【単行本未収録】昼夜逆転、意味はなし?『もしもボックスで昼ふかし!?』/もしもの世界を見てみよう①
藤子F先生はSF(すこし・ふしぎ)作家だと自分のことを語っているが、その真意としては、S=サイエンスの部分が弱いという自己評価に基づくものである。
確かに「ドラえもん」のひみつ道具などは、科学的な裏付けがあるわけではない。あくまで疑似科学の範疇に収まってしまうものではある。
ただ、そもそも「SF」の定義は単なる科学小説ということだけではない。例えば、現実と異なる価値観を持つ世界を描く物語は、立派なSF作品だとされる。いわゆるセンス・オブ・ワンダーである。
藤子先生は、このセンス・オブ・ワンダーに満ちた作品を量産した作家である。特に、「もし~だったら」という形式の中で、価値観が倒錯した世界を描き出すことを得意としてきた。
つまり、「すこし・ふしぎ」とは、照れ隠しというか、あくまで謙遜であって、傍目からすれば文句の付けようのない本格SF作家なのである。
「ドラえもん」においても、センス・オブ・ワンダーの魅力が詰まった作品群がある。頻出パターンとして、2パターン存在する。
それが、
①もしもボックスの世界
②宇宙救命ボート(他)の世界
である。
①については、もしもの世界のお話ということで、説明不要だろう。
②について少し補足すると、「宇宙救命ボート」を使って宇宙に飛び出し、そこで地球とは異なる文化・価値観を持った星に着陸するお話がいくつかある。それは小人の星だったり、重力が軽い星だったりする。「あべこべ惑星」などもそのパターンに含まれる。
宇宙のどこかという自由度の高い設定において、「もしも体が小さい人間の世界だったら」「もしも重力が軽い星だったら」といった、思考実験を行っているのである。
「もしもボックス」は、ドラえもんの中でもかなり有名なひみつ道具で、登場回数も非常に多い。大長編を含めて全10話存在する。そのどれもが、価値観を転換させた、藤子先生の抜群のアイディアが光る作品群となっている。
タイトル一覧は下記。
藤子Fノートでは、この10タイトルは全て記事化していく計画である。既に①だけは紹介済み。④と⑧については「のび太の3大特技がスゴイ!」というシリーズで今後取り上げる。⑩については、相当先に記事化する。
それ以外の作品、②③⑤⑥⑦⑨の6作品については、「もしもの世界を見てみよう」と題して、全6回のシリーズ記事として順次、詳細な考察を行っていきたい。
まずは、単行本未収録の、かなり異色な「もしもボックス」のお話を紹介していこう。
「もしもボックス」の初登場は、1976年1月発表の『もしもボックス』というお話。
この回はお正月が舞台で、凧揚げや羽根付きが苦手なのび太が、「もしも凧揚げや羽根付きのない世界だったら」という、ある種どうでも良いもしも世界を作り上げた。
この頃、価値観逆転のSF短編を量産していた藤子先生にとって、この「もしもボックス」は使い勝手の良い道具だということを自覚したようで、ここから一年半で計5作のもしもボックスエピソードを作り上げた。
本作は「てれびくん」という読者の対象年齢が定まっていない雑誌において、かなり実験的に描かれた一本となる。
まず事の発端はのび太が前日の夜更かしのせいで朝寝坊したこと。ドラえもんは「早寝したらいい」と言うが、のび太は「夜にはテレビも見たいし漫画も読みたい」と、遊びの時間が足りない様子。
のび太はここで考える。昼と夜が逆ならいいのでは、と。のび太は、昼間は眠くて夜更かしが平気なので、昼は寝て夜に学校に行けばいいと言い出す。
まあ、勘の良い方なら、のび太の言っていることは、あまり意味がないと思うことだろう。活動領域が昼から夜になっても、絶対的な時間量が増えなければ、遊びに使える時間は確保できない。結局、時間は足りないままなのではないか・・。
ドラえもんは、試してみようということで、「もしもボックス」を取り出す。もしもボックスの登場は二回目だが、まだコミックになって知れ渡っているわけではないので、ここではあたかも初登場のように表現されている。
ドラえもんは「もしも○○だったら」という実験を見せてくれる道具だと紹介し、のび太は驚いたような表情を見せる。そしてボックスに入り、ドラえもんは今回のお題を与える。
