見出し画像

価値観経営へのこだわり

こんにちは。シェイクの吉田です。
シェイクで代表をしており、価値観経営を実践したいと日々奮闘しています。
「価値観経営」と聞くと、何やら堅苦しそうだなと感じる人もいるかもしれませんが、私が考える価値観経営とは、もっと開放的であって、一人一人がイキイキと働くための土台となるものだと思っています。

この記事では、なぜ、私が価値観経営を志すようになったのか、価値観経営とは何なのかをまとめていきます。

最初にお伝えしておきますと、まだまだ、理想の実現に向けて、道半ばです。
ですが、日々、実践し、葛藤する中で、一歩ずつ前進している手ごたえも感じています。
少しでも、皆さんの組織づくりにおける参考にしてもらえると嬉しいです。

過去の経験も含めて、ストーリーで書きたいと思いますので、少し長くなりますが、是非、最後までお付き合いください。

自己紹介

最初に簡単に自己紹介をします。
現在、株式会社シェイクの代表をしています。私自身は、シェイクの創業者ではなく、転職してシェイクに入社し、後に社長に就任しました。

新卒で社会人になったのが1997年。最初に入社した会社が大手総合商社で、携帯電話の基地局の建設や、2次元バーコードを活用した顧客向けのサービス事業の立ち上げなどを担当していました。ビジネスの基本を徹底的に学んだ時期でした。

6年半ほど、営業をしたのち、2003年にシェイクに転職します。
シェイクの創業者が、大学時代の研究室の先輩で、当時、一緒にプロジェクトを行っていたこともあり、お誘いを受けて転職をしました。
当時のシェイクは、私を含めて3人でしたので、まだまだ、創業に近い時期でした。

商社の営業と、ベンチャーの営業の違いに戸惑い、商材も通信機器から、人材育成サービスに代わり、苦労の連続でしたが、少しずつ、売れるようになり、会社の人数も徐々に増えました。

その後、2009年に創業者が別の事業をすることになり、私がシェイクの社長に就任します。その後、シェイクの社長として、経営、人材育成の専門家としての情報発信、研修ファシリテーター(講師)の仕事などに携わっています。

働く目的につながる2つの原体験

私自身、何のために働くのだろうか? と働く目的を自問自答してきましたが、2008年に明確になり、今も、そのミッションに沿って活動をしています。

私のミッションは、「全ての人の目が輝く世の中をつくる」です。
キーワードは「目の輝き」
このミッションを持つことになった背景には、2つの原体験があります。

一点目は、商社でのサラリーマン経験です。
学生時代は、サバイバル旅行から学生起業、社会活動団体の運営に携わるなど、枠を越え、自分らしく活動をしていました。

しかしながら、社会人になって、挫折を味わいます。
全く仕事で成果が出ず、成果を出せない自分は、上司から叱られ続け、どんどん自分らしさを失っていきました。
自分が大企業を変えていくという気概で入社をしましたが、会社という大きな存在に縛られ、抗おうにも抗えない苦しさと戦っていたように思います。何とかその状況を抜け出したいという一心から、もがき続けた数年でした。

二点目は、シェイクに入社した後、最初にマネジメントをしたときの経験です。
営業では、「イキイキと働く人を増やしたい」といって活動しているにもかかわらず、自分の部下がイキイキとしておらず多くの部下が辞めていきました。自分のマネジメント力が至らなかったからです。

当時、アルバイト社員の方が私に対して言った言葉が、「吉田さんは、顔は笑っているけど目が笑っていないですね」という一言です。
マネジャーとして、明るくしなければいけないという責任感で笑っていても、心から笑えていなかったのです。
マネジャーという役割を全うする事が全てで、自分自身の意思を見失っていた時期でした。

この2つの経験を通じて、私は「私自身の目が輝く人生を送りたいと思うと同時に、世の中のすべての人に、目が輝く人生を送ってほしい」と思うようになりました。
人や組織にコントロールされるのではなく、自分自身が「自分の人生の主体者になる」ことが、人が生きる上で最も大切なことだと思うようになりました。

