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ロシアW杯で盗難に遭い、現地警察に8時間取り調べられた話 ~その3~

 通された3階の部屋は先ほどよりもう少し広い部屋だった。2階の部屋と同じようなデスクの周りには、先ほどとは違うスーツ姿の刑事が2人いた。部屋の警官は、イヴァン、小柄な女性警官、刑事2人の4人になった。どんどん警官が増えていることが、この署として扱う事件の深刻さを物語っている。
 「We need more detail.」とイヴァンは言った。私はつたない英語で状況を説明し、イヴァンがそれをロシア語に訳して、刑事たちに伝える。刑事たちとイヴァンは色々と議論を繰り返し、刑事たちは去っていった。
 少し安堵の表情を浮かべたイヴァンが思いついたように「君は何歳だ?」と私に聞く。
 年齢を伝えると「年下なのか!」と驚いていた。思い返すと、その辺りから急に私への態度が適当になった気がする。年上年下で態度を変えるタイプなのか、イヴァン。
「少し調書の書き方を変えたい」とイヴァンが言う。
「盗られたのは財布のみ。現金は少額で、クレジットカードを使われて金銭的な被害があるようだが、物理的に盗られたものの被害額は小さい。そうだろ?」
 どうやら被害の小さな事件にしたいらしい。それは確かにそうだと私は伝えた。
「物理的な被害額を追記しようと思う。盗られた現金は?」
「2000ルーブルくらい」
「他には?」
「クレジットカードと免許証のみ」
「ちなみに、財布自体はいくらした?」
 えーと、家族からのもらい物なので詳しくはわからない。ポール・スミスの財布だったから3万くらい?と妻に確認して「もらい物だが、15000~20000ルーブル程度」と答えた。
イヴァンの目が見開く。
「20000ルーブル?桁の間違いではないのか!?」
妻と私でスマホを使って換算するが間違ってない。
「そんな高い財布があるのか!!!」
 イヴァンの顔が驚きとともに落胆の表情へと変わり、またどこかに電話すると、スーツ姿の刑事が3人、すぐさま飛んできた。深刻そうな顔をしている刑事たちと、げっそりしているイヴァン。ごめんよ、イヴァン。思惑通りに事が進まなくて。もう25時だもんな。本来なら勤務上がってる時間なのかな。
 20時から、のこのこやってきた日本人観光客の担当になり、お互い拙い英語での会話。そして、管轄内での初の外国人被害、物理的被害額も大きく、何よりこの警察署至近で起きた威信を揺るがす事件。話を聞くにつれ、どんどん事件の扱いが大きくなって、いろんな人に連絡を取る羽目になっている。イヴァン、少し英語がわかるばかりに、完全に巻き込まれ事故だよね。ごめん。

「そういえば、なぜここがわかった?」とイヴァンが出し抜けに聞く。現地のツアコンさん経由で教えてもらったのだが、ツアーコンダクターではうまく伝わらない。えーと、なんといえばいいのか。。。
「Travel Agent!」と即座に妻が答える。妻も疲れ顔だ。早く帰りたいという言葉が顔からにじみ出ている。
 ああ我が奥様!あなたはこの深夜の取り調べに光明を指す女神!本当に連れてきてよかった。
「調書をもう一度書き直す。手伝ってくれ」とイヴァン。もはや私ではなく、妻に言っている。
「ここは”was stolen”か?」とイヴァンが聞けば
「であれば主語は“My wallet”に」と妻が応じる
「“from my bag on my back”で通じる?」とイヴァンが聞けば
「まあいいでしょう」と妻が応じる
 イヴァンと妻と私の3人による英文法の勉強会が始まっていた。いや、正確には講師:妻、生徒:私、イヴァンによる英語の授業だ。

 1時間ほどかけて、ようやくリライトした英語の調書が出来上がる。イヴァンは手早くロシア語に書き換えて書類を作り、どこかに提出して戻ってきた。どこかで書類が審査されているらしい。少し暇になった時間、イヴァンはこんなことを聞いてきた。
「ロシアのイメージはどうだ?」
「日本人はロシアのことをよく知らない。でも実際に来てとても良い国だと感じた」と素直に答えた。
「ロシアは世界から怖い国だと思われている。でもよかった。ペレストロイカは知っているか?」とイヴァンが言う。
「学校で学んだ。ロシアが自由な国になるきっかけになったと。」と答えると、
「ペレストロイカは酷い。私は当時子供だったが、家の周りに軍がやってきて、抵抗するグループと街中で銃撃戦をやっていた。平和の運動と言われているが嘘だ。国内でも全くニュースになっていなかった。」と彼は応じた。
 だいぶイヴァンと打ち解けることができたのは正直うれしかった。ロシア人からしか聞けない貴重な話だったけど、警察官がそういう意見を言っていいのだろうか。私はちょっと心配だぞ、イヴァン。どこかに盗聴器とかあるかもしれないぞ、イヴァン。
 部屋の電話が鳴る。イヴァンが応答すると受話器を置き、我々に「OK,Thats all.」といった。時刻は午前3時を回っていた。
 部屋を出て、また廊下を通って階段に行く。階段でイヴァンは振り返ると
「Come on, My friends.」
 と言って階段を上がっていった。また上階。。。私たちはついていくしかなかった。

その1
その2
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その4

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