広くて深いプラモ道。『超リアル・ジオラマ作戦』/模型マニアの物語①
僕はどちらかと言えば物欲がない人間で、それはいつからだろうと記憶を辿っていくと、子供の頃にプラモデルやラジコンなどを作って遊んだ経験が少なかったという事実に行き着いた。
大人になってもフィギュアを集めたり、グッズを思わず買ってしまう人は、十中八九、子供の頃からずっとおもちゃ好きである。(筆者調べ)
そういうこともあって、藤子作品で時おり登場するプラモデルやラジコンを使った「オモチャ系」の話は、あまり感情移入できなかったりする。
とはいえ、藤子作品の全てをレビューしていく藤子Fノートにおいて、こうしたオモチャマニア全開の物語もきちんと紹介せねばならない。
ということで、「模型マニアの物語」と題して、今回から数回に渡って、マニアから展開するいくつかの作品を見ていきたい。
ちなみに、僕は物欲は少なめなのだが、それは新規のモノに対することで、一度手元ににモノを置いてしまうとそれを捨てることができない。断捨離に向いてないタイプだ。
もし物欲もあって、捨てられない性格のままだったとしたら・・。僕は今の住まいでは暮らしていけなかったと思う次第である。
「ドラえもん」『超リアル・ジオラマ作戦』
「小学六年生」1984年1月号/大全集11巻
本作ではのび太がマシン型ヒーローのプラモデルを使って、「ジオラマ」を作り、そこで撮った写真をスネ夫とジャイアンに自慢するところから始まる。
ところがスネ夫からは、「これがジオラマ?」と小馬鹿にされ、そして同じプラモで作ったというジオラマ写真を見せてくる。これがかなりレベルの高いジオラマが写っており、のび太はショックを受ける。
スネ夫はプンプンしながら言う。
「こんな安っぽい工作をジオラマだなんて言われると、僕はムカムカするんだ」
さらに、
「プラモの奥は広く深い。そのプラモ道にどれだけ真剣に取り組むかという心構えが二枚の写真の違いとなって表れてくるのだ」
と、徹底的にのび太の写真にダメ出しする。「プラモ道」というマニアックな世界観を披露し、横で聞いていたジャイアンも感心させる。
スネ夫「毎日プラモを研究しているのだ」ということで、二人を家の物置を使った特設ジオラマスタジオまで連れていく。スネ夫はいとこに家庭教師を頼んで、ここで日々研究しているのだという。
のび太は参考まで、スタジオを見たいと要望するが、いつもの意地悪なスネ夫は、「神聖なプラモ道場を見るなんて十年早い」と言って中には入れてくれないのであった。
ということで、いつものようにドラえもんに泣きつくのび太。自分も迫力あるジオラマを作ってスネ夫をアッと言わせたいとお願いすると、ドラえもんはひと言、
「プラモなんて好きなように楽しんで作ればそれでいいんじゃないの」
と至極真っ当なことを言う。マニアの世界に入らずとも、その人なりに楽しくやればいいじゃんという発想で、僕としてはこれが藤子先生の考え方に近いのではないかと思われる。
のび太はスネ夫の「プラモ道」「プラ魂」「特設スタジオ」の話をして食い下がると、ドラえもんはとにかくスネ夫のスタジオを見てみようといって、モニターを取り出して様子を伺うことにする。
そこに写し出されたのは、スネ夫の道楽いとこのスネ吉。今回はプラモ師匠としての登場である。
スネ吉といえば「ラジコン大海戦」という屈指の名作があって、ここでも凄まじいプラモの造詣の深さと操縦テクニックを披露していた。金にモノを言わせるタイプで、スネ夫の将来はこんな感じになるんだろうなあと想像させるキャラクターである。
スネ吉は道楽者だが、マニアの世界で生きる人間としてはかなりのストイックさを見せつける。本作ではここから2ページ半に渡って、スネ吉のプラモ道についての熱いレクチャーが展開される。本作は扉を除いて10ページの作品なので、実に25%の分量をスネ吉オンステージに充てている計算である。
スネ吉は、のび太とジャイアンを驚かせたスネ夫の写真を見て、「情けない・・・これでもジオラマかね」と100%のダメ出しをして、写真をポイと投げ捨てる。これにショックを受けるスネ夫。
以下、スネ吉のプラモ道、プラモへの熱いレクチャーが繰り広げられるので、簡単に抜粋しておこう。
・ジオラマには欠かせない「三感」がある。質感・距離感・量感。
・スネ夫のプラモは金属メカの質感がない。ペンキ塗りたてのおもちゃにすぎない。
・距離感もゼロ。遠近法をもっと利用しろ。
ジオラマは背後に無限の広がりを感じさせる。手前のビルの窓は大きく、遠くの窓は小さく。
・撮影においては巨大ロボの量感を出す。その一つの方法は、対照的に小さなものを写し込むこと。
・広角レンズを使う手があり、広さや奥行きを大げさに写してくれるが、カメラをうんと近づける必要があり、ピントを合わせるのが難しい
広角レンズの撮影方法を解説し始めて、のび太とドラえもんはこれ以上聞いていられなくなる。
先ほどドラえもんの、「好きなように作ればいいではないか」という発言が藤子先生の考え方に近いと書いたが、このスネ吉のマニアックな世界もまた、藤子先生のもう一つの考え方を反映しているように思える。
好きなように作ればいい、という言葉には、好きを極限まで追求するのも楽しいよ、という意味が含まれているのである。のび太もスネ吉も藤子先生の分身だと考えても良いのではないだろうか。
ドラえもんはスネ吉の発言を聞いて、あんな面倒くさいことをしなくても、「実物大プラモ」を使えば良いと言い出し、未来デパートに買いにいくことにする。
大喜びののび太は、いつものように先走り、スネ夫やジャイアンやしずちゃんまでにも、凄いジオラマ写真を撮るぞと自慢して回ってしまう。ところが、ドラえもんは、お金が足りなくて買えなかったと言って手ぶらで未来から帰ってくる。
ドラえもんは困り果ててそのまま逃走。追いすがるのび太は、ドラえもんに抱きついて、偶然四次元ポケットを手にする。
開き直ったのび太は「やれるだけやってみよう」と覚悟を決め、まずはプラモを汚して「質感」を出そうとする。
続けて肝心のジオラマだが、ドラえもんのポケットを探って「スモールライト」と「インスタントミニチュア製造カメラ」を取り出すと、素晴らしいアイディアが浮かぶ。
カメラでビルのミニチュアを作って、セットを組んで、壊して、ロボットのプラモを置く。そしてスモールライトで小さくなって、セットに入るとそこはまるで実景となる。それは、ドラえもんが言っていた「実物大プラモを使う」ことと同じ意味合いとなったのである。
ということで、この写真を見せるとジャイアンとしずちゃんは「どう見ても本物」と感心し、スネ夫は「キ、キーッツ」と悔し涙をこぼす。いつもドラえもんのひみつ道具と競い合って、自慢の種を振りまくスネ夫が、何だか不憫に思えてならない。
なお、お話はドラえもんが結局無理して実物大プラモを買ってきてしまい、置き場に困ってしまうというオチ。本作においてはドラえもんは全く活躍することができないままなのであった。。
さて、マニアな世界を描くお話は、まだありますので、次回に続きます!
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