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Qちゃん以外全滅。『脱ごくしゅうと8ミリ』/VS.脱獄囚③

藤子F先生の絶筆となった大長編ドラえもん第17作(映画は18作目)「のび太のねじ巻き都市冒険記」。いずれ大特集をしなくてはならない作品だが、その中で注目すべきキャラクターが出てくる。

それが、脱獄囚・熊虎鬼五郎である。

「大長編ドラえもん」シリーズは、のび太たちが「ここではない世界」へと飛び出し、そこで凶悪な敵と対峙するのが定番だが、シリーズが進むごとに「敵」の凶悪さが薄らいでいく。

本作のヴィランとなる熊虎鬼五郎は、偶然のび太たちが作ったねじ巻都市に入りこんでしまい、さらに偶然が重なって自分のコピーが大量に作られ、一家を形成して、のび太たちと対峙することになる。

偶然敵になる役柄なので、別に脱獄囚ではなくても良かったのだが、流しの敵役としては、脱獄囚がぴったりだと藤子先生が考えたのではないだろうか。


これまで脱獄囚が敵キャラとなるヒーロー作品2作を記事にした。1967年の「パーマン」と1974年の「パジャママン」である。

子供の視点からすれば、ただの泥棒よりも、脱獄囚の方が恐怖感が増す。脱獄囚は、一度何かの犯罪を犯して収監され、さらに脱獄という二度目の犯罪をしているからだ。

よって、子供が主人公のヒーローものでは、ちょうど良い敵キャラということなのかもしれない。


本稿では「パーマン」と「パジャママン」の間に描かれた「新オバケのQ太郎」から一本取り上げる。これまでの二作と違って、オバQは完全なるコメディ作品である。

ギャグマンガにおいて、二度以上凶悪な犯罪をしている脱獄囚は、どんな役回りとなるのか。その点に着目して中身を検討していきたい。


「新オバケのQ太郎」『脱ごくしゅうと8ミリ』
「小学三年生」1972年6月号/大全集2巻

脱獄囚は少なくとも二度事件を起こしていると、先ほど述べた。収監に値する犯罪と、脱獄である。つまりただのコソ泥とは一線を画す凶暴さがあり、日常を舞台にしたヒーロー作品では格好の敵役となる。

ただ「オバQ」の世界では、脱獄囚はどのような形で悪役となるのだろうか。


本作は冒頭、正ちゃんの兄、伸一が借りてきた8ミリを使って劇映画を撮ろうということになる。Qちゃんは怪獣と戦う特撮を提案するが、怪獣の着ぐるみがないということで却下。続けて座頭市などのチャンバラはどうだと持ち掛けるが、衣装やセットが大変だとこれも却下となる。

身の回りで撮れる話が良いということで、正ちゃんは最近読んだ本の筋書きを思い出す。曰く、

・脱獄囚がある家に逃げこむ
・警官たちは気が付かない
・捕まった一家の主人公の少年は頭脳明晰
・折り紙飛行機に手紙を書いて隙を見て外へと飛ばす
・事件は無事に解決する

という、結構ワクワクするお話である。

ここで藤子先生のちょっとした企みに気がつく。脱獄囚を出すために、ヒーローものの映画の撮影というフォーマットを持ち込んだということなのだ。

似たようなパターンで思い出されるのは、米澤穂信先生の古典部シリーズ第二作「愚者のエンドロール」である。

古典部シリーズは基本的に学園ものなので、大掛かりな殺人事件などを扱うようなミステリーではない。しかし未完の自主映画の撮影というフォーマットを利用して、本格的なミステリー要素を描いているのである。


脱獄囚と戦うというストーリーは決まったので、次はキャスティングに入る。正ちゃんが頭の良い少年役をやると言うと、Qちゃんは頭のいいオバケを演じると対抗する。そんな役はないと、Qちゃんを突っぱねる正ちゃん。

他にも脱獄囚や警官、パパとママの役なども必要で、なかなか大掛かりである。あいにく本日は大原家は全員出払っている。そこでQちゃんが「外でキャストを集めてくる」と言って出掛けていく。行動力抜群のQ太郎なのだ。


ここで本物の脱獄囚が登場し、Qちゃんと入れ替わるように大原家へと侵入してくる。脱獄囚はかなりの大柄で、いかにもな刑務服を着ていて、手には出刃包丁を持っている。

正ちゃんは男を見て「ウヒョー、ピッタリだ、Qちゃん良い人を見つけたな」と大喜びするのだが、囚人にいきなりバシッと殴打されてそのまま縛られてしまう。


QちゃんはまずドロンパとU子に声を掛ける。ところがドロンパが「ドロボーごっこなんて下らない、Q太郎の頭の程度はあんなもんだよ」とバカにしてくるので、Qちゃんは怒って出て行ってしまう。

振り返ってみて、この時二人が映画の撮影に参加してくれれば、脱獄囚と渡り合うことができただろうが、二人のオバケをキャスティングから外したことで、この後とんでもないことになっていく・・・。


Q太郎は次にゴジラを誘う。ゴジラは「将来俳優になろうと思っているくらいだ」と快諾し、大原家へと向かう。ゴジラは歩きながら頭のいい少年役を要望するが、「君は脱獄囚だ」と告げられて、揉み合いとなってしまう。

揉み合ったまま大原家へと入ると、先に本物の脱獄囚がおり、正ちゃんが縛られている。ところがQちゃんは「正ちゃんが良い人を見つけた」と勘違い。状況を良く確かめもせずに、ゴジラに「君は刑事になれ」と言って、出ていこうとする。

