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もしも別の彼女と結婚していたら?王道マルチバース『分岐点』/藤子Fマルチバース短編集①

世の中いつの間にか「マルチバース」なる用語が一般化し、本年度のアメリカアカデミー賞でもマルチバースをテーマとした「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が主要部門を独占する「異常事態」が起きた。

ここで「異常事態」という言葉を選んだのは、マルチバースといういわば何でもありの概念を使った作品が、少なからずメッセージ性・ドラマ性を必要とする米アカデミー作品賞を受賞するというような時代が来たことに大変驚いたからである。

「マルチバース」は映画などの物語の中で最近良く聞くようになった単語だが、もともとは「多元宇宙論」という宇宙の成り立ちについて考察された立派な理論物理学の用語である。

いくつもの「可能性」で分岐した宇宙をまとめて語る場合に「マルチバース」という理論が考え出されたわけだが、SFなどの物語においては、「パラレルワールド」という用語が以前は一般的だった。


膨大なSF作品を手掛けた藤子先生は、「パラレルワールド」をテーマとした作品にも数多く取り組んでいる。今の自分の人生とは別の可能性を考えるのは人間の性(さが)みたいなものだが、それは容易にSF的世界観に発展しうる。

SFとパラレルワールドは、非常に相性の良い組み合わせなのである。

そこで「藤子Fマルチバース短編集」と題して、藤子先生がパラレルワールドをテーマに据えた作品群を取り上げて、考察していく。なお、「マルチバース」という言葉にしたのは、最近の流行りを見据えたもので、特に深い意味はない。


まず最初に見ていくのは『分岐点』という大人向けSF(異色SF短編)の一本。僕の中では、藤子F先生初のパラレルワールドをテーマにした単独作品という位置づけとなっている。


『分岐点』
「ビックコミック」1975年10月10日号

タイトルはズバリ『分岐点』。人生は枝分かれの連続だが、特に結婚相手の選択は、まさしく将来を左右する分岐点である。本作はそうした人生の分岐についての物語。

主人公の男性茂手木は、妻との結婚生活に大いに不満を抱いていた。この日は、会社を出ると家には帰らずに、公園を一人ぶらつく。終電が近くなり、一瞬逡巡するが、「今夜こそは家に帰るまい」と決意を固める。

ところが公園に住んでいるホームレスの男たちに囲まれてしまい、お金や衣服をせびられる。すると一人のサングラス姿の異様な雰囲気を醸す男性が近づいてくると、ホームレスの男たちはそそくさと立ち去ってしまう。


この男性、藤子不二雄A先生のキャラクターのような不気味さがある。男は茂手木に今夜の宿が無いようなので、うちへ来ますかと誘ってくる。公園を進むと、二股に分かれているポイントがある。男は言う。

「この坂を下ればわしの家だが・・・右へ進めば駅前、車も拾える。大げさに言ってあんたの分岐点だが・・・、どっちを選びます?」

茂手木は「今夜こそ決心したんだ」と言って、坂道を下り出す。進むと、妙な霧が立ち込めてくるが、地形のせいだと男は言う。

茂手木は先行く男性に、どっかで一度お目にかかった気がすると告げると、「かもしれませんな」と答え、「商売がら色んな人に、様々な場所、様々な時に会う」と意味深なことを呟く。どうやら、見かけ通りに只者ではないようだ・・・。


古い部屋に通される茂手木。男は自分が手掛けているという「商売」について口を開く。それは一口に言えば「やり直しコンサルタント」とでもいいますか、と語る。

やり直しコンサルタントとは、自分の現在の境遇に不満を持ち、脱出したがっている人、もっと違った人生があるはずだと暗中模索している人のお手伝いをする商売だという。

個人的にコンサルタントという職業には、少々の胡散臭さを感じる。人生や仕事の全てを知っているわけでもないのに、なぜコンサルタントを名乗る人に、お金を払ってまで「相談」しなくてならないのか、理解できないからだ。

その一方で、仕事を進めるにあたって、常に相談できる人がいることの安堵感とか、安心感を得たい気持ちは理解できる。何かを選択する時に、第三者に心情を聞いてほしくなるものなのだ。ただ、それにお金を払うかどうかは別の話ではある。



茂手木はやり直しコンサルタントの仕事に大変興味を持つ。そして「是非相談に乗って欲しい、料金はいかほど・・」と言って、内ポケットの財布を探る。すると出てきたのは、息子の真人が書いた手紙。今日が誕生日なので早く帰ってきて欲しいという文面である。

一読した茂手木はがっくりと肩を落とす。するとやり直しコンサルを名乗る男は、「人生をやり直すということは前の人生をすっかり消去すること、心残りがあるうちは成功しない」と告げる。そして、帰宅を促すのあった。


さて、ここからは茂手木が絶望を感じている家庭環境がいやらしく描かれていく。タクシーで帰宅すると妻の美津江がまだ起きて待っている。真人は泣き疲れてそのまま寝てしまっている。

茂手木は子供のことは愛しているようで、寝ている息子に「ごめんね」と抱きついて謝る。そして久しぶりに一緒に寝ようと言うことで、枕を取りに部屋へと戻る。すると、美津江が茂手木のワイシャツの匂いを懸命に嗅いでいる。

美津江は茂手木の浮気を疑っているのである。その点、全く心当たりのない茂手木は「香水でもにおうか、口紅か長い髪の毛でも見つかったか」と挑発すると、美津江は心から軽蔑したような目つきをする。

