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ロシアW杯で盗難に遭い、現地警察に8時間取り調べられた話 ~その4・完結編~

 4階で通された部屋はこれまでで一番広い部屋だった。奥には大きめの机があり、そこには青い目をして制服を着た女性警官が座っていた。いくつもの胸章がついているところを見るに、若そうに見えるが彼女がこの署で一番偉い人なのだろう。イヴァンが制帽を被りなおして、背筋を伸ばして直立し、彼女に何やら報告をしている。彼女はロシア語でイヴァンにいくつか質問すると、イヴァンはこちらにもどかしい顔を向けて、何か忘れている英単語を言いたげだった。
「mother,father,brother…」
 この長い時間を共に過ごしたことで、イヴァンの言いたいことは私も妻もすぐわかった。
「Family!」
「Dah! Family!」
 満面の笑顔のイヴァンと私たち。女性の偉い警官は我々のテンションの高まりに冷静な目を送っていた。イヴァンは冷静さを取り戻すと、改めてロシア語で彼女に報告を続けた。
彼女が書類全てにサインと判子を押し、ようやく被害届が我々に渡された。
「帰る手段はあるか?」
とイヴァンが聞く。午前3時半。主要交通の地下鉄・バス、タクシーが動いているはずもなく、この警察署からホテルは15kmほど離れている。そもそも財布を失い一文なしだ。帰る手段がないことを伝えると、イヴァンは優しい笑顔でこう言った。
「パトカーでホテルまで送ろう」
 異国の地で、日本でも乗ったことのないパトカーのお世話になるとは。我々は感謝の言葉を述べてパトカーを待った。

 イヴァンは署の前まで私たちを案内してくれた。やってきたパトカーはフォード製だった。イヴァンが運転するのかと思ったが、彼も勤務交代の時間らしく、後輩の警官の運転でホテルまで送ってもらうことになった。
「Goodbye, my friends!!」
とイヴァンは優しい笑顔で我々に手を振りながら見送ってくれた。

 こうしてロシア警察署での8時間近くに及ぶ滞在は終わった。穏やかなモスクワの夜明けの街を、パトカーが結構なスピードで切り裂いていく。日の出と同時に我々はホテルに着いて、倒れこむように寝た。次の日の昼までの予定は全てキャンセルして、寝まくった。おかげでその後体調は回復し、無事W杯の日本戦を見ることができたし、ちなみにクレジットの被害も、後日ロシア語の調書をクレジット会社に送ったところ被害の全額、請求されなかった。

 もう会うことも絶対にないだろうイヴァンの顔と本当の名前は記憶が薄れつつあるが、彼の「my friends!」と親しげに呼んでくれた声は今でもずっと耳に残っている。

 実は、この旅行、その後、帰りの飛行機を乗り遅れ、財布も現金もない状況で空港で夫婦二人取り残されて絶望するエピソードが待っているのですが、それはまた別の機会に。

その1
その2
その3
~その4~←イマココ、ご愛読ありがとうございました。

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