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藤子版・銀河鉄道999『天の川鉄道の夜』/ドラえもん名作劇場⑤

2023年2月13日、またしても漫画界黎明期を支えた偉人がお亡くなりになられた。松本零士先生、享年85歳だった。心よりご冥福をお祈りしたい。

石ノ森章太郎先生と同年同日生まれで、初期のトキワ荘メンバーとも交流をしていた松本零士先生。(当時の名義は松本あきら)

僕自身は「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」などのアニメで松本作品を楽しんでいたが、漫画の方はあまり熱心に読んだことはなかった。(「キャプテンハーロック」の漫画文庫だけは熟読していた)

松本先生は、藤子F先生と幼少期~少年期に読んでいた小説や科学本に共通点があって、自ずと二人が生み出す科学的な世界観が類似していると語っておられた。

つまり、僕としては藤子先生との関連の意味においても、松本作品はきちんと読んでおかねばならなかったのだ。猛省して、この機会に読んでみたいと思う。


また松本先生と言えば、マンガ黎明期の稀少本のコレクターとしても有名で、もう世の中に数冊しかないという足塚不二雄名義による『UTOPIA 最後の世界大戦』の貴重な原本を所有されていた。この本が、2011年発売の復刻版の底本となったという。

また、藤子・F・不二雄大全集において、「すすめロボケット」の第一巻の巻末で解説を残されている。高校二年生の時に本屋で手に取った『UTOPIA 最後の世界大戦』に衝撃を受けたという。

では藤子先生から見て、松本零士作品はどのように映ったのだろうか。実際に語っている文章は見かけたことはないが、一つの手がかりとなりそうな作品があるので、本稿では追悼・松本零士の意も込めて、お届けしたいと思う。


『天の川鉄道の夜』(初出:天の川鉄道)
「てれびくん」1980年2月号/大全集19巻

本作は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をベースにしたお話だと語られることがあるが、もちろん一面ではその通りなのだが、むしろ松本零士の「銀河鉄道999」のパロディ作品と考えた方が自然である。

後ほど見ていくが、本作発表当時、マンガにアニメにと大ブームとなっていた「銀河鉄道999」の分かり易いパロディ描写がふんだんに登場している。

また「銀河鉄道999」は、「銀河鉄道の夜」のイメージと、メーテルリンクの「青い鳥」のテーマを組み合わせた作品と言われ、どこかペシミズムというか憂いの雰囲気を醸す。

本作『天の川鉄道の夜』は、もっとカラッとしたギャグ篇ではあるのだが、どこか不気味な空気感が漂っていて、このあたりも「銀河鉄道999」の要素を取り入れているように思う。


ただ、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」や「銀河鉄道999」は、画期的な交通手段として活躍していた頃のSL機関車をイメージさせているのに対して、『天の川鉄道の夜』では電車や新幹線に取って代わられた過去の遺物としてSLを扱っている。

このあたりもパロディの一環と考えても良いのかも知れない。


なお、本作は大長編第17作目『ドラえもん のび太と銀河超特急』の元ネタ的作品とされている。「銀河超特急」は、本作と同じような序盤展開ではあるが、鉄道に乗って旅をして、各地で新しい出会いや発見をしていくという楽しさが詰まった作品でもあった。

いずれ大解説をしたいと考えているので、本稿では大長編との比較は割愛しておきたい。


本作の出だしは、スネ夫の自慢に悔しがるのび太という、十何回も繰り返されている定番パターン。今回の自慢の種は、SLの旅である。

SLとは、Steam Locomotiveの頭文字を取った言葉で、蒸気機関車(もしくは汽車)のこと。1800年代初頭に英国で発明され、日本では1872年に新橋・横浜間で初めて走行した。

最近、JRなどが鉄道開業150年のキャンペーンを行っていたが、まだ鉄道ができて150年しか経ってないのかと意外に思った。

最初は英国やドイツなどから輸入されていたが、1900年代に入り国産の車両も作られるようになった。宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」の初版を発表したのが1934年なので、まさしくSL全盛期の頃だったと言えるだろう。