特に二点目の原体験を踏まえ、とらわれから抜けた瞬間を明確に覚えています。
2008年1月27日です。
とらわれている自分に気づき、とらわれを手放した瞬間、こんなに心から笑ったのは学生の時以来ではないか、と思ったことを覚えています。

会社に縛られるのでもなく、役職に縛られるのではなく、他者や過去に縛られるのでもない感覚って、こんな感覚なんだと思いました。
何の恐れもなかった子供の時のような感覚かもしれません。

人は多くの経験から学ぶと同時に、とらわれていきます。
人と比較して自分らしさを失ったり、組織に対する諦め感を持ったり、人に対する不信感が芽生えたり、自分で自分に枠をつくっていきます。

私の場合は、「兄貴コンプレックス」です。
兄のようになりたい、兄を越えたいという無意識のコンプレックスが、自分の限界をつくっていて、自分に自信を持てない原因となっていました。

「自分らしく生きよう」と言いますが、そんなに簡単なことではないと思います。自分らしさが何かも分からないし、自分が何にとらわれているかもわからない。多くの人がそうではないかと思います。

目が笑っていなかった自分が、ある日、目が輝く自分を自覚することができたとき、自分のミッションが明確になりました。
どんなに辛い思いをしている人も、イキイキできずに苦しんでいる人も、誰もが、「目が輝く」可能性を持っていると信じています。

学生時代に元気だった人も、社会人になって数年経つと元気がなくなっていく。私自身がそうだったように、そのような感覚に陥る人もたくさんいるのではないでしょうか。

働く上で、組織というのは、個人に強い影響力を及ぼすもので、どのような組織をつくっていくかは、そこで働く人の人生にも大きな影響を与えるものだと思います。
私自身、経営者として、どのような組織を作っていきたいかを深く考えるようになったもの、このような体験から来ています。

理想の組織とは?

私にとって、理想の組織とは、

その人らしさを失うことなく、イキイキと働くことが出来る組織です。
「ねばならない」だけに縛られることなく、個人が意思を持ち続けることが出来る組織です。
一人一人が当事者として自分が所属する会社をつくっている組織です。

社長に就任してから、会社の目的は何か? 私は、何のために社長をやっているのか? という自問自答を繰り返してきました。

一般的に、会社は、事業を通じて社会に貢献するために存在していると考えられています。その考えはもちろん否定しませんが、会社で働く人自身が、幸せに生きる場を提供することも、会社の存在目的と言ってもいいのではないかと考えるようになりました。

自社の社員が幸せになるため、というと、いかにも内向きで、利己的ではないかとも思いましたが、私自身の経験からも、自分自身が辛くて仕方がない時に、利他的になろうと言われても、なかなかそのような気持ちになれないこともありました。まずは、自分が、自分たちが幸せであることは、会社の存在目的の一つだと考えています。

合わせて、会社は社会に貢献し、価値を提供することも目的で、世のため人のために貢献しないと会社の存在意義がないと思います。

シェイクの想い(ミッション)は、
「イキイキと働く人が一人でも多く増えてほしい 個人から会社からもっと日本を元気にしたい」
です。この想い(ミッション)のもとに活動をしています。

これは、社会に対する想いでもありますが、自分たちに対する想いでもあります。社会に提供したいことを、私たち自身が体現すること。

理想の組織を一言で言うと、「イキイキと働く体現者としての組織」です。

社長に就任したときの葛藤

2009年に社長に就任し、理想の組織をつくっていこうと思いました。
社長が社員をコントロールするのではなく、一人一人が自分で考え、自律的に行動する組織にするためには、社員を信じて任せることが一番だと考えました。
社長の仕事は、夢を語り、志を語ることで、あとは、社員を信じて任せれば、経営はうまくいくと思っていました。

