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お披露目会後にこんな文章書くなんて正気か。

今日はこらっせるのお披露目会だった。

確実に準備不足だったし、いろんな人たちにダメ出しを食らったけども、なんとか開催することはできた。
ここにきて、自分が本当にダメな人間であることを再確認したし、今まで確かに天狗になっていたなと思わされた。
正直、もっとやれることはあったし、ぎっくり腰になるし、もういろんな人に迷惑をかけて、なんとも立つ瀬がない状況ではあり、色々頭がぐるぐるしながらではあるが、ここまできた。
達成感は少しあるけども、本当に周りの人たちに支えられての感謝の気持ちと、まだまだこれからなんだなという気持ちでいっぱいである。


特に直前準備めちゃ頑張ってくれたわたるくんとジーニョさんには感謝すぎる。


今回は、ここまで(こらっせる開業まで)をチェックポイントに3つの気づきをここに書き残したいと思う。まず一つ目。

緊張するなよ。

僕はこらっせる開業直前にぎっくり腰になった。去年も同じような時期になったのであるが、今回は草刈り中に発動した。
マジで動けないくらいの痛みがきて、そこでまたお手伝いしてくれている航くんにたくさんのご迷惑をかけた。

原因は、日々の運動不足と、筋肉の硬直によるものだ。
突発的に頑張ろうと感じてしまい、日々動かされていない筋肉を酷使したのと、ストレッチが不足していて、筋肉が非常に硬くなっていた。

多分それは、肉体だけではない。もうすぐこらっせるのお披露目会が開催される、という緊張感や、それなのに何もできていないという焦り、そこに対して心配してくれたり、叱咤激励をしてくれる周りの方々に対して答えないと、という義務感により、僕の頭の中も硬直していた。

なんか最近、こらっせるに対して思考が回らないと思うようになった。今回のお披露目会もそうだし、こらっせるの内部のいろんなことに対して、全く頭が働いていなかった。
それは東海学生アワードの実行委員長をするようになって特にかんじた。なんでかっていうと、アワードの実行委員に関してはめっちゃ頑張れるからだ。
どうもそれは当事者意識がどうこうみたいな話ではないと思う。なんならこらっせるの方が自分が真ん中のことだし、アワードは自分だけのことでもない。

多分それは、周りに怒られないか、評価してもらえるかが、行動指針になっていたからだと思う。
「これをしてほしい」「あれまだしていないのか」
と聞かれるたびにああ、やらないとって冷や汗をかきつつも、なんか動けない自分がいた。要するに行動が後手後手なのである。

なんか同じ経験を前もしたことがある気がする。そうだ高校の部活の時だ。先生が怒るとすごく怖い人だったので、どうやったら怒られないかを考えるたびに、がんじがらめになって、よくわからんバグみたいなプレーになってしまったことを思い出した。

今のこらっせるに対する自分はそれだ。取材を受ける時も、
「ちゃんと頑張れていないのに、こんなこと言っていいのかな。」
って頭の中に雑念がよぎりまくった。

でも待てよ。これは俺がやりたいことをやる場ではないのか。
自由には責任が伴う、とは逆に、責任が伴えば自由にやる権利があるのだ。
何度も何度も、「光太郎がやりたいようにやれ」って言われ続けてきたのに、潜在的に僕はそれを無視していた。

目の前に転がるやらなきゃならんことにばかり目がついて、本当に自分がやりたいことに目が向いていなかった。もちろんこれがやらなきゃいけないことを放棄して、やりたいことをやる、のではない。
やりたいことがその先にあるから、今やらなきゃならないことをやるのである。

アワードでのMTGで調子こいて「タスクバカになるな。論点バカになれ」って言ったのが今特大ブーメランとして自分に刺さった。しかもこの言葉って本の受け売りだし。

目指しているものがあって、それに向けての一歩として今やるべきことがあり、その先に自分がやりたいことが広がっているのだ。当たり前のことを言っている自分に腹が立ってきた。

だから、自分は周りからの評価を気にしまくった結果、その評価を得られるような頑張りもできず、本質を見失う、なんて状況になっていたのである。
クソッタレだ。情けなさ極まりない。

これからの決意

僕はもっと自分がやりたいことを追求する。その解像度を上げる。それはすぐできることではないかもしれないけど、いろんなものを見て感じて、越境して、たくさんの知見を得て、進める。
その中で改めて自分が今やらないといけないことはなんなのかを再配置する。具体と抽象をとにかく行き来するのだ。

二つ目の気づき。

僕の目指したいものはこれなんじゃないか。

今日こらっせる開業日ということで、たくさんの人に来てもらった。運営とお客の境が全く存在しない、全員が当事者で全員が参加者という一体感のある空間があった。大体こらっせるでイベントがあるときはこんな感じになるのであるが、今回もそんな感じだった。

