である。
前回の記事で紹介した『宇宙人レポート サンプルAとB』だけでなく、既に記事にしている『絶滅の島』や『ひとりぼっちの宇宙戦争』や『ヒョンヒョロ』などもその部類に入るだろう。
それらの記事はこちら。
価値観逆転をテーマとすることが多い藤子先生にとって、宇宙人の視点(=
神の視点)から一つの事象を知覚するという構成がしっくりくるのだろう。
「宇宙人に観察される」シリーズの二本目として、『征地球論』という少年SF短編を取り上げる。『サンプルAとB』のような皮肉っぽさは影を潜めるが、コメディ作品として学生にも読めるような作りとなっている。
タイトルは『征韓論』のモジリだろうか。
大筋は、地球という辺境の星を征服するか否かで、とある宇宙人たちが議論していくというもの。調査員が、地球人の中から特定の個体を選び、その周辺も含めて調べてきたデータに基づき、喧々諤々していく。言ってみればそれだけの話だ。
宇宙人にとって、地球人の行動は理解不明なものばかりのようで、何かと疑問符があがっては議論が止まる。
議題としては、恋愛からギャンブル、文明論までとても幅広いのだが、これは取りも直さず、藤子先生の人間や文明への考察が行き届いているから描けるのである。
議論をしている宇宙人たちは、全員国会議員のようである。一つ目で、体のほとんどが頭で、オバQを縮めたようなデザインとなっている。
かなりの数の議員がいて、好き勝手なことを言ってまとまらないので、全員の思考交換を行って、似たり寄ったりの意見を一人に集約させるという方法を取る。
すると残ったのは、議長と調査員を除くと、たったの4人(4匹?)だけとなる。つまり、「征地球論」は大きく4つの意見に分かれているということになる。
まずはこの4つの意見を列記する。
①と②の区別がしにくいが、大きな違いといえば、①の理由が「そこに地球があるからだ」という好戦的な立場が明確であることだろう。この議論は既に1000チクタクという時間をかけており、これ以上の議論の時間が無駄だという論拠である。
あと、③の意見では、自滅後であれば、征服のコストが要らないので、交通費だけで領土拡張が見込めるという狙いがある。どうやら、文明が発達した星でも、遠くの星を攻めるにはお金がかかるようなのである。
4人の議員に対して、調査員が地球での調査結果を報告する。とある思春期に差し掛かった少年と、口うるさい母親、家庭に関心を無くしている父親の3人の家族の様子である。
敢えて、安手のホームドラマのような展開となっていくので、まずはその流れをざっと紹介しておこう。
少年は14歳。友だちの多くは不良になっているが、まだ仲間にはなり切れていない。
父親は45歳。週休二日制になったばかりだが、休日はゴロゴロとテレビで野球観戦などをしている。妻にとやかく言われて、たまらず外出してそのまま麻雀に明け暮れる。
母親は隣近所と自分の家族を比べたがる傾向があり、少年と父親はグチグチと言われるのが不快でたまらない。
母親は夫の体たらくを見て、その苛立ちを息子にぶつける。ついには大喧嘩して、少年は家を出ていく。好きな女の子の家に遊びに行くが、イケメンの先輩に先を越されていて、ショックを受け、自棄を起こす。
不良仲間に加わり、自動車泥棒・無免許運転の非行に付き合うが、交通事故に遭って死んでしまう。
お話としては以上である。しかしこの安っぽいホームドラマのレポートを受けて、宇宙人たちはいちいち驚きの声を上げていく。とても広範に考察しているので、特に興味深い部分を抜き出しておこう。
まずは物質編
まるで「悪魔の辞典」のような定義付けを連発している。藤子先生はおそらく楽しんで書いていったに違いない。
なお、少年が読んでいた「小説」は、アイザック・アシモフの「銀河帝国の興亡」で、地球人が銀河を支配する話だと報告があがって、交戦的な①の宇宙人が激怒していた。
続けて事象編
新明解国語辞典の編纂者もビックリするような、見事な定義付けがなされていく。『サンプルAとB』でも顕実化した、シニカルな藤子先生の視線が光る。
さて、長い時間をかけて宇宙人たちは地球人の理解に努めるのだが、どうもしっくりこない。そして、地球人は破滅に向かっているのか、それとも改善されていっているのか、という意見がぶつかり合う。
社会が崩壊に向かっているのか、改善されているのかは、大人と子供でどちらの発言が正しいかによって、答えが変わる。地球人は歴史上、世代間の対立を続けており、答えがいつになっても出てこないのである。
さて、いよいよ地球を攻めるべきか、結論を導き出すことができなくなる宇宙人たち。そこに、最後の報告が加えらえる。
地球人の少年は交通事故で死んだのだが、地球人の構造を探るために、調査員が体を再生させたというのである。肉体は単なるタンパク質の固まりだったが、再生後は大騒ぎとなる。
あれほど対立していた両親が少年の病室に駆け込んできて、涙の再会を果たす。少年を振ったはずの少女も、泣いて花束を届けに来る。宇宙人たちはこの様子を見て唖然とする。
問い詰められた調査員は、目から流れる水、「涙」によって様々な問題をウヤムヤに終わらせていると答える。
論理的な宇宙人は、感情で行動を左右させる人間をさっぱり理解できないようである。すっかり「征地球論」の討議に疲弊してしまう4人の議員たち。
そこで、結論は先延ばしということになる。
これまで1000チクタク議論してきたので、もう10チクタクばかり様子を見ても良かろうという判断が出る。しかし、それっぽっちの先延ばしで結論を得ることはできるのだろうか?
そこで、チクタクとはどういった長さの単位なのかが、最後に明らかとなる。すなわち、10チクタクとは、宇宙人にとっては3日間、地球では千年に値するのだという。
これまで1000チクタクの討議をしていたらしいが、これは宇宙人にとっては300日、地球時間では実に10万年の月日が流れたことになる。つまり、人類の歴史をほぼ全て見てきたのである。
地球人の価値観に右往左往する宇宙人たち。しかし最後には、宇宙人の時間感覚が、地球人のそれとは全く違うことが明らかとなって、本作のオチがつくのであった。
本作は、人間の営みを、一つの平凡な家族の対立を通じて、あらゆる角度から検証する宇宙人のお話である。下手をすればアイディア倒れとなりそうなネタだが、藤子F先生の博学さ、広い見識が本作を支えている。
しかも、本作を描くにあたって、苦しみながらというよりは、楽しく書き上げている様子が目に浮かぶ。天才・藤子F先生の、面目躍如となる作品なのではないだろうか?
少年SF短編も考察しています。
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