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どんぐりゴマを見て、何を思う

(今回は、「である調」でいきたいと思います。)

僕は最近、どんぐりゴマを真剣に作っていた。(まじで)
とにかく回るどんぐりゴマを作っていた。めちゃめちゃどんぐりゴマを作っていた。
というのも、大学の授業でどんぐりゴマを作るという課題があったからだ。
僕は完全に選ぶ授業を間違えたと思う。周りには保育士志望の家庭的な女の子たちがいる中、一人、屈強な体格の男がいるという光景は異様でしかない。
だが単位を落とすわけには行けないので、仕方なくどんぐりゴマを作りまくった。

まず、公園でいくつかのドングリを集めた。平日の公園、ちびっ子たちがおにごっこや、ドッチボールをしている中を、体格のいい大学生がしゃがみこんでドングリを探す様子を想像してほしい。一種の拷問である。
そのあとキリでどんぐりに穴をあけ、その穴に爪楊枝をぶっ刺した。とりあえず完成。

我ながらファンキーなこまができあがった。
帽子をかぶせ、みずたまの柄を加えた。どんぐりゴマ史上、ここまでヒップホップを感じさせるコマがあっただろうか。自分の才能が怖い。

だが、回転が持続しない。自分の回し方に問題があったのかと最初は思い、何度も回したが、このコマがヒップホップだからか(?)、ブレイクダンスをしてすぐ回転が終わってしまう。
その後、いくつかのコマを作って気づいた。

「軸」である。

軸がまっすぐとがっているコマは、回る。回すときに多少手元がくるっても、自分で勝手に修正してまっすぐ回ってくれる。
だが、軸が曲がっていたり、平らであったりするコマは、だめである。ぜんっぜん回ってくんないんだもん。やんなっちゃうよね。

そして、この経験を通じて思ったことがある。

果たして僕は、軸がとがっているのか。

いままで、(といってもここ三か月程度)とりあえず何か動いてみようと思っていろんな人、ものに首を突っ込んできたが、それに明確な行動の軸はあっただろうか。確かに以前の投稿で(あ、見てくれると嬉しいです)、じぶんの行動基準は「かっこいいかどうか」ということは言ったが、今になって明確さに欠けるのではないかと思う。

将来の夢は決まっているものの、そのために何をしたらよいのか、何が必要なのかを吟味して行動を考えたことはなかったと思う。
そもそも、将来の夢である、「自分の培った経験や教養を生かして、子どもたちに無限の可能性を与えられる先生になること」というのに対して、今できることは、教員免許を取ることと、人生経験を積むことだけである。
前者に関しては、やることは明確であるが、後者に関しては、軸もくそもない。

だから今やるべきことは、自分がやりたいことをリストアップし、優先順位をつけることであると思う。
まあ、今のところの優先順位一位はもちろん和菓子プロジェクトである。理由はやってめちゃ楽しいということもあるし、長期インターンに行く前に、ある程度の経験として、今可能な中で一番魅力的なものであるからである。(あ、これ、マガジンでまとめてるので、応援していただけると嬉しいです。)

これからは、今までのように面白そうなものに無責任に首を突っ込もうとするのはやめよう。
自分にとって本当に必要なのか、今の自分の状況を考えたうえで可能であるのか。
それを意識して今後行動していきたいと思う。

とがった軸をもって、超高速で回転していきたい。グルグル。

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