「正ちゃんはもう子供じゃないってことだな」『劇画・オバQ』後編/オバQ異色作④
時間もないので、さっそく前回の続きから。
まずはこちらを必ずお読みください!!
個人的に藤子作品の中で、最もショックを受けた作品である『劇画・オバQ』。前稿で触れた部分では、15年ぶりに正ちゃんとQちゃんが再会するが、すっかり大人になっていた正ちゃんや、すっかり開発が進んでいた町なみなどが、痛切に活写されていた。
特に印象的なシーンとしては、Q太郎がいつものように20杯のご飯をお代わりしていると、正ちゃんの奥さん(よっちゃんではない)が、「マンガならお笑いで済むけど現実の問題となると深刻だ」と語る場面が挙げられる。
この漫画は「マンガ」ではなく「現実世界」なんだという意味で、作画を劇画タッチにしたということがよくわかるシーンとなっている。
さて、今回は大人になったゴジラの家で同窓会が行われるシークエンスから見ていこう。
正太・ハカセ・ゴジラに続いて、残りの仲間も登場する。木佐君はサングラスなどを掛けていて、すっかりキザなキャラクターのまま大人になったようである。よっちゃんはすっかり女性っぽくなり色気も出ているが、既に二児の母親となっている。ハカセは遅れての参加のようだ。
Qちゃんはさっそくゴジラに飲めない酒を勧められて酔っ払う。よって、同窓会の前半はQちゃん無しで語らいが行われることになる。話題の中心は、ハカセについてだ。
ハカセはあまり皆と関わってこなかったようだが、噂は伝わってきている。
正太は愚痴っぽく、「近ごろ新事業に加われと僕のところへ来るんだ」と語る。木佐は「要するにガキ、早く大人にならなきゃダメだ」と辛辣である。
そんなところにハカセがようやくやってくる。途中から話を聞いていたようで、「子供っぽくてすみません」、と一言添えつつ、「若ハゲだけは進行したけどね」と茶化す。・・・ただ、昔からこの程度の若ハゲだったような気はする。
ハカセは唐突に「いいものを持ってきた」と言って、懐から一枚の布切れを取り出す。その布の真ん中には「Q」の文字。これは何と、かつてみんなで無人島に行った時の「オバQ王国」の旗だと言うのである。
「オバQ王国」については、前回の記事でも触れているので、是非そちらを参照いただきたい。
子供の頃の「オバQ」の象徴的なエピソードが語られて、すっかり懐かしがる面々。ここからは酒も回り出して、昔の話に華が咲く。
思い出の中の子供の正ちゃんたちは劇画タッチではない。従来の「オバケのQ太郎」の丸みを帯びた絵柄である。
子供の頃はよくあんな無茶をしたものだ、自分の夢に向かって一直線・・・。正ちゃんはそして遠い目をして語る。
すると、ハカセが柄にでもなく「そこだっ!!」と絶叫して、ダンとテーブルを叩く。そして鬼気迫る表情で熱弁を振るうのである。
ハカセと言えば元来冷静沈着な頭脳派のキャラクターであった。若ハゲの風貌は、大人びた性格の象徴とも言えるものだった。しかし、彼は大人になって、むしろ熱血漢に、感情的な人間になっているようである。
また深掘りすれば、このハカセのセリフは、就職して一週間で会社を辞めて漫画家になるという夢を追った藤子先生の思いの丈のような気もしてくる。藤子先生がわずか触れた大人の世界は、何か妥協の連続で、やりたいことよりはやるべきことに支配されているように思えたのではないか。
正ちゃんもハカセもゴジラもみんなまだ25歳で、大人の世界にまだ足を踏み入れたばかり。しかしそうした人間ですら、夢が一つずつ消えていくと悟らなくてはならない現実がある。それはおかしいのではないか。
そんな藤子先生の熱いたぎりがハカセの熱弁に宿っているような気がしてならないのだ。
感銘を受けたメンバーたち。まず反応したのはゴジラ。「良いこと言うぞこのハゲ!」と毛のない頭を叩き、「おめえはまだ立派な子供だぜ」と泣き出す。
続けて目を輝かせたのは正太。「僕は卑怯だった、君の計画に参加させてくれ!!」とハカセの肩に手を添える。奥さんのことを気にするハカセに、「つべこべ言わせない!黙ってついてこい!!これでおしまいさ!」とやけに景気が良いのである。
酔っ払っていたQちゃんも「僕も入れて入れて!」と飛び跳ね、木佐もよっちゃんまでも「人生かけるぞ」とハカセに賛同する。そしてヒートアップしたところで、
と、ハカセが持ってきたオバQ王国の旗を振る。そんな仲間たちは、従来の「オバケのQ太郎」の絵柄に戻っている。自由の旗の下に、永遠の子供たちが戻ってきたのである。
「ニョーボがなんだ、会社がなんだァ!!」と声高らかに叫び続ける正ちゃん。その祝祭は永遠に続くように思えた。
・・・だが。
翌朝。すっかり二日酔いで目を覚ます正太。すかさずQちゃんがやってきて、「夕べの決心を奥さんに話したか」と聞いてくる。「夕べのなにをだ?」とすっかり忘れている正ちゃんだったが、すぐに「そんな約束をしたっけ」と思い出す。どうやら記憶は無くしてはいないようだ。
Qちゃんに急かされつつ、「約束したことだから言うよ」ということで、奥さんに「話がある!」と真剣な表情で切り出す。すると同タイミングで「私も!」と奥さんも切り返す。
その奥さんの話とは・・・。正ちゃんは「ほんと!?」と話を聞いて驚いたようだった。そして、
大きく両手を上げて喜ぶその姿は、昨日の約束のことなどきれいさっぱり忘れてしまったようである。
奥さんが「正ちゃんにも張り切って貰わなくちゃ」と声を掛けると、「張り切るとも!!」と喜び勇んで会社へと出勤していく。Qちゃんはこの間、ただただ圧倒されている。
これまででもっとも表情を無くしているQ太郎。本来、喜怒哀楽を全力で表現するのがQちゃんのチャームポイントだった。しかし、今回人間社会に降りてきて、たびたび表情を無くし、感情が消え去ってしまう場面に出くわす。最後のページは、その最たるものとなる。
Qちゃんはとつとつと、独り言をしゃべる。
そしてさらに、トボトボと歩きながら、
Qちゃんの足元には、昨晩ハカセが取り出した「Q」の旗がヒラヒラしている。そしてQちゃんがオバケの国に戻ろうと空に飛びたつと、曇天の空に旗が舞い上がる。
「劇画・オバQ」の何ともやり切れない、終焉である。
子供の頃に僕はこの作品を読んだが、大人になるとこんな風になるんだろうな、と漠然と感じたものだった。子供ができたときに、もう子供ではいられないという展開に、説得力があるなと思った。
それからだいぶ月日が経ち、僕は遅い子供に恵まれた。この時既にいい大人になっていたのだけど、それでも僕は本作をすぐに思い浮かべた。これで僕はもう、子供じゃないって。
けれど、子供ができたから、家庭を持ったからという理由で、自分の夢を消してしまっていいものかは、やはり疑問に思う。夢を率先して諦める人間が、子供たちに夢を追えって胸を張って言えるものだろうか。
「劇画・オバQ」は切なさの極致のような作品だが、読み返すたびに心持ちだけはハカセであり続けなきゃならないんだと今でも思う。
そういうことで、本作は僕にとって後生大事に抱えていきたい重要な作品なのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?