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なぜ透明になると人は狂暴になるのか『とう明人間目ぐすり』/透明人間現る現る①

SFの巨人と言われるハーバート・ジョージ・ウェルズ(H・G・ウェルズ)が、1897年に発表した「透明人間」(原題:Invisible Man)は、薬品によって姿を消せるようになった科学者の暴走を描いた古典的SFの代表作である。

何度もドラマや映画の題材になり、一昨年前にも「透明人間」というタイトルで現代的にリメイクされていた。(なかなか面白かった)

僕自身、透明人間の物をいくつか見たり読んだりしているが、共通して感じるのは、透明人間になった人間はたいていの場合、狂暴な性格になるということである。

もちろん、人間的に問題のある科学者が透明になるパターンが多いのだが、真面目な人間だったとしても透明化するとなぜか暴れ出す。これはどういうことなのだろうか?


自分が透明になったらと考えた時に、まあロクなことをしないだろうな、と我ながら思うところ。人間、他人の目があるからこそ、禁欲的な行動を取れるのだし、自らの振る舞いに気を使うものだ。他者の視線が、自らを律しさせてくれるものなのだ。


さて、藤子作品には、御多分に漏れず「透明人間」のお話が、けっこうな数存在する。人が透明になって、何かをするというドラマは、SFの基本であるからだ。

しかし、子供をターゲットとする藤子作品では、透明人間になった者(主に主人公の子供たち)が犯罪を犯すシーンを単刀直入に描くことはできない。他者の視点がないからといって、罪を犯すという反教育的な行動を肯定できないのだ。

よって、透明になったとしても、子供ならではのいたずらレベルに留めるべく、非常にバランスを考えた作品となることが多いようである。


そこで、「透明人間現る現る」と題して、様々な切り口で透明人間を描いている藤子F作品を検討していくことにしたい。透明になるという禁断の状況になった場合、子供たちはどんな行動を取るのだろうか。

第一回目は、代表的な透明人間のお話として、「ドラえもん」のスピンオフ「ドラミちゃん」の一遍を取り上げる。


「ドラミちゃん」『とう明人間目ぐすり』
「小学館ブック」1974年9月号/大全集20巻

簡単に作品概要から。
「ドラミちゃん」が主人公の作品が、とある時期に「小学館ブック」(小学館BooK)誌上で何本か描かれている。主人公は、のび太の遠い親戚であるのび太朗。ひょんなことからドラミがお世話係として一緒に住むことになる。

それって何?と思われる方は、下記の記事を是非ご一読してみて下さい。


本作は「ドラミちゃん」の連載最終作である。

冒頭、スネ夫によく似たキャラ・ズル木がのび太朗に、ある本を勧めている。それが「透明人間」である。ストーリーの説明からH・G・ウェルズの「透明人間」だろう。

のび太朗はその本を、ありったけのメンコと交換で借りようとお願いするのだが、ズル木が勿体ぶっているうちに、ジャイアンキャラのゴリブリ(別作品ではカバ田と呼ばれている)に取られてしまう。

約束が違うからメンコを返せとのび太朗が文句を言うと、ズル木は

「貸さないとは言ってないだろ、ゴリブリの後で読め」

と言って悔しがるのであった。


悔しいのはのび太朗も一緒。帰宅後、ドラミちゃんに対して怒りをぶちまける。「こんなことは許せない、あんなわがままなヤツをのさばらせておいていいのか」と激昂。ドラミも「絶対に許しちゃだめ」と賛同する。

で、のび太朗はあるアイディアを思いつく。それは、本物の透明人間になってゴリブリを懲らしめようというのである。それを聞いた、真面目キャラのドラミは、猛反対。そんなのズルくて卑怯だというのだ。

さり気なくここでは、「透明人間になること=ズルいこと」という打ち出しをしている点に注目しておきたい。安易に透明人間になって仕返しするというような行為をいったん否定しているのである。


「ケチ!くそまじめ!!」と、怒るのび太朗。しかし、押してもダメなら引いてみなとばかりに、別の作戦を使って事態の打開を図る。「本当は透明人間の薬なんてないんだろ」と挑発するのである。

まんまと挑発に乗ったドラミは、「私は何でも持ってんだから!」と返してくる。のび太朗は、「いいから無理するなって」とさらに畳みかける。「ガラスじゃあるまいし、生物が透き通るなんて考えられない」と言うのだ。


