闘病

実は退院してきた翌日、違う場所に血栓が詰まり、脳梗塞が再発し再入院した

今回詰まったところは命には関わらないが、言語に関係する場所で、言葉がうまく出てこなくなり、言いたいことが言えない、言葉をうまく発音できない、ものの理解がうまくできないなど、言葉や記憶に関連した障害がみられた。

「高次脳機能障害」

そして、脳のリハビリを始めた

毎日子供達を学校へ送り出し、子供達が帰ってきてから病院へ行く…この繰り返しがまた始まった。この間に、娘と息子とあたしの絆が強くなった。3人で支え合いながら生活してきた。あたしは子供2人にすごく支えられた。2人がいなかったら今の自分はいないと思う。

ある程度入院での脳のリハビリも終え、これからは病院ではなく県のリハビリセンターへ通うように言われる。そこはまた、家から車で片道2時間くらいのところ…早く良くなるように、最高の週3回、通うようにお願いした。そして帰宅してからも、リハビリでやっていた、まちがいさがしや点つなぎのようなペーパーの問題(雑誌で売っている物)も毎日やるように勧めた

肌寒い季節から始まり、車で待っているのも暑くて辛い季節も過ぎた。そういうサポートはやって当然なんだろう、妻だから…だからお礼を言われる事はない。義母からも労いの言葉など一度もかけてもらった事は無かった。当然だろうけど、その時「ありがとう、感謝している」という言葉をもらえたり、気持ちが伝わってきたら、現状も違ったものになってのかもしれない

そして、通いのリハビリも終了となった。しかし、完全に元に戻ることはなかった。最初に発症した時の後遺症である、左半身の麻痺。ぱっと見はわからないが、思うように動かずもどかしいらしい。二度目の後遺症、言葉が出にくいから、親しくない人とはあまり話はしたくない、面倒臭いことを考えたくない…自分の母親でさえ会話をしたくない。親戚とも会いたくない…

農家の長男…もうこの責務を成し遂げられる人ではなくなった