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【生活が楽になるたび人類は大切な“何か”をなくすという話】
Twitterにも書いたけど
【生活が楽になるたび人類は大切な“何か”をなくすという話】
これは同時に『進化と退化は両輪』でもあるという話
「サブスクというシステムを考えた人は地獄に堕ちてほしい」というTweetで話題になった川本真琴さんが謝罪のTweet。
その思いは痛いほどわかるので謝罪なんてしなくていいと思う。
(現在、該当Tweetは削除されている)
そうならないようにと言うのもなかなか難しい。
以前にも書いたと思うけど、「生活が楽になるたび人類は大切な“何か”をなくす」。
そして人類はTwitterを使いこなせるほど進化してない。
CDが売れなくなった本質は「音楽が“日常”になってしまった」事にあると思う。スマホとインターネットの進化に伴って音楽は“より身近=日常”になった。今や音楽は簡単に手に入る時代になった。より身近になったのは良いことだ
しかしよく考えて欲しい。
日常とはどこにでもあるという事。
人類とは容易に手に入らないものに“価値”を感じる生き物。
レコード屋さんに行ってLPをバラバラと探してやっと手に入れた“音楽”をクリーナーで掃除してアンプをあたためてそっと針を落としてた頃、人類まだその“価値”と“喜び”を感じることができた。
そして今やサブスクの時代
業界は音楽が簡単に手に入る環境を作ると同時にその価値を捨てるという選択をしてしまったのだ。
楽になった時代から人類はもはやレコードに針を落とす時代には戻ることはできない(それができるのは極わずかな人類)。
僕らはエンタメ業界にいて常にその原則としてエンタメの本質とは“非日常”の創出と認識してる(はず)。音楽が日常になったらどうなるか、誰も想像しなかったのだろうか。
予測された未来に向かって進んでる。
音楽ソフトというのはそもそも“蓄音機”という“ハード”を売るためのもの…というか一体だったと思う。
ビデオフォーマット戦争でVHSがベータに勝ったのもソフト戦略のお陰だ。
ハードとソフトは切り離してはいけない関係。
しかしいつしかメーカーはハードとソフトを切り離し、ソフトを聞く為の別のハードメーカーに配信システムさえも完全に依存してしまった。
「自社のハードを売るためのソフト」だったはずがAppleなどのハードメインのメーカー(他社)の為にかつてのソフトメーカーがせっせとソフトを供給するという構図になった。
iPodがSonyウォークマンを凌駕した頃に予見した未来にすっかりなってしまった。
これはずっと以前からわかってたはずの未来。
ちなみにこれはそのまま映像ソフトにも言える。
家庭用VTRが発明され、番組は“その時間にいないと見られない”という生活から解放されて、いまやオンデマンド。映像ソフトも「いつでも見られる」状態に…
そうなると「見たい!」という感覚がだんだん失われていく。
悲しいけど人類とはそういう生き物。
人類はまだサブスクを使いこなせる程には進化していないのだ
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