繊細な自分に悔しくて、もどかしかったんだ

とんでも長くなってしまいました。
でも自分の生き方の軸に近い部分と、自分の経験を踏まえて皆さんに伝えたいことを書かせてもらったので、最後まで読んでもらえたらとても嬉しいです。
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繊細な気質って言ったとき、皆さんどういう人を想像しますか?

例えば、
①感動モノのドラマや映画を見たとき必ず泣いてしまうような感情が豊かな人
②少し言われただけでも事態を深刻に受け止めてしまって立ち直るのに時間がかかるような豆腐メンタルな人
③五感をフルに使って他の人が気づかないところにも気づいてしまうような歓声が豊かな人、、、

色々いると思うんですね。
僕が今回述べたいのは「繊細」な人は、良い面と悪い面が紙一重なのに意外と自分のいい面に気づけない人が多い。だから今回は自分が学生として生きてきた中で発見できた「繊細さ」のいい面を取り上げて、これを読んでいる「繊細気質な人」に本当の自分を見つけてほしい。


そのためにまず、僕が大学で学園祭実行委員会に所属していたときの経験とそのときの僕の心理面について話をさせてほしい。


【大学一年生の自分】

自分は「中途半端な目立ちたがり屋」だった。
何かのプロジェクトが始まる際にリーダー役を買ってでたり、一年目ながら学園祭当日の役職をもっていたり、全メンバーが集まる総会では積極的に意見を提起したり。でもいざ前に出ると引っ込んでしまったり。

「自分はすごいやつになりたいんだ」と思っていた反面、心の中では「周りからどう見られているんだろう?」って気にして「役職もってちょっと有名になったかな」とか思ったり、「あの人すんごい目立ってるななんだあいつ」とか思ったり。
もうこの時点で「誰かと比べてしまう自分」「誰かに嫌われたくない、好かれたい自分」がそこにはいた。今思えば恥ずかしいけど。

【二年生になって】

そんな自分が見え透いていたのだろう。チーフ選挙なるもので落ちたところから一年が始まる。
そんな人間的にもクソで落ちこぼれた自分を局長の先輩がいじってくれて居場所をもらえた。今思えば本当に感謝しかない。だけど、当時の自分は「自分がどう見られているか」を考えることに精いっぱいだった。
「なんか面白いこと言わないと」と思って結局空回りしたり、「自分って愛されてるのか」とか勘違いしたり、そしてそんな中で「齟齬王」と言われたり。
結局「周りから見える自分像」に取りつかれた結果、あること為すことに一喜一憂するようになっていたのが、段々全部自分のこういう所がダメなんだって思ってそれを頑張って直そうと思うようになって、そして遂には自分を見失い自信をなくしてしまった。

画像1

まさにこんな感じ。

何よりつらかったのは「齟齬王」と言われたことにしても、自分の何が足りなくてそうなっているのか、どうすれば直るのかというところを色々試行錯誤しようとしたり考えたりしても「最後まで分からなかった」ということだ。この「分からない」という状態は今年になってまた浮き彫りになるが、その話はまた後で。

こんな状態で二年目は終わった。



【三年生で部署移動】

三年生では、自分なんかにその部署(局)にいても何もできることはないんだろうと思って、だけど組織全体を見てきたという自負はまだあったので選挙と部署移動を考えた。
結果、選挙には敗れて部署移動を考えた結果、自分を受け入れてくれる局があるってことでそこに移動することを決めた。これが転機になった。

その局の同期や後輩はその局について何も知らなかった自分に対しても、とことん優しくて何か自分が意見を言ったときも受け入れてくれたり、あるいは真っ向からぶつかってくれたり。後輩から遊びに誘ってもらったり。
そんないろいろな経験を通じて、「仲間がいることのありがたさ」をすごく強く思うきっかけになった。
そんな仲間に巡り合えたからこそ、気を遣うことなく話すことができたし、自分を出せるきっかけになって、そういう経験があったからこそ、繊細気質な人の強みにもなり得る「人を想う」ことがどれほど相手に力を与えられるかを身に染みて感じた。


このような経験を通して、「繊細気質」には以下のようなネガティブな性質があると思う。

【繊細気質のネガティブなところ】

・「相手にどう思われるか」をすごく気にしてしまう。
・周りに流されてしまったり、無理に相手に合わせてしまったりする。
・何かショックが起こると、必要以上に真剣に受け止めてしまって自信を
 失くす。

こんなネガティブな気質はどうして出てしまうのか?
僕の経験から言えるものとして、それは「誰かに嫌われる」ことにとてつもなく大きい抵抗を抱いているんだと思う。みんなに好かれていたいから、「みんなの好き」を自分で予測するけど、でも本音を話しちゃうと嫌われるかもって思って本音を話せなくなる。そして、「みんなの好き」を当てるためにあれこれ悩んでしまい、結果的に予測していたものも外してますます自分が嫌になるという悪循環。
要は「相手ベースにものを考えすぎてしまう癖」がついてしまうのだ。

でも自分を相手に合わせる考え方をすると、自分が苦しくなるんだ。
なぜなら、それは生まれ持っているであろう「本来の自分」ではないから。だから、「繊細気質な人たち」にこう伝えたい。


「もっと自分を出しなさい。ちょっとやそっとじゃ嫌われないから。」


実際にこう思って、段々自分を出せるようになってからすごく気分がよくなった。それでも合わない人がいれば、それはそういう運命なんだと割り切ってしまえばいいんだ。

そして自分を出すことで発揮できる「繊細気質な人」の力を以下に挙げたい。

【繊細気質な人が持つ力】

・相手ベースの考えをしていたからこそ、相手のことをより思いやれる力が
 ベースになってくる。

⇒それによって、誰か悩んでいる人を助けてあげたり、相手がこうしたい
 というのを引き出してあげたりできる。

・五感と頭を常人よりフル活用する能力が付いて、感性が豊かな人間になれる。

これら二つの力は、先ほど書いた「ネガティブなところ」とそれをどう捉えるか次第で紙一重なものである。自分を出せるようになった人たちが「自分はこれを達成したい」「自分はこういうことをやりたい」と思えるようになった時に、とても強い武器になると思っている。

だから、自分がいろんなことを感じちゃうからって、自分を責めることなんて必要ない。むしろ、そんな人間だからこそ発揮できる強みがある。
もちろん、「繊細気質じゃない人」だって、自分を責めてしまったら他人を気にするようになってしまうかもしれないが、自分を責めてしまっては自分の持ち味を発揮できなくなるはず。

人間には人それぞれ強みがあって、それを普段の仕事や生活で最大限に生かすからこそ社会はよくなるんだと信じている。

だから、この記事を読んでくれた人には「自分にも弱みがあるけど、それは強みにもなり得るんだ」って自信をもってほしいと強く願う。

それはもちろん自分もね。


しゃーく

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