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仕事からも育児からもいよいよ逃げられなくなった時、初めて気づいたこと

私には、「仕事を盾に、育児から逃げている」時期がありました。

そしてその真逆で、「育児を盾に、仕事から逃げている」時期もありました。

結論から言うと、過去の私は育児も、仕事も、どちらに対しても覚悟が決まっていない生き方をしていました。
「こっちをやりたくないから、とりあえずあっち行こう」と目の前の課題から逃げていました。


育児からの逃げ

2人目妊娠中、私たちは横浜に住んでいました。
ちょうど夫は仕事を辞めて起業し、ゲストハウス開業準備を進めていた頃です。
ほぼ在宅作業で時間の融通が効く夫が家にいたので、来たる2人育児に向けてかなり余裕のある滑り出しでした。

一方で、まだ開業すらしていない夫の会社は売上ゼロで、経済的な不安がありました。
1人目育休からの復職後ずっと時短勤務だった私は、2人目の産休直前の数ヶ月のみですがフルタイム勤務に切り替えました。

そこで数ヶ月間だけ、私がフルタイムで働き、夫が子どもの保育園送迎や家事全般を担当するという、専業主夫的な家庭になりました。

これが正直めちゃくちゃ楽でした。

「会社に行く」という印籠を掲げるだけで、ご飯も作らなくていいし、掃除洗濯もしなくていいし、子どもの保育園送迎もしなくていいなんて。

今思えば、当時の私は終始逃げの姿勢でした。
突如出現した子どもに生活の全てを変えられ、悩まされ、これまでの人生経験もほとんど役に立たず、泣きたくなるばかりの日々。
その過酷な状況を正面から受け止めきれず、どこかに抜け道はないか、楽できないか、と考えていたかもしれません。
(もちろん当時は自分なりに全力投球していたつもりだけど)

「母親としての自分」ではない、今までの「自分のための自分」を守りたいという葛藤に苦しんでいました。
これまでのアイデンティティが崩れ落ちることへの強烈な恐怖と拒絶だったのだと思います。

そんな葛藤の原因が一時的に私の元から去ってくれるのだから、私にとってはつかの間現れた至福のボーナスタイムです。

今のところ私の方が稼ぎもいいんだし、このまま夫が先行き不透明なビジネスなどせずにずっと専業主夫をやってくれた方が家庭はうまく行くのではないか...と思ったこともありました。

しかし、

「じゃあ私はこのまま仕事に専心できるのか?」

と自問すると、それはそれで不安でした。

育児から逃げたところで、仕事にも向かえなかった

私の勤めていたDeNAという会社は、絵に描いたようなモーレツ系ベンチャー企業でした。新卒採用者の4分の1が東大卒という年もあったほど高学歴の若手がどんどん入社し、完全実力主義で年齢に関係なく優秀な社員はどんどん出世します。

26歳、中途入社1年目の時には肩を並べていたはずの同僚たちが、期待の新プロジェクトにアサインされたり、グループリーダーになったりしていく中、31歳社歴5年目の私はずっと同じ場所に留まっていました。

下からはどんどん意欲のある若手が出てくるし、野心のある人たちは起業や出世のためにさっさと退職するので、同じ場所に居座り続けるということは現状維持ですらない純粋な「衰退」でした。