でもいつもは主体は僕ではなく、航くんだったり、いろんな人が主催していたため、すげえ居心地いいなあと思いつつも、まあ航くんが集めてくれたからな!って思っていた。確かにたくさんの人が「こらっせるいいねえ」とか「また来ます」って言ってくれて、実際にまた来てくれるんだけど(嫌味ではない)、それはこらっせるだからなのか?と疑問視していた。

でも今回、初めてこらっせる、および僕が主役のイベントをしたことで、本当にこの環境は素晴らしいんだ、そして僕はこの空間を作りたいからこらっせるをやっているんだ、って気づいた。

ヨソモノの友達と地域の子供が仲良くしてる様子。これ初対面やで。

いろんな属性の自分が仲良くしている人たち同士が楽しそうに語らっている場。いつもだったら絶対に触れ合わないけど、こらっせるという共通の場があるから出会うことができる。それの間に立って、
「な!この人面白いだろ!?」
って鼻息荒く、ニヤニヤしていられる。

僕はゲストハウスがしたいからこらっせるをやっているのではなく、
初対面でも、なんも共通点なくても仲良く話せるようなあったかい場を作りたいからこらっせるをやっているんだ。

それに付随して、関係人口だったり、地域貢献みたいなことばは出てくるけど、それが真ん中ではなく、いろんな人たちにここで語らってもらいたいってことが大事なんだなと思った。

これは一つ目の気づきにもつながる。この抽象的な自分のやりたいことの言語化を叩き台に、いろんなものを見て学んで、その解像度を上げていきたい。

これからの決意②

「初対面でも、なんも共通点なくても仲良く話せるようなあったかい場を作る」について、関連するいろんな書籍や、場所、人に会うことでより解像度を上げる。また、それを本気で取り組んでいる人の話を聞いてノウハウを学び、こらっせるにいかす。

三つ目の学び

人が金に見えていないか?

大変失礼な見出しだったが気を悪くしないでほしい。
でも実は僕が一番問題視していることはここかもしれない。
もちろん事業を回していく以上、それで食っていけるのかだったり、ある程度の稼ぎを作らないといけないと考えるのは当然だ。
けど、それによって、本当に価値を届けないといけない人に対して目が向かずに「金を稼ぐには」ということにばかり目が向いてしまうのは本末転倒甚だしいと思う。

特にこらっせるに関しては、稼げるから始めた事業ではないし、自分の自発的な好奇心によって始めたものだ。だからそれが必ずしも稼ぎに直結しているとは限らないし直結しているとはかぎらないし、稼ぎにつなげるならそれ相応に失うものもできてくる。
僕がその辺を器用にできて、取捨選択できたらこんなことで困らないのであるが、地域目線の意見・外側からの要望・自分のお財布事情など、いろんなことを考え出すと頭がショートしていた。

特に自分のお財布事情に関しては、自分的に非常に頭のキャパを持ってかれるものであり、それが原因でちゃんとお客さんに価値を届けることに関してのベクトルがうまく向いていなかったように感じた。

先の二項でやりたいことにフォーカスすることを決めたが、それでも自分のお財布事情に関しては切っても切り離せないので、他でちゃんと稼ぐことを考えた。
こらっせるはライフワーク(生き甲斐となる仕事)に。他の仕事をライスワーク(飯を食っていくための仕事)に。と言った具合である。

もちろん今までも他の稼ぎの手段は持っていたが、もっとその位置付けをしっかりさせてライス・ライフワーク双方にしっかり意味合いを持たせた働き方をしたいなと感じた。

ライスワークとはいえ、全く関係のないことをしていても仕方ないので、まちづくりコーディネーター的な仕事しっかり担えるようになりたいなと思っておる。

これからの決意

ライスワークとして新しい仕事をしっかり見つける。でもそれがライフワークとシナジーがないと意味ないので、ちゃんと連結することを仕事にする。
いつかは東京と旭で二拠点生活したいなあ。

まとめ

という感じで長々と頭の中で固まってるのか固まっていないのかよくわからん状態だった気づきたちをあらためて言語化した。お披露目会後にこんな重い文章を書いているなんてドMだなって思うけど、そんな性格だから許してほしい。
日々内省をし続けて僕は成長していく。今はいろんな人に迷惑をかけるけど、それに甘んじずに、一方で気にしすぎることなく、自分が目指すことを言語化し続けて、その上で今やれることを洗い出す、具体と抽象の荒波をサーフィンして生きていきたい。

まだまだこれからジャーい!




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