戦後、徐々にディーゼル車や電車が台頭していき、蒸気機関車は第一線から退くようになる。そして1974~75年には本州や九州からSLの姿は消え、その年の年末には北海道の室蘭・岩見沢間で最後の定期旅客運航が行われた。「さようならSL」である。

その一方で、観光資源としてのSL機関車にスポットが当たり、日本の各地で運転再開の機運が高まっていった。大井川鉄道や、SLやまぐち号などが有名で、おそらくスネ夫はそのどちらかに乗りに行ったものと考えられる。


のび太がドラえもんに愚痴を言うと、いちいち人のことを羨むのはみっともないと諭される。そんなドラえもんが、部屋に「天の川鉄道乗車券」という謎の切符と切符を切るはさみを落とす。

地球からハテノ星雲に向かう切符で、2111年9月3日20:07発と書かれている。この2111年9月3日という日付は、ドラえもんの誕生日のちょうど一年間のもの。何か意味深な日付である。ちなみに「銀河鉄道999」は2221年という設定だった。


のび太は切符を拾ったことを内緒のままで、ドラえもんに「天の川鉄道」とは何かを聞き出す。するとSL型の宇宙船のことで、切符にはさみを入れればすぐに迎えに来てくれるという。

のび太はその話を聞いて「ワーイ」と大喜び。すぐさま、空き地にいたジャイアン・スネ夫・しずちゃんに、今晩SL型宇宙船に学校の裏山から乗ろうと思うと自慢する。

自慢されてイヤな気持ちになっているのに、のび太はなぜかいつも自慢を仕返ししてしまう。この癖は直したほうがいいと、いつも思う。


夜。食後すぐに寝室に向かい、そのままタケコプターで裏山へ。切符にはさみを入れると、ザワザワとスネ夫たち3人が本当か嘘か見に来たと言って、姿を見せる。

何の音沙汰も無いので、ジャイアンが「やっぱり嘘だったな!」と殴りかかろうとすると、ボオ~という汽笛と共に、夜空からSL機関車が走ってくる。驚く4人。


車両が地上に降り立つと、小さい車掌さんが姿を見せて、のび太たちに告げる。

「オンボロメダ発アテノ星雲行き。お乗りの方は早く」

この車掌さんダブダブの外套と大きめの帽子を被っているため、顔の一部しか見えない。その風貌は完全に「銀河鉄道999」の車掌で、不気味さというよりは可愛さを前面に出した雰囲気となっている。

なおアニメ版「銀河鉄道999」の車掌の声は、スネ夫や「怪物くん」のドラキュラ男の声優でもあった肝付兼太氏である。

車掌はオンボロメダ発と言っているが、これは「銀河鉄道999」が目指したアンドロメダ星雲のパロディ。ただし、なぜこの時オンボロメダ「発」と言っているのかは、よくわからない。

切符は一枚だけだが、他の3人が乗車をねだると、構わんから何人でも乗りなさいと答える。ルーズな鉄道だなあとのび太は感想を漏らすが、車掌は付け加えるように「どうせ今日限り・・・」と妙なことも口にしている。これはどういう意味なのだろうか?


汽笛が上がり、蒸気が吹き出し、ゆっくりと車輪が動き出す。車体は空に浮かび、そのままあっという間に地球外へ。ボッボッボッと穏やかな動きだが、実際は猛スピードで大気圏外に飛び出したはずである。

のび太たちの乗った車両は、内装がレトロな感じで、しずちゃんが「わりと粗末な客車ね」と不満そう。のび太は「ローカル線なんだろ」と返す。

そこへ、別の車両を探検してきたスネ夫が、「どうも変だよ」と言って戻ってくる。僕ら意外に誰も乗っていないというのである。


急に不安になるのび太たち。コマの表現もスクリーントーンの効果を使って不気味さを強調する。「お~い誰かぁ」と他の車両をみんなで歩いていくと、「どうかしましたか」と言って車掌さんが顔を出す。安堵する一同。

のび太がなぜ他の客がいないのか尋ねると、

「昔はこんなことはなかった。キップなんか行列しないと買えなかったものです。すっかり寂れちゃって・・・。あれが発明されてから」

と、答えになっていないような、意味深な発言をして奥へと引っ込んでいく。「あれ」とは一体何のことだろうか??


