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ONARA RECORD #29「僕が僕であるために/尾崎豊」

今回ご紹介するオナラレコードは「僕が僕であるために/尾崎豊」です。

尾崎豊さんは1883年に高校在学中でありながらシングル「15の夜」とアルバム「十七歳の地図」でデビューしました。当時は売上も伸び悩んでいましたが、徐々に口コミで広まり「卒業」で歌われた過激な歌詞は話題となりました。特に10代からは熱狂的な支持を集め、彼の歌詞に感化されて校内暴力や学生による飲酒・喫煙が横行し、社会現象にまでなりました。
そんな尾崎さんの今も残る名曲に「僕が僕であるために」があります。

▼PV

▼歌詞


さて、まずはこの曲を簡単に3行でまとめてみたいと思います。

人は悲しい生き物で、他者とのすれ違いは避けられない。
だから、僕らは勝ち続けなきゃいけない。
正しいものが何か分かるまで、街に飲まれながらも。

なんとも深く、そして重い言葉ですね。
この曲を書いたのはまだ高校生の頃、18歳の青年が書いたとは思えません。

いや、ある意味青年の素直な想いがありありと描かれているのかもしれません。そしてそれは青年だけでなく、もっと普遍的な問いですね。

そんな若者の想いは「オナラレコード」なのです。
一体どんな屁理屈を歌っているのでしょうか。

それは、既読スルーの屁理屈を歌ったオナラレコードです。
すごいスケールが小さくなりましたね。

「既読スルー」はみなさんご存知ですか?
これはメッセージをやりとりするアプリで、既にメッセージを読んでいる(既読)にも関わらず返事をせずにスルーする行為を指した言葉です。

ではもっと具体的にイメージするため、ペルソナを一人立ててみましょう。

・高校生カップルの男
・「デートどこ行く?」など面倒な決め事を依頼されると既読スルー
・「昨日誰とご飯行ったの?」など都合の悪い問いをされると既読スルー
・「こないだ貸したCD返してくれない?」など嫌な依頼も既読スルー
・それ以外にも、不定期に既読スルー

これは既読スルーの常習犯ですね。なんだかこうまでパターンが読めてしまうと、「なぜ既読スルーしたか」という裏側の心理が透けて読めるのでとても冷めますね。
はい、では本当に「僕が僕であるために」がこんな男の屁理屈を歌っているのか、実際に見ていきましょう。
(尾崎さんが既読スルーしていると思って読んでみてください)

Let’s ONARA RECORD!!!


心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ

人という生き物は、厄介なことに「心」がある。
でもそれはいつだって分かり合えなくて、すれ違うばかりなんだ。

LINE、Twitter、Instagramでは何も伝わらない。
バーチャルは空虚だ。血が通っていないから。

故にバーチャルなやりとりは無機質だ。
そして同時に、無意味だとさえ思う。

でも僕が生きているのは、紛れもなくリアルなこの街だ。
そしてずっとここで生きていかなければならないんだ。


人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく

僕は人を傷つけたくない。
だから通知が来ても、目を伏せてしまうんだ。

「昨日誰と遊んだの?」

「友達と遊んだ」と言えば「それって男?女?」となる。
「女友達」と言えば「浮気じゃない」となる。

本当に下心は何もないんだ。
でもそれを証明する言葉も、スタンプも持ち合わせていない。

何度言葉を選んでも、優しい言葉を送れば相手を傷つける。
そうやって、人は皆傷ついていくんだ。


僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

僕は僕であるために、何にも縛られたく無い。
嘘をつけば、また別の嘘が必要になる。

そうして、社会に負けて行くんだ。

勝ち続けるために何が正しいのか、今は分からない。
それまでは安易に答えられない、「既読スルー」するよ。

それがこの胸に解るまで、この街に飲まれ、少し心許しながら、この冷たい街に歌い続けてみるさ。


別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ

LINEで返事をしない、そんなことで君は別れを選択するのかい。
もう一度確かめておきたいんだ。

僕はこんなにも愛していた。
それは無機質な文字やスタンプじゃ絶対に伝わらない。

でも君は分かってくれないんだね。

人は皆わがままだ。
君に限った話じゃ無い、誰もがそうなんだけれど。


慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから

確かに、慣れあいのような関係を続けていても、君を傷つけてばかりだ。

「明日どこに行く?」

(お金はかけたく無いけど、ファミレスはこの前も行った)
(カラオケは苦手だって言っていた)
(休みの日に遊園地で並ぶのは嫌だろう)

君のことはこんなに好きなんだけど。
考え込んでは、明日のことさえ君に伝えられないまま、またスルーしてしまう。


君が君であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

だから、君は君であるために、自分の選択をしていっておくれ。
正しいものは何なのか、自分で見つけなきゃならないんだ。

そしてその答えは端末の中に存在しないよ。
この街に生きている、君自身にあるんだ。

そう知った君は、この街に飲まれ、少し心許しながら、この冷たい街で既読スルーした僕の気持ちに重なるはずさ。


いかがでしょう。
デートの場所ぐらいまとめサイトで調べればいいじゃ無いか、そういう考えもあるでしょう。

ですがそれは尾崎さんが求めた「正しいもの」なのでしょうか。
誰よりも真摯に向き合うからこそ、答えが出せない。
それは真理かもしれません。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。