2009年と言えば、丁度リーマンショックの直後。人材業界に逆風が吹いていました。大手企業が軒並み採用を控えるなど、新入社員研修を生業にしていたシェイクにとっては、想定通りに売上が上がらないという事態になりました。

シェイクの創業は2000年で、2000年から2009年の8月までは、創業者が社長をしていたのですが、私が社長になって、第一期目に創業初の赤字になる危機が訪れました。

当時のシェイクは、億単位で銀行から借入をしていましたので、銀行との付き合いは社長の大切な仕事の一つでしたが、2010年5月に銀行の担当者に言われた一言は、今でも忘れられません。

「決算を見ないと追加で融資は出来ないです」

資金がショートするリスクがあり、追加融資を申し出たところ、決算が出ないと融資が出来ないと。目先の業績は落ちていて、創業初の赤字になるかもしれない。決算が出ないと融資が出来ないとは、「赤字になったら融資を打ち切りますよ」と言っているのと同義であることは、分かりました。

銀行は、「晴れの日に傘を貸し、雨が降ったら傘を取り上げる」ところだと言われたことがありましたが、まさに、困ったときの対応は非常に冷たかったです。最終的には、決算前に、別の金融機関で資金を借りることが出来、決算は、黒字10万円というギリギリの数字で、社長就任の第一期目を終えました。

そのころはもはや、「理想の組織をつくる、社長はコントロールを手放して、社員に任せればいい。」なんて言っている余裕はありませんでした。
会社の全責任を負う責任感を抱え、社員から見る景色と、社長から見る景色はこんなにも違うものか、と思いました。

社長は、「自分らしく、好きなようにやればいい」なんて言われますが、好きなようにやっていたら、会社は潰れると思いましたし、それこそ、社員の幸せどころの話ではないと思いました。まずは、業績を上げないと話は始まらない。

社長が、売上、利益と言うと、社長は業績のことしか考えていないと言う社員がいたりしますが、社長としては、業績を上げないと、会社は潰れ、社員も守れないという状況で、ましてや、借り入れをしていれば、自宅を担保に入れ、連帯保証人になって借り入れをしている訳で、理想を語れなくなっていくということが起きてきます。

当時、業績が厳しい状況の中で、一人で会社の売上の2割をあげている社員がいました。会社の命運はその人にかかっていると言っても過言ではありません。でも、その社員は、非常に癖が強い方で、新入社員に対して初日に「採用ミスだから辞めたほうがいい」といったことを言うような方でもありました。

その方は、私にとって講師業を教えられた恩人でもありましたが、人に対して攻撃的な関わりをすることが多く、組織風土においては、マイナスの影響を与えていました。

社員からは、言われます。
「吉田さん、本当にあの人と一緒にやっていくのですか? 組織への悪影響が大きいです。別々にやったほうがいいのではないですか」
「あの人が辞めていったら、業績が落ちます。そうすれば、会社はもちませんよ。一緒にやるしかありません。吉田さんが信頼関係を築けばいいだけだと思います」
「組織が大事なのか、業績が大事なのか決めてください」

組織も業績も大事です。でも、今のまま、ありのまま、流れに任せれば上手くいく、といったことはないことは明らかです。社員を信じて、任せていても、上手くいかないこともある。何らかの意思決定をしたら、必ず悲しむ人もいる。という中で、社長は意思決定をしなければならないということも学びました。

最終的には、その方と対話を重ねた後に、別々に事業を行うことになり、シェイクを退職し、別会社で事業を継続されることになりました。結果、シェイクの売上は、2割減ることになりました。

理想の組織をつくることは、簡単なことではない。潰れてしまっては元も子もない。でも、業績だけのために経営をするのなら、自分は、何のために経営者になったのか分からない。そんな葛藤を抱えながらの経営でした。

意思決定をして売上は2割落ちました。その方とは、事業ごと切り離すことになったので、社員も数名退職していきました。残った社員は、必死です。少しでもコストを削減するために、「電気を消そう」と提案する人もいるなど、少しでも経費を下げ、売上を上げる努力を、一人一人が自分事として取り組みました。

