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私は子どもにLGBTQをこう伝える

こんにちは、Shaniです。金沢で2人の子どもと夫と毎日仲良く暮らしています。

私には8歳のマメ(息子)と6歳のアズキ(娘)というふたりの子どもがいます。
最近ふたりに対して少し意識しているのが、LGBTQについてどのように伝えていくかということ。

わたし自身の話をすると、身体も性自認も女でヘテロ恋愛者です。
夫も同じく、身体も性自認も男でヘテロ恋愛者です。

夫は
「男だから"ふつうに"小さい頃からサッカーとか野球してきたし、"ふつうに"女の子のこと好きになって付き合って、適齢期になったから結婚して、結婚したから子どもを作った」
という感じで、いわゆる一般的な人生の流れで生きてきた人です。

私自身も人生のコマの進め方みたいな観点でいうと、結果的には”ふつう”の流れに沿って生きてきた人間なのですが、
だからこそ”ふつう”という尺度を他人に当てることには慎重でありたいとは思っています。

それが例えば、LGBTQ。

6歳のアズキ(娘)は絵に描いたような少女趣味で、プリンセスのドレスが大好き、キラキラも大好き、ピンクやゆめかわパープルも大好きです。

私もキラキラ大好きなので、娘と一緒にかれんちゃん(リカちゃん人形シリーズの一人)で遊びながら、ゴージャスなドレスを着せて凝ったヘアアレンジにして「可愛いねぇ〜」と母娘で共感し合っています。

でもすべての女の子が、ロングヘアでピンクでキラキラでスカートを履いてにっこり笑っているのが好きなわけではない、ということはきちんと伝えておきたい、と思っています。

たとえば、我が家でお絵かき遊びの際に重宝している「お絵かき辞典」という本があります。

先日、”女の子の描き方”のページにいた、ショートヘアでキリッとした顔つきのスポーツウェアの女の子のイラストについてアズキが

「あれ、この子は女の子じゃないんじゃない?」

と言いました。

「そう?そういう女の子もいるんじゃない?」
「でも男の子みたいだよ」
「なんで?」
「だって髪短いし、服とか顔もなんか男みたいだし」
「短い髪とか、そんなカッコが好きな女の子もいると思うよ」
「あぁ〜、じゃあ、男の子みたいになりたい女の子っていうこと?」

うーん、そういう訳でもない。

「男の子のような格好をしている女の子」の中には、
・男の子になりたい女の子、も
・男の子っぽいファッションが好きな女の子、も
・単にパンツスタイルやショートヘアを好む女の子、もいるはず。

でも、6歳との何気ない会話で、そこまで説明するのは難しいのも事実です。

「うーん、男の子になりたいわけじゃなくて、ズボンが好きなんじゃないかな」

と私は答えました。

アズキには「男の子みたいになりたい」と「ズボンが好き」の違いがまだ分からないかもしれないけれど。


また私は井手上漠ちゃんというジェンダーレスモデルのファンで、彼女のインスタを子ども達に見せたことがあります。

「この子すごく可愛くない?(可愛いね〜)本当は男の子なんだよ。(え〜?なんで女の格好してるの?)体は男の子だけど、気持ちは女の子とおんなじなんだって。世の中には、男だけど自分は女だって思う人もいるし、逆に、女だけど自分は男だって思う人もいっぱいいるんだよ」

この説明が不完全であることは自覚しています。

たとえば漠ちゃんは自分自身のことを「性別なし(ジェンダーレス)」と表現しており、「心が女の子」と言っているわけではありません。

性自認も、恋愛嗜好も、「男」か「女」に二分できるものではなく、人それぞれにグラデーションになっているはず。
(LGBTQを象徴するレインボーカラーに私はそんなイメージを読み取っています)

ただ、まだ「男の子」「女の子」という二分の括りで様々な事象への認識を深めることもおぼつかない状態の子どもに、あまり複雑な話も理解しづらいと思うので、一旦はそういう説明にしています。

例えば我が家には性教育のこんな絵本があるんですが、

まずは世界には男と女というものがあり、それぞれにこんな特徴があり...という基本が理解できていないと、その先の「グラデーション」という概念に進むことはできないと思うのです。

この辺はLGBTQに限らず、子どもへの説明を噛み砕く上でときに「嘘」が交じるのは仕方ないことではあるなぁと思っています。

例えば今朝も「くだものには”おさとう”が入っているから甘い」という話をしたのですが、実際に含まれているのは「果糖」であって「砂糖」ではないでしょ...みたいなことですね。
(おや、この説明は合っているのだろうか...自信ないけど...)


まぁそんなこんなでですね、今のところマメ(息子)は「男の子っぽい」し、アズキ(娘)は「女の子っぽい」んですが、
二人がこの先どんな指向になろうと、自分の好きなものを自由に好きでいればいいんだということは態度で示していきたいし、
同様に他人がどのような指向であろうと、それは他人の自由であるんだということも伝えていき続けたいと思っています。



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