脱獄囚はゴジラを殴ってダウンさせると、Qちゃんを追っていくのだが、パトカーのサイレンが聞こえてきたので、止む無く家の中へ戻る。


ここまででお話の大枠がわかってくる。本物の脱獄囚を役者だと勘違いしたQちゃんが、この後次々と映画のキャスト候補を連れて帰り、次々と脱獄囚に捕まっていくという流れが想像されるし、実際にその通りとなる。

いわば繰り返しギャグとなっているのだ。


脱獄囚は、縛り上げた正ちゃんとゴジラに「おかしな真似をすると首をねじ切るからな」と脅す。やりすぎなセリフで、思わず笑ってしまう。

そこへ今度はQちゃんがハカセを連れて帰って来る。ハカセも頭のいい少年役をご所望だが、Qちゃんはパパの役を任命する。勝手に正ちゃんのパパの背広を着せて「簡単だよ縛られて座っていればいいんだ」と告げるのだが、実際にハカセは脱獄囚にあっさりと縛られてしまう。

Qちゃんは、残りのママ役と警官隊役を見つけるべく、再度出かけていく。脱獄囚は今度こそQちゃんを捕まえようとするのだが、そのタイミングで本物の警察が尋ねてきたので、身を隠す。

警察は脱獄囚を追っているのだが、Qちゃんの頭の中は映画の撮影でいっぱいなので、警察を見て「撮影を始めるまで待ってて」と出演依頼をしてしまう。

警察たちは「暇じゃない」と怒って帰ってしまい、脱獄囚はホッと一息。縛られた正ちゃんたちは「Qちゃんのバカ、まぬけ、とんま!」と怒りを口にするのであった。


さて、ここで賢明な読者ならお気付きだろうが、現実が今回映画にしようとしていた脱獄囚と天才少年のお話に近づいてきているのである。

正ちゃんは「こうなったらあの手しかない」と、折り紙飛行機で救助を求める作戦を思いつく。幸い、先ほど実際に紙飛行機は折ってある。脱獄囚の目を盗んで手紙を書き、後はこれを飛ばすだけ。

ハカセが脱獄囚をトイレに付き合わせている間に、ゴジラが足で窓を開け、正ちゃんが足で紙飛行機を外へと飛ばす。この三人の連携プレーは、まさしくドラマのようなスリルがある。


ところが映画で考えていたようなストーリー通りに進行してくれない。紙飛行機を外へ飛ばすことには成功したが、これを拾ったのは警察ではなく、ママ役としてヨシ子を連れてきたQちゃんだったのである。

Qちゃんは本物の救助の手紙とは全く想像もせずに、「撮影も始まってないのに飛ばした」と正ちゃんをバカ呼ばわり。よっちゃんに「この手紙早すぎる」と伝えるよう告げて、Qちゃんは警官役を探しに行ってしまう。

よっちゃんが言われた通りに大原家に入り、「脱獄囚がうちにいます」という文面の手紙を脱獄囚に渡してしまう。当然、怒り狂う脱獄囚。殺してやると追い回しているところに、今度は自ら木佐が映画出演を熱望して訪ねてくる。

次々と子供たちがやってきて、そのたびに縛り上げることになる脱獄囚は、「もう縛るの飽きたよ」と辟易してくる。さらにそこへ、正ちゃんの兄・伸一とパパとママがお出かけから帰宅してくる。「お前らいい加減にしろよ」といよいよ機嫌を悪くする脱獄囚・・・。


まるでドリフターズのコントのように、繰り返しギャグが流れるように続いていく。そして堰を切ったかのように、ラストのドタバタへと突入する。

警官役の友人が見つからないとQ太郎。町中には脱獄犯を追っている警察がウロウロしているが、Qちゃんはもう映画のことしか頭になく、どうにかして本物に出てもらいたいと考える。

怖いもの知らずのQちゃんは、警察官二人の帽子を奪って大原家の中へと誘導する。中に入ると、脱獄囚に縛られた面々がいる。Qちゃんは脱獄囚に「やたら縛ればいいってもんじゃない、それぞれ役があるんだから」と叱り飛ばす。


結果的にはこのQちゃんの行動が功を奏す。警察は脱獄囚を見つけて、「ここにいたか」と大捕物帳を始める。それを見たQちゃんはすかさず8ミリカメラを回そうと思うのだが、中にはフィルムが入っていない。

Qちゃんは慌ててカメラ屋に飛んでフィルムを購入してくる。ところが戻ってきたところで、脱獄囚は警察たちに捕らえられてしまっている。「まだ撮影してないのにっ」と筋違いの怒りを爆発させるQちゃん。

部屋の中では、ようやく脱獄囚から解放された面々がいるが、Qちゃんは「勝手に縄を解いちゃって、諸君やる気あるの!」と激怒。最後の最後まで、脱獄囚が本物だったと気が付かないままのQ太郎なのであった。


本作のポイントはいくつかあるが、まず一つ目は脱獄囚の目を盗んで折り紙飛行機を飛ばすという映画を撮ろうとして、実際に事件が起きてしまうという展開の面白さが挙げられる。

次に脱獄囚のことを最後まで本物だと思わず、映画の撮影のことで頭がいっぱいであり続けるQちゃんのバカらしさも見所である。

さらに本作の工夫として、ドロンパやU子を映画のキャスティングから外すことで、脱獄犯対オバケという構造にしなかった点が目につく。ただ、本来Qちゃんと共に行動するO次郎が、作中何の説明もなく一切登場しなかった部分は、ちょっとだけ引っ掛かる。


いずれにせよ、凶悪な脱獄囚を最後まで認識しないQちゃんという、いかにも「オバQ」な物語であり、その完成度の高さにも惚れ惚れする一作なのである。




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