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「この村には決断力・行動力・ヤル気がない」の正体①村にみる無意識の観察

ただ山と川と、人の暮らしがあるだけ
そんな人口650人ほどのこの寒村。

人口減少になかなか歯止めがかからない上に
せっかく村に来ていただいた方には

「決断力がない、行動力がない、ヤル気がない」とも評される、ここの村民性。

新しい取り組みに対して財布の紐が堅く、支援してくれないとも言われる、ここの行政。

たしかにゆるキャラいない(周辺市町村にはみんないる)し、他の自治体がとっているような目を引く政策は見当たらず、村民も流れに身を任せ〜…のように見える、たいへん地味な村。

せっかくここの村に来て何かしようという人にとっては、いたく嘆かわしい事かもしれません。

このような村の状態に対する嘆きや不満はたびたび耳にします。このような状態が課題であるとして議論される場もたびたび目撃してきました。

しかし、

何故そうなのか

がバイアス抜きで語られた事はあるでしょうか。

今、希望的観測や不満を抜きにして、“そのままの現実”を共有する必要性を感じています。

しかし村の先人である当人たちにしてみたら全くの“無意識で普通なこと”を言語化するのは大変難しい。

今日はそんな事にチャレンジしてみましょう!

透きとおる冬の夜明け

課題となる点

今回焦点を当てたいのは次の点です。
(先述と重なりますが整理します)

◉新しい取り組みに対して財布の紐が堅く、支援してくれない行政

◉決断力、行動力、ヤル気がない村民性

これは本当によく耳にするものであり、また私が10代後半の頃に感じていた事でもあります。
ですので、その嘆きには共感もします。

何故そうなのか?
真実のみ抽出してみましょう。


メリットや損得、善悪といったジャッジメントは一切抜きにして、意義も大義もナシにして、なぜそうなのか観察してみましょう。

実態として次のような事が見えてきました。

実態と言ってもデータ等ではなく、私が捉えたものですが(そういったものでしか説明のしようがないので…)。

◎人の暮らしの基礎部分や公共性の高いものに公費が充てられている。そして+αの部分には充てられていない傾向。
◎個人や集団が纏っているヨロイ(満たされなかったものを満たしたい、という人の原動力)には、公費は使われない。

このヨロイの部分は自助共助の範囲であり、そもそも公助の範囲ではないとも言えます。

私の持論としては、行政はステージでいうと「舞台さん」。どんなダンサー(住民)でも踊れるように、ひたすらステージを整え続ける、そんなイメージ。
そしてそれはサービスではありませんし、一過性のものでもありません。人が生きる基盤で、日常的なものです。
どこまでを基盤とするのかは、相互理解が必要です。

公費の使い方として当然と言えば当然ですね。小さい村とて、個人的なことにも公費を充てられる訳ではないのですね。

◎人に対する依存や執着があまりうかがえない村民性。
誰かに「ああしてほしい、こうしてほしい」は、無い。

村と関わりのある人に対する「村に戻ってきてほしい!」というのは聞いたことがありません。
戻ってきてくれたらいいな〜は、見かけます。

「めた自分の好きに生きらっしゃれ。戻ってきたきゃ〜いくらでも来い。」というスタンスに見えます。

実際は、関わりのあった人に対して
ただただその人の幸せを祈っている姿
があります。

この村での経験や思い出を携えて自由に幸せになってほしいと願っているのです。

村に何かお返ししてほしいとか、その人に戻ってきてほしいとかは、無いんじゃないかな。

依存や執着、囲い込むことは、感じないですね。

ただただ本人の意思でまた戻ってきてくれたり、また会えたりしたら、なんとありがたいことか。嬉しいことか。
しかしそこに強制力は働いていないと思います。

排他的な愛着ではなく、無償の愛を感じます。

(我が子に「地元に帰って来なさい!」と言わないのに似ています)

◎「ありがてぇ」で生きてる人たち

なにもない村ゆえに「無いのが前提」であり
様々なことが“ありがてぇ”なのです。

20代の頃の私は、それを“腰の低い人たちだ”と思っていました。

村の先人たちは驚くほど「ありがてぇんな」と言います。ダイレクトに言わなくても、諸々の言葉や行動の中に含まれていることだってあります。

私はここで「ありがてぇ」が溢れた空間を感じた時に、目に見えないもの(神様?)から祝福されているような感覚になります。

以上の私が捉えた3つのことについては共通する背景がありますので、また別記事に書きたいと思います。

正体は、はたして悪いものだったか

この村で自分の思い通りにならなくて苦しい事がありました。
何でそうなのか。この人たち何でそうなのか。
理解したかったんです。

先述した真実とは、私が何年もかけて観察した、この村の根っこにそもそもあるものです。

その根っこから生えてきたものの状態の受け取り方によっては「やる気がない」というジャッジメントになったり、「支援してくれない」という嘆きに繋がるのかもしれません。

当初は悪いものと思われたものも、「良い悪い」という評価を外して
そして丁寧に紐解いていくと
本当の正体の理解に繋がるのではないでしょうか。

大事にしていきたいこと


私は、人々のおそらく無意識のうちにあるこの場所のこのような精神性、住民性が大好き。
そういった村を想うと、愛おしい気持ちで一杯になります。
受け継いで大切にしていきたいものです。

しかしこれは、あくまでも私の内にあるもの。
村を通して私が見ているものなのです。
いわば私が見ている村は、私そのものなのかもしれません。
なので誰かに強要するものではありません。

でも、いずれは誰のうちにも共通するものがあると信じています。

問題解決よりも相互理解。
理解すると問題は勝手に解決したり、予想外の解決をみます。

それらを信じて、これからも書いて、話し続けていきたいと思います。

#まちづくり #相互理解 #地域社会   #この街がすき

週末は雪かな

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