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瞑想って何?/12.瞑想の練習

まっすぐ座り、両手を膝の上に置いて、
指を軽く握り、親指を互いに触れ合わせます。
体幹をサマム(まっすぐ垂直)にします。
体はリラックスしつつ、安定させます。
(瞑想の間中、同じ姿勢でいるが、緊張や不快感がない状態)

48分間、同じ姿勢で楽に座っていられたら、
アーサナ・シッディを得たこと(長時間座る練習の完成)になります。
48分間を1ムフールタムと呼びます。
脚を組んで座ることは瞑想の成功を保証するものではなく、
あくまで快適にするためのものです。
瞑想するのに十分快適な姿勢でなければならないが、
快適すぎると眠ってしまうかもしれません。

上下左右を見ず、まっすぐ前を見ます。
目は優しく閉じ、鼻先に焦点を合わせます。
目は固く閉じてはいけません。
目を閉じるのは、上まぶたが下まぶたにそっと触れるような意識的なプロセスです。
もう一度、目を開き、
そして閉じ、上まぶたがそっと触れ合うようにします。

視覚化によって外側の世界を外側に保つ練習をします。
山々を思い浮かべます。
これらの山々に関して、
あなたは何も要求せず、感謝し、意識的な人です。

同じように、海に対してあるがままと異なることを求めません。

公園の木々を思い浮かべてみてください。
繰り返しますが、あなたは同じように感謝し、客観的な人です。

今度は一般的な人々、
つまり異なる文化、人種、宗教、国籍の人々についてイメージします。
あなたは彼らをありのままに受け止め、客観的になることができます。
背が高くても低くても、
男でも女でも、
自分の中に偏見を持たなければ、すべての人を客観視できます。

母への想い、母への愛と気遣いを、
その気持ちを邪魔することなく思い浮かべます。
あなたの母はそういう人なのだと受け入れます。

父を思い浮かべ、
「私の認識においては、彼はこうだ、あるいはこうだった」と認識します。

あなたの配偶者、子供、兄弟姉妹、友人についても同じように、
私の認識において彼らはこうであると言えます。

あなたを悩ませる人がいるなら、
その人を客観視し、
その人がその人である自由を認めればよいのです。
その人の振る舞いを承認しろと言っているのではありません。
あなたはただ、その人があなたの知覚の中でそうであることを認め、
その人のすべてを頭から降ろし、
その人がありのままでいる自由を与えるのです。

次に、自分の身体に注意を向けます。
頭から足の先まで、体の各部分をこの順番で視覚化します。
頭頂部、額、眉毛、まぶた、鼻、唇、あご、
右の耳たぶ、右の頬、左の耳たぶ、左の頬、
顔全体、後頭部を視覚化することから始めます。
首、右肩、右手を視覚化します。
左肩から左手を指先まで全て視覚化します。
胸、腹部、肩から下の背中を視覚化します。
次に脚に注意を向けます。
右の太もも、膝、膝下、足首、足を視覚化します。
左の太もも、膝、膝下、足首、足を視覚化します。
身体全体を視覚化し、
身長、体重、性別、年齢、健康状態、色、外見について、
その身体がどのような状態であるかを理解します。

全身を一望して視覚化し、
呼吸している銅像、生きて呼吸している銅像として見ます。

次の段階は、プラーナヴィークシャナムと呼ばれるもので、
呼吸を観察することです。
(プラーナーヤーマではないので制御は行いません)
呼吸をするとき、吸うことと吐くことを意識します。
自分の呼吸を観察することは、
日中、興奮したり、動揺したり、腹が立ったりしたときに、
心を静めるためのとても効果のあるテクニックになります。
呼吸を観察することは、ある種の客観性と冷静さをもたらします。

次のステップは、触れる感覚を意識することです。
体のどの部分が床に触れ、
どの部分が互いに触れているかに注目します。
膝の上で握った指がどのように触れ合うかを観察します。
上下の唇が触れ合い、
まぶたが触れ合うことを意識します。

自分の考えを観察し始めます。
観察されている考えは概ね静かであり、そのままにしておきます。
この考えを意識しているのはあなたです。
イーシュワラとメンタルに関わる人であり、瞑想する人です。
あなたは考えの中でこのように言うことができます。
「おお神よ、
私に変えられないことを
素直に朗らかに受け入れる落ち着きを与えてください。
私に変えられることを
変える勇気と意志を与えてください。
変えられないことと変えられることの違いを見分ける知恵を私に与えてください」

それでは、考えの中でイーシュワラの名前を唱え始めます。
これをジャパと呼びます。
マントラがない場合は、
「オーム イーシャーヤ ナマハ」を使えます。
これは「神に挨拶します」の意味です。

メンタルのチャンティングは
呼吸とは関係がなく、
声とも関係がありません。
チャンティングが呼吸のリズムや声のかすかな使い方と
同期しないようにしなければなりません。

連続する2つのチャンティングのインターバルは、
観察すべき重要なスペースです。
マントラをチャンティングすることに専念するのはもちろんですが、
気が散らないようにそのインターバルも意識しなければなりません。
すべての注意散漫はそのインターバルで起こり、
インターバルを意識することで注意散漫を減らすことができます。

ベーシックパーソンとして、
自分が自分自身でいるために何の努力も必要ないことに気がつきます。
世界に対して、身体に対して、呼吸に対して、
そして考えに対して客観的であることによって、
あなたは意識的で認識的で客観的な人間なのです。
あなたは言葉や音を聞くことができるが、
あなたの意志はしばらくの間停止しています。
自由意志は特権であり、使うことも停止することもできます。
そうすれば、シンプルな意識的な人として、
緊張することなく、努力することなく、意志を使うことなく、
一瞬一瞬に起きていることに気づくことができます。

あなたは何も判断せず、
ただ自分自身でいることで
その瞬間を生きています。

「私は自分自身で心地よいです。
外側からの安らぎは必要ありません。
私は外側からの安らぎを必要としないので、
私は皆にとって安らぎの源なのです」
(次回に続く)

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