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#275 かつて人口密度世界一だった軍艦島とは?

長崎県に、かつて人口密度世界一と言われた島がある。長崎市から南西およそ20㎞の地点にある人工島「端島(はしま)」だ。

岩礁を埋め立ててつくられた人工島で、周囲1.2㎞、面積は約6.3ha、南北に細長く長さ約480m、幅約160mの小さな島である。
周囲を岸壁に囲まれており、島には鉄筋コンクリート造りの高層建造物が立ち並び、日本海軍の戦艦「土佐」のような見た目をしていることから通称「軍艦島」とよばれている。

1810年、端島で石炭がみつかり、1890年に三菱社が島の権利を買い取って石炭の採掘が本格的にスタートした。

端島で採れる石炭は良質で、採掘量の増加に比例して島の人口は増加。
最盛期の1960年(昭和35年)には5,267人が島に暮らしていた。
当時の端島の人口密度は東京の人口密度の9倍以上で、世界一だったとも言われている。

島のおよそ半分は鉱場、のこり半分が人々が暮らすスペースになっており、高層集合住宅のほか、病院・学校・寺院・神社・派出所・映画館・理髪店など、生活や娯楽に必要な施設が一通りあったため、島の中で生活を完結することができてという。

小さな島のため、建物と建物の間はとても狭く、島民全体が家族のように仲良く暮らしていたそうだ。

世界のエネルギーが石炭から石油に移り変わると、島は衰退し、1974年1月15日に閉山、同年4月20日に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となった。

家具や家電をはじめ、人々の生活の痕跡がそのまま残った軍艦島は、その幻想的な情景から「廃墟の島」として現代の人々の心を惹きつけている。

2009年に島の立ち入りが解禁され、現在では島の一部を見学できる観光ツアーが人気となっている。

2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録された。

こちらの動画では、現在の軍艦島の様子を高画質で楽しむことができる。

次の動画では、当時の写真も交えながら人々の暮らしが解説されている。

【目次】

【参考】


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