オナラことわざ辞典__5_

【オナワザ】#15 オッサン寄れどオッサンの知恵

2019年が始まり、たくさんの人が「今年の抱負」を掲げ始めました。

腹回りにほぼ日のアースボール級に肥大化した贅肉を蓄えた友人は「今年はコンビニ弁当を辞める」と言い、地球に比べれば衛星程度の「アイスの実」をいくつも投下していました。

まるまる2年近く彼女がおらず、休日を天井と壁紙だけ眺めて過ごしている友人は「すぐにでも彼女を作る」と言い張り、正月の夜をDT仲間との交流に使うと言い残して去っていきました。

なんとも素敵な抱負ではありませんか。
前向きだし、とても視座が高い。来たる新年に対して並々ならぬ期待を寄せているのでしょう。

そう、人間は想像力が豊かですから、機会さえあれば美しいバラ色の人生を描き切ることができるものです。
それは生きる活力になり、満ち溢れたエネルギーは心と体を健やかにしてくれます。


一方で「将来を描けない人が増えている」という話もよく聞く話で、今の子供たちが将来の夢を持っていない理由は「これは失われた20年のせいで…」と語るエセ田原総一郎がいますよね。
エセ落合陽一として私は「そんなの関係ねえ!」と言いたい。

今の子供たちは未来が希望に溢れすぎてよくわからないんです。
それを残念なオッサンのものさしで測ってはなりません。


まず、そもそも前提が違いすぎるのに同じ土俵で話をしようということ自体がおかしいんです。
老い先の短いオッサンと、これから何十年も生きて22世紀を目にするかもしれない子供達にとって「将来」という言葉が持つ重みはまるで違うでしょう。

22世紀なんて落合陽一でも分からないだろうし、エセ落合陽一の私にはドラえもんのひみつ道具から推測するので限界です。しかしオッサンは、雑居ビルのエレベーターほどの閉鎖空間を「将来」だと信じ込んでいる。
それもそう、オッサンにとっての将来は2030年程度のことなのです。

にも関わらず、子供が「タイムマシンを作りたい」と言えば「ちゃんとした将来を描きなさい」といい、「YouTuberになる」と言えば「まともな仕事にしなさい」という。
私は声を大にして言いたい。

オッサンの枠に子どもをはめるな!


はい、今日のテーマはこの「オッサンの思考硬化現象」についてです。
なぜオッサンは思考が固まっているのか、それを子供達に押し付けてしまうのか、社会問題になっているこの現象にメスを入れていきます。

そもそも、なぜオッサンの思考が凝り固まるのでしょうか

2つの原因が考えられます。
1つ目は「オッサンの歴史」という原因、2つ目は「オッサンのコミュニティ」という原因です。


1つ目「オッサンの歴史」についてですが、前提としてオッサンは非常に弱い生き物なのです。食物連鎖で考えればカマキリのオス以上、メス以下ぐらいでしょうか。なぜならオッサンは基本的にフィジカル的なハンディキャップ、口臭や体臭、抜け毛や水虫までを背負っています。
そのため無条件に女性からは忌み嫌われ、迫害され、でも自分ではどうしようもなく、自分が買った家で肩身の狭い思いをするのです。

しかし、そんなオッサンにも唯一の武器があります。
それは「経験」です。

オッサンは長く生きていたり、社会に出ているという点において、若い世代や女性たちより優位に立とうとします。「お前らは何もわかっていない」「俺の言うことを聞け」と。
そうすると、これまで信じてきた定説に強く執着してしまうのは仕方ありませんよね。「今の若いもんは!」と決め台詞的に使ってしまうオッサンがはびこるのはこのためです。


2つ目「オッサンのコミュニティ」という原因について、オッサンは排他的なコミュニティを作りがちです。
オッサンは主に女性から忌み嫌われてしまうので、家に居場所も話し相手ありません。すると同世代のオッサンか若い後輩としか話し合いができなくなります。しかも若い人に対しては「年功序列マウント」を取ってしまうので、基本的には一方的に「オッサン論理」を展開するだけとなります。

つまりオッサンのコミュニティは「オッサン×オッサン」「オッサン>若い人」の構図になります。するとオッサンは止めるもののない暴走機関車と成り果て、自らを肯定し続けることになるのです。
肯定されるしかないコミュニティで構築された論理ほどゆがんだものはありません。しかも思考する最中には必ずと言っていいほどホッピーが満タンに注入されています。そこでオッサン同士「そうだそうだ!」となるオッサンの教典が完成し、さだまさしの「関白宣言」に思いを馳せて帰路につくのです。


ですが、ご想像の通りホッピーを燃料にしてひた走る暴走機関車から論理的に筋が通った理屈は出来上がりません
おそらく「今時の若者はタピオカなんぞ飲んどるからすぐへこたれる」「(何か)ガツンと一回言ってやらねば」といった類の論理でしょう。

以上のことから、オッサンはオッサンの固定観念を育み続ける構図にあるのです。

しかし、最近少しずつではありますが「NEOオッサン」なる人種が台頭している模様です。
彼らは若い世代の風を自ら取り込み、オッサン思想に新たな息吹を注ぎ込み、また若い世代にもオッサン思想を混ぜ合わせようとする時代の風雲児です。

その代表例として「TikTokおじさん」なるものが存在するようなので動画をシェアします。
私も将来はNEOおじさんになりたいものです。


というわけで本日のことわざはこちら。

オッサン寄れどオッサンの知恵

【意味】
思考の凝り固まったオッサンが集まったところで、オッサンとしての答えしか出ないので、無意味だということ。

【例文】
待て、化粧水の開発会議に女性が1人もいない、これじゃオッサン寄れどオッサンの知恵じゃないか。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。