#53 ふつうのお寺にあって東大寺にないものは?

身近なお寺にはだいたいあるのに、お寺の代表とも言える東大寺にないものがある。それは「お墓」である。東大寺には「お墓」がない。お葬式もしない。東大寺の僧侶がなくなると、他の寺の僧侶が葬式を行い、他の寺のお墓に入るという。なぜだろうか。

東大寺は奈良時代に聖武天皇によって建立された。当時の日本では、貴族の権力争いや伝染病(天然痘)、飢饉などが立て続けに起こり、世の中が乱れていた。その世の中を仏教の力で守ろうとしたのが聖武天皇である。聖武天皇は各地方には国分寺と国分尼寺を、都には東大寺を建て、東大寺には大仏を建立した。・・・これが教科書的な記述である。

もうお分かりの通り、東大寺は死者の供養のために建てられたのではない。国を守るために建てられたのである。そもそも、お寺でお葬式を行い、隣接するお墓に埋葬して供養を行うという習慣自体が奈良時代になかった。というより、もともとの仏教の習慣ではない。お彼岸、お盆、位牌、仏壇、葬式といった日本人なら誰でも思い浮かべる仏教独自のものや行事は、仏教とは関係のないものだったのである。

本来の仏教とは、修行をして悟りを開いて仏になることを目指すものである。それが、中国や朝鮮半島を経由してくる間に儒教的な祖先崇拝の考え方と結びつき、僧侶がお葬式に関わるようになったという。
日本では、10世紀ごろに天皇の葬儀を僧侶が行うようになった。一般庶民の葬式を僧侶が行うようになったのは鎌倉時代である。

平安時代後半から、「南無阿弥陀仏」を唱えることで死後に浄土に行ける=成仏できるとする浄土信仰が庶民の間に広まっていた。そこに、僧侶がお経を唱えて葬式を行うことで、より確実に成仏をすることができるとして、庶民は僧侶による葬式に最後の救いを求めるようになったのである。これは現在でも何となく通ずる価値観であると思う。

そして江戸時代、幕府はキリスト教を取り締まるためにすべての家がいずれかのお寺に所属するよう義務付けた。所謂「寺請制度」である。江戸時代はお寺が身分証明書を発行する現代の役所の働きを担っていた。そのため、庶民からすると葬式やお墓の管理が保障される一方で、お寺に頭が上がらなくなってしまい、いわばお寺が葬式やお墓を人質に取る形で権力を増していった。そのことから、このような制度は「葬式仏教」として揶揄されることがある。

このように、現代の日本で当たり前になっている「お寺にはお墓がある」という常識は、本来の仏教とは違う日本の歴史的な事情に由来しているのである。


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