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常識のストッパーが外れた自分。『ぼくの悪行』/藤子Fマルチバース短編集②

別の世界。別の自分。別の人生。

僕たちはたった一つの人生を歩み続けているが、もしかしたら自分が選ばなかった道を進むことで、今とは全く自分の暮らしがあったかもしれない。そんな風に、誰もが一度は別の人生に思いを巡らす時があることだろう。

そんな人々の思いを受け止めて、古今東西のSF作家があらゆるパターンの「パラレルワールド」をテーマとした作品を描いてきた。

藤子先生だって当然負けてはいない。無数のSF短編を描いている中でも、パラレルワールドをど真ん中のテーマに据えた作品は数多い。

そこで「藤子Fマルチバース短編集」と題して、5作品ほどを抽出して記事にしていきたい。題名にマルチバースと入れたのは、最近のブームに日和ったものである。


前稿では、「もしも別の人と結婚をしていたら・・・」という、いわば王道の分岐ものを紹介した。この作品は藤子先生が初めてパラレルワールドをメインテーマに据えたお話であった。

詳しくは記事を読んでもらいたいが、どのような分岐を選んでも、似たような結果になるという、アイロニーの要素が非常に強い作品であった。

この作品からちょうど3年後、再びパラレルワールドをテーマとした作品を発表するが、前回と全く異なる展開と、エンディングになっている。二作品比べて、同じ「マルチバース」ものでも全く違う仕上がりになるんだということを体感いただきたい。


『ぼくの悪行』
「週刊漫画アクション」1978年10月10日号

本作がパラレルワールドをテーマとしていることは、読者なら誰でもわかる。なぜならご丁寧にも、作品の冒頭で本作で描くテーマを言葉にしてしまっているからだ。

冒頭のナレーションを一部引いてみよう。

「はじめにタネ明かしすれば、これはパラレルワールドの話です。ご存じでしょう、ぼくらが住んでるこの世界の他に、目には見えないがいくつもの違った世界が重なり合って存在しているという仮説・・・」

作品のテーマをネタバラシさせているが、同時にパラレルワールドが何なのかも的確に説明している点に注目しておきたい。あくまで本作はSF誌ではなく、普通のサラリーマンが読む雑誌に掲載しており、読者へのさりげない配慮を込めているのである。

さらに、なぜネタを明かしたのか、その理由の説明も入る。それによると、本作の出だしがつまらないので、思わせぶりなナレーションで引き付けようとしているらしい。

そして、つまらない訳として、主人公の男性がごくありふれたサラリーマンであるという点を挙げている。藤子作品においては、主人公が平凡でありふれた生活をしていることが非常に多いが、本作ではその点を冒頭で強調して、主人公が読者自身であるかもというリアリティを付与している。

一応そんなありふれた主人公についてまとめておく。

有川布礼夫(ありかわふれお)
31歳
妻あり
団地から会社まで電車通勤

名前は「ありふれた」の当て字となっている。

また、作品とは関係ないが、パラレルワールドの説明の際に、二コマを使って、間違い探しをさせる趣向を凝らしている。6つの違うがあるということなので、一応探しておいた。

・真ん中のビルの高さ
・やや左寄りのビルの有無
・やや右寄りの家の屋根の種類
・右端の電柱の有無
・右辺側のビルの窓の種類
・背景の雲の形



平凡な主人公、有川の平凡な一日がこの後描かれる。ナレーションを多用して、設定については極めて簡略に読者に伝えていく。通常ナレーションの多用は映画やドラマなどにおいても、なるべくしてはいけないことになっているが、本作では敢えて多用することでギャグにしている。また、常識人であると強調している点にもご注目。

・悪役の課長にネチネチと苛められる。
・課長が死んでくれたらと思っているがおくびにも出していない
・ランチタイムには店員のルミちゃん(19歳)のいる喫茶店へ
・ルミが好きだがいい歳してと自覚があるので口説こうと思ったことはない