結果、社長になって2期目は、売上こそ約2割落ちたものの、利益は増加し、その後、売上も利益も伸びていきました。それこそ、当初思い描いていた理想のように、社員が自律的に働き、社長が理想を語り、業績も伸びていく。銀行からの借り入れも、年々減少し、銀行からは、連帯保証も外してもらうこともできました。

シェイクが築いた文化

2000年の創業以来、9年間は創業者が社長を務め、その後、私が社長に就任して経営を引き継ぎ、経営を行ってきましたが、シェイクらしい事業、シェイクらしい文化が育まれました。

2005年に「自律型人材育成」を軸にした育成を開始、2007年に新入社員向けにシミュレーション研修を実施し、本質を追求して新しい価値を生み出してきました。単に知識やスキルを付与するだけではなく、深い気づきが得られるプログラムを追求し、「本気で本質を追求する」という姿勢にこだわって事業を行ってきました。

また、人の成長にこだわり、お互いにフィードバックをしあう「フィードバック文化」がありました。社員と社員が表面的なコミュニケーションではなく、しっかりと向き合い、お互いに率直に意見を言い合う文化がありました。そのような中、多くの人がシェイクに入社し、自分と深く向き合い、自分の生き方を見出す人も多く出ました。

組織論理よりも、個人を尊重するような文化も生まれました。イキイキと働くというミッションを考えると、与えられた仕事をこなすだけではなく、意思を持って働くことが重視されました。やらされ感、義務感ではなく、「WILL、想い」こそが、イキイキと働く根っこであると考え、「どう感じるか?」「何をしたいのか?」といったことを問われるような文化がありました。心を失わず、豊かに生きる場として機能することを大切にしてきました。

一人のカリスマが組織を牽引するのではなく、全員が主体者として会社のことを考えていく組織文化も育まれてきました。全員がリーダーシップを発揮する組織です。一人一人の意見が尊重され、多様性が重視され、それぞれがリーダーシップを発揮する組織を目指してきましたが、組織に対する考え方に違いが出てきました。

シェイクがイキイキのためにこだわってきたことが、

「MUST(ねばならない)」ではなく「WILL(○○したい)」
「組織のためだけに働く」ではなく「志をもって社会のために働く」
「意思なき組織人を育てる」ではなく「自分の人生の主体者になる人を育てる」
「人や組織にコントロールされる」ではなく「自分が人や組織を動かす」

といったことです。

任せて手放すことから学んだこと

社長が会社をコントロールしているという感覚でもなく、社員も増えていき、自分も、任せて手放す経営が出来てきたと自負するようになりました。社長が何もしないくらいの方が、経営は上手くいく、と言っている方もいますが、社長が象徴的な存在で、会社がうまく回っていくという感覚とはこういう感覚なのか、と思いました。

仕事を任せた社員がどんどん成長し、一人の役員を業務執行責任者に指名し、代表取締役副社長に任命しました。その後も、組織は順調に成長し、私自身が、本当に何もしなくてもいいような状態になりました。経営の仕事よりも、むしろ、ファシリテーター(講師)の仕事をするなどに注力し、最終的な責任者、意思決定者として存在するような状態になりました。

社長が何もしなくてもいいくらいの会社がいい会社だ、と言われたこともありますが、そのような観点からすると、当時の会社はいい会社と言えたのかもしれません。また、傍目にも、とてもいい状態の会社と言えたのかもしれません。

一方で、そのような中で、私自身は、会社に違和感を覚えるようになっていきました。自分の中で、違和感を覚えたのは、シェイクが何を大事にする会社か分からなくなってきているということでした。