産育休のブランクや時短勤務というハンデがあるんだから、多少伸び悩んだって仕方ないよね...と、育児を言い訳にしようとしたこともありました。

でもそんな甘っちょろい言い訳には自分自身さえ騙されませんでした。

なぜなら社内には産育休を乗り越えながらバリバリ活躍されている先輩女性が何人もいたからです。

当時ロールモデルとして自分の目に映っていたのは

「仕事も家庭もフルコミット☆キラキラバリキャリワーママ(もちろんオシャレも楽しまなきゃね♪)」

みたいな人たちばかりで、ああ、私はこの道も進めないんだと悟りました。

とりあえず仕事から逃げる

さて、そうこうしているうちに2人目アズキ(娘)の出産を迎え、私は2度目の産休に入りました。

いったんは自身の仕事問題を保留することができる時間です。

肩書きだけは社長の夫(収入ゼロ)と臨む2人育児がスタートしましたが、夫がそばにいるので2人育児も楽勝です。
アズキ(娘)の出現により荒れるマメ(息子)のケアも、夫がいることで手厚くできたので、マメはパパ大好きっ子になっていきました。
家族4人の時間をしっかりと確保できて、私も子どもたちも精神的にはかなり安定していたと思います。

育児の辛さ、仕事の辛さ、両方の負荷が軽くなったこの期間は、私に与えられた最後のモラトリアムだったなと今になって思います。

逃げ続けた私に突きつけられたもの

しかし、そんなイージーモードも数ヶ月で終了しました。
夫の開業の目処が立ち、横浜から金沢へ移住することに。
夫の仕事が軌道に乗るまで私たち母子は横浜に留まることを決めていたので、私は復職しました。

保育園送迎が大変、通勤も大変、仕事は相変わらずのハイプレッシャー、ヘトヘトで家に辿り着き、夜は暴君2歳児と0歳児の世話...。
近くに住む母親の家に身を寄せ、とにかく頼りまくってだましだまし生き延びるような毎日でした。

数ヶ月後、遂に退職して夫の住む金沢へ追っかけ移住することに。
やっと2人育児体制に戻れる...という期待は虚しく崩れました。
夫があまりにも仕事が忙しく休日返上で働きづめだったのです。
今度は正真正銘のワンオペ育児でした。

土地勘ゼロ、知人ゼロ。
仕事も、親も、全ての逃げ場がなくて、どうやってももう真正面向いて立ち向かうしかなくなりました。

未練がましく心の片隅に抱え込んでいた
「子持ちに見えない若々しさ」とか、
「バリキャリのキラキラワーママ」とか、
そんな外っつらの良さは捨てるしかない、とようやく悟りました。

「この子達の母親であること」を全力でやり遂げることだけが私のミッションだ。
そういう覚悟が、ここで遂に備わったのです。

何かに全力で取り組むということ

そういう経験って、例えば高校時代の部活だったり、大学受験だったり、きついノルマを課された営業職だったり、様々な場面で経験された方もいると思います。

でも私の場合、人生で胸を張って「100%全力でやりきった」と言えることがそれまで何もありませんでした。

とにかく自分に甘くて、ありものの才能だけで辻褄合わせて生きてきたんですよね。
そんな自分を実は恥じながらも、かと言って努力する根性もなく、結局何も変わらないままでした。

でもこの経験の後、やっと胸を張って「私は子育て頑張ってます」と言えるようになりました。

おわりに

子どもがいなかった頃、周囲の子持ち女性のことを

「なんかダサい」
「所帯じみてる」
「子ども中心の生き方ってかっこ悪い」

って思ってました。

私だけじゃなくて、若いうちは誰もがそう思うと思います。

「たとえ母親になっても自分だけは「あっち側」へは行くもんか」

って思っていたけど、その決意が結局のところ自分を苦しめていたんだろうなと思います。

「母親でいいや。だって私、母親だもんな」

って開き直れたあたりで、視界が晴れて気持ちが楽になった気がします。

めちゃくちゃしんどかったけど、何かに全力で取り組むことを教えてくれた子どもたちには感謝しています。

そして、これほど怠け者の私でさえ突き動かすことができた子どもたちの存在が、どれほど私にとって特別なものであるかも思い知りました。

その後は以前も書いた通りです。

今のところ、私を突き動かしてくれたのはまだ「子ども」だけなんだけど、何か他のものが現れてくれないかな、という期待はあります。

そして私の中ではとりあえず今こうしてnoteを書くことが一つの道だと思っています。
ここからどう進んでいくのかはまだ分からないけど!

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