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『ワールド・クラスルーム』で実存の欠片を知る

六本木ヒルズの森美術館で開催されている美術展「ワールド・クラスルーム」に行った。収蔵作品を「国語」、「社会」、「哲学」、「算数」、「理科」、「音楽」、「体育」、「総合」のセクションに分けるという切り口で、導入部の明快さとそこからの飛躍を楽しめる豊かな展覧会だった。その中から、いくつか気に入った作品を受け取ったものを書き残しておきたい。


「社会」より。アイ・ウェイウェイの「漢時代の壺を落とす」。コカ・コーラのロゴがあしらわれた壺と、その背後にあるタイトル通りの連続写真。まさに歴史を新しい角度から見つめ、その上で自分の解釈とメッセージを刻み付けた作品。シニカルさやアウトローさ含め、作家の身体性が宿っている。



「国語」より。「社会」より。米田知子の「見えるものと見えないもののあいだ」シリーズで、《フロイトの眼鏡-ユングのテキストを見るII》と題されたもの。精神分析の2大巨頭、決別に至った関係性を眼鏡を通し想像させる作品。決別した人物が残した言葉を見つめる目線には普遍的な痛みがある。


"身体性"と"残す"というのは、この展覧会を通して浮かび上がってくる1つのテーマだった。作家の強い意志と、残された実存。学校教科という誰もが共有している切り口/枠組みだからこそ、そういった作品の固有性は強まる。


「社会」より。ヴァンディー・ラッタナの「爆弾の池」シリーズ。痛ましい戦争の痕跡と、それが地域の人に"池"として定着しているという事実。そしてそれを写真という形で切り取る作者。場所、時間、作家がこの瞬間だけに交差して生まれた作品で、ここにはそれぞれの"実存"が宿っていた。



「社会」より。ク・ミンジャの「怪物のおなかの中」。作者がその日食べたものの残骸をスライドショーにしたもの。痕跡の羅列、その散らかり方、趣味嗜好、全てが羅列されていくことによって、確かな作家の身体性が浮かび上がっていく。そして驚くような大量消費に目を向けざるを得なくなる。



「国語」より。ミヤギフトシの「オーシャン・ビュー・リゾート」。作者が出身地の離島を再訪して撮った映像に、戦争と個人的な関係性についての語りが重なった作品。そこにある記憶の中に鑑賞者を漂わせ、紛れもなくそこにあった感情の風景へと連れ出す。"個"を"世界"へと繋がる、真摯な作品。



「理科」より。宮永愛子「Root of Steps」。常温で気化するナフタリンを素材に六本木で働く人々の靴の形を彫刻にした作品。このハコが取れてしまえばそこには跡形もなくなってしまうが、確かにそこに実存の欠片は残る。この世界とは、こうした余韻の集合体なのではないかと思わせてくれるのだ。



最後に最も刺さった作品。「哲学」より、ツァイ・チャウエイ「豆腐にお経」。お経が書かれた豆腐が徐々に朽ち果てる姿を収めた映像作品。この無常な時流の中に自分もいるのだということを強く思う。朽ちっぷりに少し笑ってしまったのだが、笑っていなきゃ寂しくなるからだなぁとか思った。東京の旅の中、1人きりでそんなことを思う時間は虚しくも満たされていた。


#日記#イベントレポ#美術展#アート#現代アート #ワールドクラスルーム #森美術館


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