ジリリンとベルが響き渡り、世界が一新される。
のび太と登校しようと待っていたしずちゃんに話しかけると、
と可愛く頭をコツンとやって、「お休みなさぁい」と帰っていく。この世界では真っ昼間に寝る世界となっていたのである。
のび太はママに「学校に行かなくていいか」と聞くと、「どこの世界に昼間学校へ行く子がいますか!!」と注意される。これで昼夜あべこべの世界にいることを確信するのび太。
のび太はこれで「一日中たっぷり遊べるぞ」と大喜び。そして、のんびりテレビでも見ようと、チャンネルをつけると、「11ショー」という大人向けの番組が放送されており、画面にはバッチリとは裸の女性がポーズを決めている。
当然ながら、「11ショー」は「11PM」のモジリである。(知らない方は検索をお願いします)
テレビを見ているのび太に、「こんな昼遅くに子供がテレビを見るなんて!」とパパとママが叱る。「夜遅く」が「昼遅く」になっただけである。
なお、のび太をどかした後は、「11ショー」のチャンネルそのままに、夫婦揃って画面に釘付けになる。教育上、少々問題がありそうだが・・。
のび太はこんなに明るくて眠れるものかということで、遊びに出かけていく。確か、昼には眠くなるとか言っていたはずだが・・。
しずちゃんに声を掛けると、「もう遅いから」と言って断られる。続けてジャイアンに野球をしようと誘うと、「真っ昼間から!?」と驚かれる。
ところが、アウトローなジャイアンは、真っ昼間の野球というアイディアに対して、たまにはそんな滅茶苦茶やろうと大乗り気。ところが、次のコマでは母ちゃんに「昼あそびはだめっ」とバットで殴られる。
スネ夫のママに至っては、「こんな時間まで子供が遊び歩くなんてどんなしつけをしているのか」と激怒されてしまう。まだ午前11時だが、感覚的には午後11時なのだろう。
完全に昼も更けて、町は静まり返る。いつもは昼間に眠くなるはずののび太は、今日に限って目がさえている。ドラえもんも帰ってしまい、一人で野球をやったり、道の真ん中であやとりなどをして、無理やり遊ぶのび太。
そこへ酔っ払いが通りがかって因縁をつけられたりしていると、パトカーがやってきて、のび太は保護される。行方不明として両親から捜索願が出されていたのである。
帰宅すると、「心配ばかりかけて」と泣いているママ。のび太は「大げさすぎるよ」と反論すると、「真っ昼間に子供が家を出て帰ってこなければ心配するのは当然だ」とこっ酷くお説教を受ける。
そして夜。現実世界の昼間のようなものだ。
のび太は冒頭のデジャヴのように、ママに叩き起こされる。昼ふかしをしたので夜起きれなかったのだ。案の定、学校でも昼寝ならぬ夜寝をして散々叱られる。結局、昼夜逆転したところで、行動パターンは変わらないのである。
そろそろ実験も終えようとドラえもんは言うのだが、意地になったのび太は「やめない、もっとあべこべにしてやる」ともしもボックスへと入っていく。そして・・
と、オーダーする。
何だかややこしい注文だが、冷静に整理すれば以下の通り。
夜→明るくする→昼と呼ぶ
昼→暗くする→夜と呼ぶ
すなわち、明るい昼と暗い夜の組み合わせとなる。・・つまりこれまで通りである。
翌朝。結局元通りになった世界で、眠い目をこすりながら登校していくのび太。それは、いつも通りののび太の朝なのであった。。
昼に寝て、夜に活動する生活。少しはややこしいことになるかと思いきや、結局、昼夜入れ替わっただけでは、活動時間は増えないので、当然たくさん遊べるようになったりはしないのである。
さて、ここで思い出すのは、サマータイム導入論である。夏は昼が長いので、始業時間を早めれば夜に余暇を楽しむ人が増えるとかいう理論で、導入が検討されていた。
しかし、朝が早くなれば、その分夜も早く寝なくては体がもたない。陽が伸びたところで、一日が24時間であることは変わらないのだ。サマータイムの話が出るたびに、僕は本作ののび太を思い出して、がっくりくるのである。
「ドラえもん」の考察をしております。たくさん。
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