天の川鉄道は順調に航行し、巨大な土星の輪を眼前に捉える。歓喜するのび太たち。そして、しずちゃんが「星の海、素敵」と声をあげ、「来て良かったろ」とのび太が応えると、その途端、窓の外が何も見えなくなる。

車掌曰く、ワープして超空間に入ったという。しかも終点までこのままということで、のび太たちのテンションも落ちる。

腹が減ったのでどこかの星で駅弁でも買いたいと思うのだが、降りる人もいないので終点まで止まらないと車掌。さらにキップは終点までなので、のび太たちも途中下車はできないという。思い描いていた「楽しい銀河の旅」ということではなくなってきた。


一方地球のドラえもん。のび太が布団の中にいないことを知って嫌な予感が走る。そしてキップを落としたことにここで気がつく。のび太が切符を使ったに違いない。ドラえもんは、

「記念のつもりで買った切符を使ったな! 何てことするんだ!! よりによってあんな列車に乗るなんて!!」

と大騒ぎ。のび太たちは、何か大いなる事情のある訳あり列車に乗り込んでしまったようである・・・!


ここまで、車掌のセリフの端々や、ドラえもんの反応から、天の川鉄道は大いなる秘密を抱えており、のび太たちの行く末もロクなことにならなそうな雰囲気が漂う。

このミステリアスな進行が、「999」っぽいなと感じるのは僕だけだろうか?


天の川鉄道は、超空間を抜け、ようやく終点の星に辿り着く。やっと降りられると喜ぶ一同だったが、その星はいかにも辺境という環境で、人の気配も建物なども一切ない。寂しい終着駅のホームがあるのみである。

車掌は「宇宙の果てのハテノ星雲の端っこの星」なので、何もないという。確かに夜空を見上げると、半分の方向には星が一つも見えない。この星が端である証明である。

スネ夫たちは「こんな星は嫌、地球に帰りたい」と騒ぎ出す。車掌に事情を聞くと、「列車はもう来ない、さっきの便が最終便」だというのである。そして、またまた意味深なセリフ

「SLは無くなるのです。あれが発明されたから」

を告げて、「さよなら」と奥の車掌室に入ってしまう。このままでは帰れない。慌てて車掌室を開けると、車掌の姿は消えていなくなっている。

「宇宙の果てにおきざりだ」と泣き叫ぶのび太たち。

最終電車で酔っ払って乗り過ごして家からずっと離れた終点で目を覚ました時のような気分であろうか。違うか。


ところで、幾度も車掌が言っているSLを廃止させたアレとは何のことだろうか。本物のSLは電車に取って代わられた訳だが、同じようにもっと高速で便利な乗り物が発明されたということだろうか・・・。

勘の良い読者なら、おそらく序盤で分かってしまうのだろうが、最近発明された「アレ」とは、そう最も高速な移動手段「どこでもドア」のことである。


泣き叫ぶのび太たちの近くで「どこでもドア」が開き、ドラえもんが飛び出してくる。「大事な切符を使っちゃって!!」と怒っている。

ドラえもんは、最後のSL切符の発売日が、自分の誕生日のぴったり一年前だったので、保存用で購入していたのであろうか。。


現代でも未来でも、不便なSLは廃れる運命ということで、何だか物悲しいお話のように思えてならない。

便利かどうかが世の中の重要な尺度だろうが、不便の中に素晴らしい星の海があったりするものだ。

本作にはそうしたメッセージはないのだが、僕は本作を読むたびにそんなことを考えてしまう。


「ドラえもん」の名作洗い出し中です。


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