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ロシアW杯で盗難に遭い、現地警察に8時間取り調べられた話 ~その2~

 20時前にロシア警察に到着。思いのほか小さな警察署で、入るとすぐ目の前には入館ゲートのような装置があり、その手前で20分ほど待たされた。周りの張り紙や看板は全てロシア語。ここは外国人向けの警察署ではなかったのか?一抹の不安がよぎる。
 ようやく自分について聞かれたので、カタコト英語で、事前に話を伝えてもらっていた現地コンダクターの名前と、盗難被害にあった当事者である旨を伝えると、黒の防弾服を身にまとった体格のいいロシア警官が現れ、2階の部屋に通されることになった。このロシア警官は背丈は180程度で体格はたくましいが優しげで少し憂いを抱えていそうな柔和な顔のロシア人男性だった。英語を話せる彼が本件を担当してくれるらしい。彼の名前をここでは仮にイヴァンとでもしておこう。
 階段を上がる最中、彼は私に話しかけた。
「メレイ?」
 はじめに私はこう聞こえた。ロシア語だろうか。ロシア語はわからないと伝えると、今度はイヴァンは私と一緒についてきた妻を指さし、もう一度「メレイ?」といった。
 ようやく私は理解した。これはロシア語じゃない。「Married?(結婚しているのか?)」と聞いているのだ。私は小声で「Yes」と答えて、”英語が話せる”警官イヴァンという先ほど聞いた話に不安を覚えながら階段を上がっていった。

 通された2階の部屋は、取調室のような無機質なところではなく、4畳ほどの広さに、一台のデスク、その上にPCとFAXそれに大量の書類が置かれた部屋で、おそらくイヴァンのオフィスだった。
 手前の椅子に座るよう案内され、イヴァンから1枚の紙が渡された。英語と日本語が併記された簡単なチェックシートだった。氏名や住所、年齢とともに、今回被害にあった犯罪の種類、時間帯、場所、盗られたものの種類などを記入していき、15分程度ですべて記入することができた。なんだ、これだけかと拍子抜けしつつ、私は用紙をイヴァンに渡した。
 イヴァンが内容を確認している時に、小柄ながら恰幅の良い女性警官がこの部屋に入ってきて、何やらイヴァンとロシア語で話して去っていった。女性の話し方から意味が分からなくてもきつそうな性格なのはわかった。イヴァンも私の書いた用紙を見ながらどこかに電話をかけたりしていて、何やら確認をしていた。
 しばらく経って、用紙を手元に置くと、イヴァンが英語でこう話した(んだと思う。発音がロシア語訛りだから正確にはわからない)。
「これから、この用紙を元に詳しい調書をつくります。なぜなら、この管内で発生したW杯外国人観光客による初の犯罪被害だからです」
 ――おお、なんと不運なことだ。日本戦(19日)の観戦前に前入りするんじゃなかった!初の被害者になるなんて!
 イヴァンから罫線の入った白い紙が渡される。英語でまず被害の様子を書けと指示された。いつ、どこで、どのように被害にあったのかわかるように書けと。
 結局英文で書くんじゃないか!と少し苛立ちながら、記入を始める。

いつ:今日の18時頃
どこで:アルバート通りのスターバックスを出たあたりで

「ちょっと待て」とイヴァンが私の書く文章を見ながら横槍を入れる。
「スタルバックス?」ロシア語訛りではスタルバックスになるらしい。
「そう、スターバックス」
「アルバート通りの?」
「ええ」
 慌ててイヴァンがどこかに電話をかける。先ほどの小柄な女性警官とグレーのスーツ姿をピシッと着こなした刑事っぽい人が慌てて駆け込んできた。ロシア語で交わされるやや激しい議論。何もできない私(と妻)。議論がひと段落したところでイヴァンに聞いてみる。
「何か問題でも?」
「アルバートのスタルバックスは、この警察署のすぐ裏手だ。警戒中のこのエリアで、初の犯罪が起きたなんて!」
 スーツの刑事が足早に去っていく。小柄な女性警官は奥の席に座ってなにやらこちらを睨んでいる。イヴァンが私に質問する
「なぜスリだと思った?本当に被害にあったのか?」
 あ、犯罪をなかったことにしようとしている、と思った。私は明らかにこの警察署に厄介ごとを持ち込んだ。初の被害、しかもこの警察署のすぐ裏での大胆な犯行。この警察署の威信にも関わるだろう。
 でも、私も16万円の被害を泣き寝入るわけにはいかない。ボディバッグをきちんと締めて歩いていたから、落としたのではない。バッグを背中に回して歩いていたため、気づいたらバッグが開いていて、すでに財布がなくなっていた。これは、紛失ではなく盗難だと頑張って主張した。
 途中、イヴァンが「stolen?」と質問した。単語の意味が分からないらしい。
「steal, stole, stolen」と私は答えて、やっと理解してもらった。単語が伝わらないのがこんなにもどかしいとは。
 イヴァンもいろいろと聞きたいことがあるようだが、英単語が出てこず、互いに苦労していたころ、妻がスマホからGoogle翻訳アプリを立ち上げて見せた。イヴァンの目が丸くなる。
 「なんだこれは?見たことがないアプリだ」
 「googleというアメリカ企業の翻訳アプリです」と流暢に妻が英語で解説する。
 ああGoogle様!あなたはこの闇に一筋の光を見出す文明の利器!あなたがいて本当に良かった。
 即座に日本語⇔ロシア語を通訳できるアプリがロシアではないらしく珍しいらしい。Google様の翻訳精度の優秀さもあってイヴァンが驚きの声を上げると、警官が何人か集まってきて顔を寄せ合い、妻のスマホをしげしげと興味深げに眺めていた。この事件がすでに評判になっているのか知らないが、ちょいちょい出入りする警官がいる。みんな暇なのか。
 途中いくつかの質問を翻訳アプリ経由でやり取りしつつ、ようやく文章を書き記し、イヴァンに手渡す。
 「OK、これをロシア語に書き写すから待ってください」と言われ、しばらく待った。時計に目を向けると24時を過ぎていた。
 ロシア語の書類、複数枚を渡され、全てにサインするよう促された。サインをしてイヴァンに返す。イヴァンは書類を見ながらどこかに電話をかけている。何やら支持を受けているようだった。
「終わりました。席を立ってください」
 部屋を出て、イヴァンが行き先を誘導してくれる。やっと帰れる。
 来た道を戻り、階段へ向かう。イヴァンは階段を上がり3階へと向かう。
階段を…上がる…?
 私が階段で躊躇していると、「Come on!」とやけに流暢な英語でイヴァンが誘導する。
 戸惑いながら私は3階へと向かった。

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その4

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