この一連のやりとりだけで、夫婦仲が最悪な状態であることが痛いほどわかる。


茂手木は不思議な夢を見る。「パパ」と言って近づいてくる女の子。茂手木は「まゆみ」と声を掛ける。夢の中では、まゆみという女の子と茂手木は親子のようである。

・・・茂手木は真人に起こされる。そして「まゆみって誰のこと?」と聞いてくる。茂手木は「まゆみ」と名前を聞いてもまるでピンとこない。真人が言うには、茂手木が寝言で繰り返していたとのことだが・・。


さて、時計を見ると既に出勤時間を過ぎている。慌てて着替えて出掛ける準備をする茂手木。茂手木は妻になぜ起こさなかったのかなじると、なんとこの日は日曜日。茂手木が「知ってて知らんふりしてたな」と怒ると、美津江は「会社のことに口を出すなっておっしゃったでしょ?」と冷たく突き放す。


この日、茂手木は真人に付き合って昆虫採集に出掛ける。すると真人が「ジューダイな相談がある」と言い出す。それは真人の同級生のさっちゃんが、同じく同級のみよちゃんとどっちが本当に好きかはっきりさせろと迫られているのだという。

さすがはパパの子だ、などと軽口を叩く茂手木。そして好きなのはどっちかと聞くと、真人は「それがわからないから困っている」と答える。さっちゃんもみよちゃんも、いい所とそうでもない所があるようなのだ。

茂手木は「それは重大な問題ですよ」と真剣な顔つきになる。これは真人にとっての分岐点であると。そして、パパにも10年前に大きな分岐点があってな、と語り始める。


するとそのタイミングで、一人の綺麗な女性が「茂手木さんではないか」と声を掛けてくる。茂手木は一瞬間があった後に、「紅子さん!」と声を上げる。二人は旧知の中で10年ぶりの再会であるらしい。

真人を先に帰らせて、茂手木と紅子は喫茶店に入る。ここで、茂手木が先ほどしゃべりかけた、10年前の大きな分岐点が何なのかが明らかとなる。

二人の会話からわかることは、
・紅子は茂手木を深く愛していた
・茂手木はおしとやかなタイプの美津江を選んだ
・紅子はショックを受けたが、今は素敵な亭主と暮らしている


二人はそこで別れる。茂手木は「ますます華やかに美しくなっている」と感想を漏らす。そして「それに引き換え・・・」と嫁の顔を思い浮かべていると、家の玄関で美津江に首を絞められる

紅子を会っていたと息子から聞いて、逆上する美津江。さっき偶然会ったわけだが、いつも浮気していると思い込んだようである。茂手木はこれを「発作」と呼んでいる。


その晩、美津江が、切れた縄を首に巻き付けて庭に倒れ込んでいる。それを見た茂手木は「狂言自殺も度重なると驚いて見せる気にさえなれん」と冷たく言い放つ。美津江は、自殺未遂をして夫を責める常習犯であるようだ。

これが決め手となって、茂手木は家を飛び出して行く。向かう先はもちろん、やり直しコンサルタントの家である。

コンサル男は茂手木を見て、本気で人生をやり直したいものと判断し、仕事を引き受けるという。茂手木は人生のやり直しという文脈から、「名を捨てくず拾いでも残飯漁りでも」と決意を示すのだが、男は「違う」と言う。


ここからが急転直下SF(少し不思議)な世界へ。

男は「やり直し人生とは、過去に踏み誤ったと思っている分岐点で、もし正しい選択が行われていたら・・という仮定の人生を、現実のものとして差し上げる」と述べる。つまり、今とは違うタイムラインの世界へ連れて行こうというのである。

SFリテラシーのない茂手木は、男の言うことからさっぱり意味が取れないが、ともかくも「今の暮らしから抜け出せればいい」と答える。男は「二度とここへは戻って来られるよう祈ります」と言い添えて、家の外へと茂手木を案内する。霧深い夜道をまっすぐに、どこまでも進めばいいと指示する。


霧の中を歩いていると、「パパーッ」という真人の声が聞こえる。どこにいるんだと振り返ると、真人が泣きながら飛び込んでくる。「僕を置いてどっかへ行っちゃうなんてひどい」と泣き叫ぶ。

手を繋ぎ、さあ帰ろうと言って道を進むと、また別の声で「パパ」と呼ぶ者がいる。

・・・気がつくとベッドの上。いつか夢の中で見た女の子=まゆみが、茂手木を揺らす。「マサトって誰のこと?」と尋ねてくるまゆみ。茂手木はその名前を聞いても、全く心当たりがない。

そう、ここの描写は、以前真人とまゆみを交代して行われたことの繰り返しとなっているのだ。同じような光景というのがポイントで、別のタイムラインでも、茂手木は同じような境遇であるような予感をさせる。


この世界での奥さんは、以前のタイムラインで10年前に別れた紅子である。美津江ではなく、華やかなタイプの紅子を選択した延長線の世界である。これぞまさにマルチバース。

そして、皮肉なもので、この世界でも茂手木の置かれた状況はほとんど変わらない。紅子からは、隣の主人と比較されたり、コービーの飲み方や聞いている音楽などにもイチャモンを付けられている。

挙句、まゆみをトンボとりに誘うと、紅子はワイドショー出演のため出掛けるから、すぐに帰っていらしてね、と声を掛けられる。この世界では、奥さんの尻に敷かれている暮らしであるようだ。


まゆみと道を歩きながら、茂手木は思う。

「人生の岐路に迷ったとき、判断を誤ることのないようパパは祈る」

そして読者は思う。別の道を進んだとしても、それほど変わり映えがしない世界が待っているんだよ、と。


マルチバースをテーマに、すごくやるせない人生の真実を語る作品となっている。ただし、藤子先生はこのパターン以外のマルチバースものを多数用意している。

今後、少しずつ紹介していくので、どうぞご期待ください。



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