シェイクが築いてきた文化や風土が大事にされているのだろうか?組織論理よりも、個人の生き方を優先するような経営が出来ているのだろうかと。

2016年に、シェイクが何を大事にする会社か、社員の中で認識にバラツキがあると感じ、社内に問題提起しました。そして、2016年末~2017年末までの一年間、シェイクは何を大事にすべき会社なのかを全社員で考えました。一年間、何度も何度も全社で対話をしました。多くの人が涙を流しながら実施したワークショップもあります。

私自身、人生で一番、悩んだ時期です。どうしたらいいのだろう? 何がみんなにとって幸せなのだろう、自分はどうしたいのだろう? といったことが本当に分からなくなりました。自分が社長を退任したら、全てが解決すると考え、退任しようと思った時もあいました。この苦しい状況から逃げてしまいたいと思ったこともありました。

そのような葛藤の末、最終的には、自分の気持ちに正直に、自分の意志に従った意思決定をしようと決めました。傷つく人がいても、できる限り、真摯に向き合おうと決めました。

最終的に、会社を2つに分けることにしました。会社が分かれることになり、苦しい思いをした人もいましたし、それを機に退職する人もいました。当時、会社は混とんとしており、葛藤の連続でしたが、1年間とことん考えた結果、一人一人が自分はどう生きるか、どんな会社で働きたいかを考える機会になったと思います。

当時の社員に、どちらの会社に行くかを、自分の意思で選択してもらうようにしました。どちらの会社を選択しても、社員にとって、出来る限り不利益にならないような仕組みを考え、社員の意思で選択してもらいました。

この局面においても、出来る限り大事にしたのが、組織論理で決めるのではなく、個人の意思で、自分の未来を選択するということでした。選択することに苦しさを感じた人もいれば、自分の意思で未来に向けて一歩を踏みだす機会になった人もいたと思います。

社長が何もしなくていいくらい、任せて手放すことで、いい経営をしているつもりでしたが、それは間違いでした。自分自身が何を大事にしているのか、会社が何を大事にしているのか、私自身が明確にせず、伝えず、それでいて、いい経営をしている気になっていたというのが正直なところです。

いくら任せても、任せきってはいけないことがある。何を大事にしている会社なのか、譲れないことは何なのか、その一点においては、社長はとことんこだわらないといけない。そこにおいては、社長の色が出るし、強烈なリーダーシップを発揮する必要があるのだということ学びました。

当時、多くの社員に苦しい思いをさせたことは、本当に申し訳なく思いますが、新たな人生のスタートになるきっかけを提供することができたと、今では前向きにとらえています。当時のメンバーにとっても、そうであってほしいと願っています。

新生シェイクスタート

2018年1月から、新生シェイクとして新たなメンバーで再スタートを切ることになりますが、そこで、最初に行ったのが、佐島での合宿でした。ヒューマンバリュー様に協力をしてもらい、2日間の合宿を行いました。

富士山の見える海辺で、ゆっくりと2日間対話をしました。この合宿は本当にやってよかったです。ヒューマンバリュー様には感謝しかありません。

内容は、
・過去をリフレーミングする
・現在と未来を俯瞰する
・未来を生み出す
・アクションを共創造する
ことで、シェイクの仲間がOne Teamとなり、未来を共創し続ける関係と思考、行動の集合的知性を獲得することを目指しました。

自分たちが使っている言葉を見直し、未来に向けてワクワクし、何を大事にするかを再確認し、お互いの価値観を確認し合いました。
未来に向けた可能性を感じた2日間でした。
普段、研修を提供している私たちが、どっぷりと受講者になり切った2日間でした。
対話の大切さ、ワークショップが持つ可能性を感じた2日間でした。

再スタートしたシェイクが大事にしたのが、社員同士の対話です。
毎月、丸一日以上の時間を全社会議の時間として、毎月、対話を重ねています。自分たちが会社を創る、自分たちが未来を創るという考えのもとに、対話を重ねています。それは、今も続いていて、毎月の全社会議を実施しています。

活動の多くは、プロジェクトで進めることにしました。価値観プロジェクトが始動し、プロジェクトメンバーが中心となって価値観の策定が始まりました。
これがその時のスケジュールです。

