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読書感想文 #6 『チーム朝原の挑戦 バトンは夢をつなぐ』

みなさんこんばんは。 いかがお過ごしでしょうか。

夏とはいえ、暑い日が続きますね。ボクは今日から夏休みで、買い物、陸上の練習、散髪とあちこち回る一日となりました。

今年はコロナにより、これまでにない制約の多い夏休みですが、その中で満喫できるようにしたいですね。

今日は下記の読書感想文について話したいと思います。

「チーム朝原の挑戦 バトンは夢をつなぐ」
折山淑美著

全てふりがなの本なので、小学生でも読めるようになっています。

2008年の北京五輪で男子4×100mリレーで銅メダル(後にジャマイカのドーピング失格により銀メダルに)をとった日本代表の4人の話になります。

少々古いですが、現在の日本代表がオリンピックや世界選手権でメダルを取れる位置にいるのも、先駆者の実績が大きいと思われ、改めて読んでみました。

歴史が変わる日

2008年8月22日 北京五輪 夜10時10分

塚原はドンピシャのタイミングでスタートを切った。....トップと並んで末續いバドンをつないだ。

末續はリレーチームのエースとしてのプライドをしぼりだすような走りをした。....トップタイを守った。

7レーンで末續のバドンを待ち構える高平の目には、内側の5レーンで待つボルトの姿が見えた。...内側のボルトに差をつけられてもあわてることなく、2位で朝原にバトンをつないだ。

一方の朝原は恐ろしくて仕方がなかった。...決勝でもし最後まで力が持たなかったら...ブラジルに追い上げられながらも3位をキープしてゴールした。

オリンピックでの日本男子トラック種目史上初のメダル獲得という快挙。

1.ジャマイカ 37.10 世界新(後にメンバーの一人がドーピングで失格し、記録金メダルはく奪)

2.   トリニダード・トバコ 38.06

3.   日本 38.15

※数年後ジャマイカの失格により、繰り上げでトリニダード・トバコが金で、日本が銀となりました。

日の丸を持ってカメラのフラッシュを浴びると四人は競技場をゆっくりと歩きだした。

当時ボクはテレビで釘付けになったのを記憶しています。予選で強豪のアメリカやイギリスが失格となり、日本には千載一遇のチャンスでしたが、選手は相当なプレッシャーを感じ、体も満身創痍だったようです。

マラソン等に比べて、世界と対等に戦えていなかった日本の短距離で、1991年に東京で第3回世界陸上の開催が決まり、リレーの強化が行われ、1988年ソウル五輪の準決勝で日本記録更新、92年バルセロナ五輪では、初の決勝進出で6位入賞、95年世界陸上でも5位入賞を果たしました。

2000年のシドニー五輪で6位、2004年アテネ五輪では過去最高の4位となり、32歳の朝原は幕を引く予定だったが、メダルをとれない悔しさから現役を続行します。

朝原宣治 (4走)

アテネ五輪4位の好成績のあとに、2005年の世界陸上で、8位に終わる。この時に400メートルハードルの為末大が2度目の銅メダルを獲得。「07年世界陸上大阪大会は、日本で陸上競技をメジャーにするチャンス」とインタビューで答え、その後2年後の大阪大会まで競技を続ける決意をする。

中学時代はハンドボールをやり、高校時代は走り幅跳びと100mをやっていてメインは走り幅跳びで全国優勝。

大学に入り、記録を伸ばし、卒業後、まず幅跳びで世界陸上に出場し、その後100mで急成長し、日本記録を樹立、アトランタ五輪に出場し、準決勝進出を果たす。以降、ケガ等もあったものの、日本代表のエースとして長く戦い続けた

朝原さんは引退後、2019年にマスターズ陸上に参戦、世界マスターズの4×100mリレーで見事に金メダルを獲得しています。
 

末續慎吾  (2走)

2003年のパリ世界陸上で200 mで決勝進出し、銅メダルを獲得する快挙を遂げる。400mでいまだに日本記録保持者である高野進さんが指導する東海大学で頭角を現す。先輩に100mで10.00のアジア記録を樹立した伊東浩司さんがおり、恵まれた環境の下、どんどん記録を伸ばしていった。

2003年以降はケガ等に苦しみ、本調子ではない状態で北京五輪に臨んだ。その後休養宣言をし、第一線から姿を消す。 しばらくして復帰し、現在も現役で走っており、陸上教室も主催し、昨年マスターズ陸上にも参戦した。

高平慎士  (3走)

180cmの長身に60kgという細身で、短距離走者らしからぬ体型。順天堂大学で頭角を現し、アテネ五輪200m代表になる。冷静沈着で勝負強い

塚原直貴  (1走)

4人で最も若く、東海大学で末續の後輩。気が強く目立ちたがり。2007年日本選手権100mで朝原を抑えて優勝。北京五輪でも100mで準決勝進出を果たす。

最高のチームへの挑戦


日本はアンダーハンドパスというのを採用し、理想的なバトンパスの習得に力をいれた。

2007年世界陸上大阪大会の決勝前で、末續が「朝原さんにメダルを」と言い、38.03のアジア新記録を樹立するも、ハイレベルな戦いで4位に終わる。

大会終了後、朝原は現役を1年続行すると決意する。

そして北京五輪の快挙となった。

五輪直後の2008年秋にスーパー陸上があり、ボクは等々力競技場でこの4人を観ました。ゲストでレースにはでなかったもののウサイン・ボルトも現れ、子どもたちと走っていました。ボルトがお決まりの弓を引くポーズをとると、塚原がふざけて真似したのを覚えています。


日本人は元来リレーが好きですね。 運動会の影響と言われています。小学校どころか、幼稚園ですらやっています。
逆にアメリカ人にとってはリレーは、個人種目のおまけみたいなもんで、個人種目のメダルのほうが価値が高いです。
基本的にバトン練習にあまり力入れないですね。

2016年リオ五輪で銀メダル。2019年ドーハ世界陸上は銅メダルだったもののアジア新で、記録も37秒台になっています。


来年に延期となった東京五輪で、リレーは金を期待されています。地元日本で、どういう活躍をするのか楽しみです。


それではまた。


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