・・・とここまではごく平凡な男の日常なのだが、ここから少しずつ非日常が浸食してくる。何か身に覚えのない別の自分がいるような感覚になっていく。

ルミちゃんがコーヒーを運んでくれた時に「夕べのお話、OKよ」と小声で囁いてくる。何のことかわからず、その真意を聞くと突然機嫌を悪くさせてしまう。

部下から昨晩ディスコで踊り狂い、次々と女の子にナンパしていたと聞く。そういえば、最近ちょいちょいと自分を見かけたという話を聞く気がする。これは一体どういうことなのか?


会社で課長のネチネチ攻撃を食らい、落ち込んだ気分を慰めようと、ルミのいるコーヒーショップに立ち寄ることにする。すると、既に店内には、もう一人の「僕」が座っているではないか。

別の自分は、ルミに馴れ馴れしく話を続け、徐々にいい感じとなって、最後は指切りげんまんをしている。何か約束が成立したのであろうか。別の僕は、機嫌良く店から出てくる。有川は、ニセモノの正体を見破るべく、尾行することに。

ニセ有川はその先に小さな公園のある坂道を上っていく。そして公園に着くと、木の上高さ2mくらいのところに登ったニセ有川が、フッと姿を消してしまう。

ちなみに有川は一度酔っ払ってこの公園にやってきて、木の上に登って落っこちそうになったと言っている。ハッキリ明示していないが、ここで木の上から落ちる/落ちないで世界が分岐した可能性がある。

落ちそうになったけど堪えた今の有川と、落っこちてしまい別の世界への扉を見つけ出した有川とに。


別の有川が消えた木の上によじ登る有川。フラフラとしたかと思うと、まるで異世界への空間を通り抜けるように、木の上から落下してしまう。

一瞬の意識断絶のあと、有川が別の世界に来てしまったことを直感する。周囲の風景は同じだが、微妙な違和感が拭えなかったとナレーションが入る。この「微妙な違和感」がラストでかなり生きてくるので、覚えておきたい。

有川は最近読んだSFコミックを思い出して、この世界がパラレルワールドであることを察知する。ページの都合ではないとナレーションは語るが、これはある種の意図的なご都合主義である。。


有川は思う。もう一人の有川は、自分の世界でできないような好き勝手を、有川の世界でしていたのではないかと。有川は対抗して自分も向こうの世界で好き勝手を働こうと考える。

さっそく、喫茶店勤務を終えたばかりのルミちゃんを待ち伏せて、話しかける有川。休日の行動を聞くと、大好きな映画を観に行っているという。そこで勇気を出して、僕と観に行かないかと誘う。

・・・やや間があって、OKが出て喜ぶ有川。別の世界だと開き直れると感じた有川は、新しい人生が開けそうな予感がしてくる。


喜びを隠せぬまま、元の世界に戻り帰宅。次の日曜の休日出勤を妻に予告し、軍資金が必要ということで、明日経理の財津に頼んで前借りしようと考える。

今では考えられないが、昭和全盛期のサラリーマンは、給与は現金手渡しで受け取っていた。それゆえに、経理からこっそりと前借りする、なんてことがあったと言われている。


翌日、経理課を尋ねると、何と昨日の昼休みに、既に有川自身が前借りの手続きをしているという。証拠に有川の印鑑と署名も残っている。パラレルワールドの有川は、同じような考えのもと、勝手に別の世界に入り込んでお金を入手していたのである。

目には目にをだと怒る有川。「二度と僕には金を貸すな」と財津に告げて不思議がられると、すぐに有川のパラレルワールドへと移動する。この世界の有川と鉢合わせしないように、経理の財津を訪ねて給与の前借りをする。

調子に乗った有川は同僚の女性のお尻を触って嫌がられる。何をしてもツケはここの世界の有川が払うことになる。常識人だったはずの有川だったが、並行世界に行っただけで、性格も変わってしまったようだ。