1月・・・佐島でのワークショップ(2日)
2月・・・シェイクの今後の方向性に対する対話(1日)
3月・・・シェイクの歴史の確認と価値観キーワードの洗い出しと共有(1日)
4月・・・価値観プロジェクトで価値観の検討
5月・・・価値観の探求(2日間)

当時、全員で価値観を探求していきましたが、5月に実施したワークショップで、最初に確認したのが次の内容でした。

①価値観を決める際の絶対的な軸はない
②価値観は善し悪しではない。シェイクとしての意思である
③価値観の言語化が目的ではない。意味を共有し、日常活かせる事を大事にする
④だからこそ、全員で対話を通じて探究する

2日間、全社員でじっくりと対話を重ね、その後、プロジェクトを中心に文言を精査し、価値観は生まれました。

こだわったのは、全員で価値観を作り上げること、毎月全社会議を実施し、対話を行うことです。

この頃から事業戦略、組織戦略を明確にするプロジェクトを開始しますが、このプロジェクトメンバーは、立候補で募り、決めました。経営計画に参画したいという個人の意思を尊重しながら進めました。

他にも、数字リテラシー向上PJT、価値観浸透PJT、想い・実現支援PJTなど、社員の問題意識に応じて主体的なPJT活動が始まりました。
社員の問題意識からはじまる主体的な組織貢献活動PJTが始まったのがこの頃です。

価値観経営へのこだわり

このような背景があり、経営をするうえで、最も重要だと考えるようになったのが、会社の価値観。価値観経営へのこだわりです。

改めて、なぜ、私が価値観経営にこだわるのか。

それは、シェイクとは何なのか。その存在そのものを明文化しているものであり、これこそが、会社の根幹だと思っているからです。

多様な人がありのままに活躍できる組織をつくるために、絶対にぶらしてはいけないこと、それが価値観です。この一点においては、決してぶらすことなく、会社のど真ん中に位置付けることが欠かせません。
会社とは何か、を定義するもので、この会社で働く人、一人一人にとっての指針になるものです。

シェイクは、一人一人がありのままの自分を表現でき、その人らしい価値を発揮する場として、シェイクを活用する。

自分自身が何者で、何がしたいのかを見失うことなく、自分の人生の主体者として生きる場になればいいと思います。

自分一人ではできないことを、仲間と一緒に取り組むことで、社会をよりよくすることに貢献できる場になればいいと思います。

従って、シェイクの価値観では、
「シェイクは、社会への価値創出と個人の想いを実現するプラットフォームです」と定めています。

価値観を定めるということは、会社の価値観を個人に押し付けられると感じる人もいるかもしれませんが、実際には、思想を統制するという考えとは対極に想いがあり、一人一人がありのままの自分でいられ、自分の想いを大切にし、社会に貢献できる場であり続けるための価値観です。

価値観を定めることによって、

・安心して自分らしく働くことができる
・お客様に高い品質のサービスを提供できる
・自分で判断して行動できる
・多様な生き方を尊重して支援できる

といったメリットがあると思います。

価値観経営に、ゴールはありません。常に、現在進行形。
私自身が、慢心したり、傲慢になることなく、日々、精進し続けることが大事だろうと思います。でも、時には、慢心したり、傲慢にもなるので、その時に、きちんと振り返ることができる自分でありたいと思いますし、そのような組織でありたいと思います。

「価値観を浸透させる」という言葉がありますが、違和感があります。価値観を、会社が個人に浸透させるものという意味合いが感じられるからです。

価値観とは、みんなのものであり、一人一人が自分事として大切にしていくことだからです。決して、経営者に押し付けられるものでもありません。

人間ですから、価値観に沿った行動ができないときもあるかもしれません。いろんな出来事や、葛藤を繰り返しながらも、真摯に振り返り、対話を行い、学習と成長を続けられる個人、組織でありたいと思います。