ここから、ドラミの反論という形で、透明人間のSF的考察が語られていく。

・透き通った生物なんて珍しくない。クラゲ、プランクトン、幼虫や幼魚が透き通っていることもある。
・人間にも透き通った部分がある。目玉の水晶体とガラス体である。

その上で、ドラミが透明になれる目薬を取り出す。その科学的な裏付けが語られる。

・この目薬を差すと、体内の細胞を水晶体にしてしまう。
・色素を分解して細胞の隙間を液体で埋めて、屈折率を0にして・・


この手の説明をちっとも聞かないのがのび太朗(のび太)。パッとドラミから目薬を奪い取り、すかさず目に差してしまう。ドラミが飛びつくも手遅れである。

この辺の一連の流れは、のび太よりも手際が良いし、戦略的である。他の作品でも感じるところだが、のび太朗は、のび太よりもデキる子の設定であるように思う。


ドラミの制止を振り切って、見事に透明人間となるのび太朗。ドラミはひと言、

「お願いだからあんまりいたずらしないでね」

と釘を刺す。どんな人間も、透明人間となると暴徒化するというSFのお約束をよくご存じなのである。


のび太朗は服を全部脱ぎ捨てる。メガネも取ると、これで完全な透明人間である。そのままゴリブリの家へと向かうが、外へ出てひと言。

「どうも・・・裸で外へ出るってのは、頼りないもんだな」

こういうセリフが入ることで、透明人間になることのリアルさが伝わってくる。

のび太朗の前からしずちゃんそっくりのみよちゃんが歩いてくる。慌てて近くのごみ箱の蓋を取って股間を隠すのび太朗。すぐに「見えないんだった」と気が付くが、みよちゃんからすれば、突然蓋がひとりでに動いたように見えている。


さて、本を取られたズル木はゴリブリにすり寄っている。「読み終わったら返してもらえるんだろうね」と、恐る恐る聞くと、ジャイアンばりのわがままセリフが飛び出す。

「俺が借りたもの返さないみたいな言い方だな。いつ返さなかった!?永久に借りておくだけだぞ」

逆ギレからの、借りパク宣言である。

透明になって近づいていたのび太朗は、すかさずそこで、

「じゃ、つまり泥棒じゃないか!」

とズバリ正鵠を射る。ゴリブリはズル木がしゃべったと思い込み、「もういっぺん言ってみろ!!」と首を絞める。すると、そこへのび太朗がもう一言。

「そんな風に乱暴するのが、頭の悪い証拠だ」

ゴリブリはさらに逆上して、「ヌガア」と全力でズル木の首を締め上げる。容赦なくズタボロになるズル木。「気の毒なことしちゃったな」、とあんまり気の毒そうに思っていない感じののび太朗。


ゴリブリはイラつきながら帰宅。のび太朗も後からついていく。家に入ると、のび太朗はここまで裸足で歩いて来たので、廊下を歩くと泥だらけ。ゴリブリの母親がそれをみて、いきなりゴリブリの頬をビンタする。

廊下を汚したことを怒ったわけだが、事情も聞かずにいきなり暴力から入るところは、確実の息子の暴力的性格を助長しているものと思われる。

「今日はなんだか不愉快だ」ということで、「読書でもして心を静めよう」と言ってズル木から取り上げた「透明人間」を読むことに。たどたどしく読み始めると、本が急に宙に浮く。


ゴリブリは「本物の透明人間? まさか・・」と驚愕の表情。透明となったのび太朗は、

「いかにも透明人間だ。君の自分勝手を懲らしめるためにやってきた」

とスーパーヒーロー気取り。

「何を!!」と果敢に立ち向かってくるゴリブリだが、相手が透明人間では分が悪い。滅茶苦茶に本を投げつけるのだが、透明なのび太朗は物陰に隠れてやり過ごし、一冊の本が母親にバシンと命中。これで勝負ありである。

ちなみにゴリブリが投げ込む本の一冊は、「ドラえもん」と書かれている。


その頃、野比家。パパが帰宅してまずはお風呂に入ることに。すると部屋に落ちている目薬に気がつく。大事な道具なのに、出しっ放しにしておいたようだ。

のび太朗が、奪い取った「透明人間」を手に帰宅。透明人間になったのび太朗が取った行動は、結局、ゴリブリへの最低限な懲らしめだけであった。非常に抑制された行動と考えて良いだろう。

すると、一階からママの悲鳴が聞こえる。頭にタオルを乗せているパパが湯船に浸かっているのだが、その姿は透明人間。つまり、ママからは宙に浮くタオルしか見えないのであった。


本作は数ある「透明人間」をテーマとした藤子作品の中では、もっともポピュラーなお話であろう。透明になったのび太朗が、いつになく自制した行動を取っていたことにも注目しておいてもらいたい。

次回も定番的な「透明人間」ものをご紹介する。



「ドラえもん」考察しています。


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