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実は勤労感謝のお話『ぐうたらの日』/ドラえもんミニ考察⑦

あなたは知っているだろうか?
新たに6月2日に制定された国民の休日「ぐうたら感謝の日」を。

「ドラえもん」通でなくても、何となく耳にしたことのある方も多いと思うが、「ぐうたら感謝の日」はのび太が「日本標準カレンダー」というひみつ道具を使って制定した、新しい祝日である。

この日は誰も働いてはいけないと法律で定められ、その名の通り、国民全体でぐうたらする日である。

本稿では「ぐうたら感謝の日」が制定されたお話『ぐうたらの日』をテキストに、実はこの日こそ「勤労感謝の日」であるということについて語りたい。


『ぐうたらの日』「小学五年生」1975年6月号/大全集4巻

のび太、6月への不満爆発!

作品冒頭、のび太が6月のカレンダーを睨んで、不満を爆発させている。

「ついに今年も来たか・・僕の一番嫌いな6月! 一年を通じて最も不愉快な6月! 6月には国民の祝日が1日もないんだぞ。春休みとも夏休みとも関係ない・・。日曜のほか1日も休めない。こんなつまんない月があるか!」

6月に対してあまりに酷い言い草だが、確かに共感できる理屈ではある。

ちなみに、本作が執筆された1975年において週休二日制を取っていたのは松下電器(現パナソニック)くらいで、土曜日が半ドン、完全な休日は日曜のみとなっている会社や学校がほとんどであった。

個人的には6月が誕生日月だったので、初めて本作を読んだ時は少し反発を覚えたのと、僕が住んでいた千葉県が6月に県民の日を制定したことにより、少しだけのび太たちに優越感を持ったことを思い出す。

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絶大なる影響力「日本標準カレンダー」

のび太の嘆きを聞いたドラえもんは、「日本標準カレンダー」というひみつ道具を出す。このカレンダーをいじると、日本中のカレンダーがそれに合わせるという、国家を動かすほどの力を持った道具である。

カレンダーの上に祝日シールを貼ると、その日が日本全国お休みとなる。すごい影響力があり、さすがにのび太も躊躇するが、それに対してドラえもんは、

「休みが増えて怒る人がいるかい。みんなが喜ぶなら良いことだろ」

とあっさりしたもの。

何の祝日にするかとドラえもんが尋ねると、のび太は「勤労感謝の日があるんだから、ぐうたら感謝の日とでもするか」と抜群のアイディアを出す。こうして、この日は誰も働いちゃいけない日ということになるのだった。

それにしても、「日本標準カレンダー」は一介の少年が国民の祝日をあっさりと決めてしまえるスーパーパワーを持つ恐ろしい道具である。周囲の日付を変更できる「日づけ変更カレンダー」という道具に近いイメージだろうか。

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「ぐうたら感謝の日」の意義とは?

ぐうたら感謝の日が始まる。のび太は「底抜けに遊ぼう」と空き地に行くが、誰も遊びに来ていない。しずちゃんの家に行くと、「別に何もしてないわ。一日ごろごろしてるつもり」と、怪しい目つきでだらけている。

ジャイアンは「一生懸命遊ぼうなんてぐうたら精神に背く」と、こちらも怪しい目つき。言われてみればごもっともということで、のび太たちも家でテレビを見ながら昼寝をしようということになる。

家のテレビでは二人の男性がゴロゴロしながら語り合う番組が流れている。

「とかく日本人は、遊ぶことさえ必死になりますからねえ。こういう日が定められたことはとてもいいことですな」

と、モーレツ社会の流れに掉さす、良いコメントである。

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今でこそワーク・ライフ・バランスが当たり前の掛け声となっているが、本作発表時の1975年当時は、毎日残業して日夜働くことが一般的だった。「新前川レポート」では、当時の労働時間は年間2100時間ほどとされている。現在よりも250~300時間ほど多い。月平均で20~25時間長いことになる。

今回「新前川レポート」を見てわかったが、1970年頃から労働時間が減少し、1975年頃から多少落ち着いている。ちょうど日本人は働きすぎといった言説が出てきた時代だったのだろう。

その意味で、このタイミングで「ぐうたら感謝の日」を提唱したのび太(藤子先生)は、まさに時節を得たアイディアだったのである。


「ぐうたら感謝の日」のテレビ放送について

のび太たちが寝転がって見ていたテレビ番組は、事前に録画したものを自動放送したものだった。

僕が改めてこの部分を読み返して思い起こしたのは、コロナ禍におけるテレビのロケ番組で、「これは緊急事態制限前に収録したものです」というテロップが必ず流されていたことだった。

緊急事態制限下の取り決めを実際に守っていれば、別にそんなテロップは必要ないはず。けれど、「こんな番組作って良いのか」とクレームを入れる人がいたのだろうし、そういうクレームを予期して番組側が自主的に配慮したのかも知れない。

本作においても、のび太がテレビを見て「この人たち働いているよ」と呟いている。決まったことを守らなくてはならないのは当然だが、「本当に守っているのか?」と自主警察となってしまう国民性を思い起こす場面なのである。


「ぐうたら感謝の日」は「勤労感謝の日」である

のび太とドラえもんは朝から何も食べていないことに気付く。ところがママは、働いてはいけない日だから支度はしないと釘を刺す。「そ、そんな!」と慌てるのび太たちに、「一日くらい食べなくても死なないわよ」と冷たい対応。

出前を取ろうとラーメン屋に電話しても相手にされず、家の中にも食べ物は残っていない。

空腹に耐えられなくなりドラえもんは、しっぽのスイッチを切って活動休止する。

のび太は何かないかと外へ出るが、泥棒ネコが魚をくわえていたのを強奪し、焼いて食べることにする。すると同じく腹ペコで気がおかしくなっているジャイアンが「俺によこせ」と現れて、何とのび太の背中に火をつけて魚を奪ってしまう。

のび太は「火事だ泥棒だ、110番!」と走り回るが、交番も「本日休業」の張り紙が出されている。

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ここで、のび太も読者も気がつくことになる。普段私たちが祝日を享受できるのは、その時に働いてくれるママやお店の人や警察官たちのお陰だったということを。

ここでも僕はコロナ禍のことを思い浮かべる。緊急事態宣言下で不要不急の外出が禁じられていたとしても、社会は機能しなくてはならない。全員が動きを止めたら、困る人たちがたくさん出てくる。

いわゆるエッセンシャルワーカーの方々の勤労によって、それ以外の人々の安心な暮らしが担保されていたのだ。

「ぐうたら感謝の日」は、ぐうたら行為を感謝する日だったはずだが、実は心からぐうたらするためには、裏側で働いてくれている人がいなければならなかったことに気付かされる日なのである。

「ぐうたら感謝の日」とは、働いている人=勤労者に感謝する一日だったのだ。


「ドラえもん」の考察、たくさんやっています。

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