ところが、先に今の有川の住む世界に入りこんでいた別の有川は、とっくに常識人の仮面をはぎ取って、やりたい放題モードに突入していたようである。

元の世界に戻ると、別の有川の悪事が看過できない状態に陥っていた。にっくき課長を訳もなく殴り、同僚の女性にはキスしたり抱きついたりとセクハラしまくり。ルミちゃんにも酷いことをしたらしく、喫茶店から出禁を言い渡される。

さらに、家に戻るとルミ子との関係を匂わすことを、あろうことか妻に電話をしていた。一歩間違えば家庭崩壊の危機である。有川は、パラレルワールドの有川の悪意をひしひしと感じる

有川が向こうの世界で給与の前借りや同僚のお尻を触るなどの行動を知って、反撃に転じてきたのである。こうなっては、自分同士の全面戦争しかない。

常識人だと思い込んで踏みとどまっていたことを躊躇なく行動を始めたもう一人の自分。それに対抗するべく、明日は先方で大いに悪行三昧しようと決意する。


しかし、元来の有川は人が良いのか、運が悪いのか、思い描いていたような悪事を働くことができない。

課長をぶん殴ろうとバットを買うも、ゴルフに出掛けてしまって、長年の恨みを晴らすことはできない。ルミちゃんと映画館デートをして、そのまま公園のベンチに座って、エッチな行為を働こうと決意するのだが、なかなかてが伸びない有川。

そうこうしているうちに、ルミ子が周囲のベンチでカップルが抱き合ったりしている光景を目撃して、「キャー凄い」と騒ぎ立てる。どうやらルミちゃんは、少し天然な女の子なのであった。

そういうことで、「今日は楽しかった」とあっけらかんと去って行くルミ子。破廉恥行為ができぬまま、ルミちゃんに手を振る有川。・・・そう、彼は自分の行動力の乏しさを嘆くが、そもそも悪いことができるような人間じゃないのだ。


仕方なく、元の世界に戻るべく、いつものように木に登る有川。すると、自分の世界に入りこんでいたもう一人の有川が、バットで滅多打ちにした課長に追われている。こっちの有川は思いを遂げてしまっていたようだ。

すると、ここで異変が起きる。元の世界に戻ろうと思った瞬間にもの凄いショックを感じて、木の下へと吹っ飛ばされる。そしてパラレルワールドに通じる裂け目も無くなっている。つまり、有川は元の世界に戻れなくなってしまったのだ。

とんだことになったと思う有川。しかし、逆に自分の世界に来てしまった有川は、悪事を働いた世界に取り残されたことになる。そのことを考えると気が軽くなる有川。


さらに、家に戻るとむしろ喜びの感情すら湧いてくる。

「不思議というか当然というか、新鮮に見えるなあ、見慣れた部屋も古女房さえも」

だいぶ奥さんに対しては失礼な話だが、有川は少しだけ違和感のあるパラレルワールドに居座ることになって、生活の張りを取り戻したようである。


読み通してみれば、一人のありふれた人生を送る男が、パラレルワールドで羽目を少しだけ外して、新鮮な生活をゲットするというお話となっている。ある面、だいぶ都合の良い展開で、能天気なハッピーエンドのお話とも受け止めることが可能だ。

しかし、少し深読みすれば、平凡さを強調する冒頭から察するに、平凡だったり常識人であったりする自分は、自分自身でストッパーを掛けているに過ぎないことを示唆している。

悪行三昧のもう一人の自分は、別の世界だからいいやと考えて、そのストッパーを外してしまったに違いない。これは、あくまで今の自分の別の顔であり、自分がそうなってしまう可能性があるということだ。

すなわち本作は、パラレルワールドをテーマに、今の自分は様々な可能性の内のたった一つの側面であるということを、皮肉を込めて描いた作品なのである。



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