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「今年」の納品(2020)

ページをめくるのは自分。そこに描かれているのも自分。背表紙には2020年の文字。


今年の出来事を思い出そうとしてすぐに思い浮かぶのは「コロナ」の3文字。何か希望を口にしたとしても、その二言目には必ずこいつが現れる。そんな一年だった。

普段通りの年の瀬ならば、今年も色々あったと周りの環境と自らに起きた変化に思いを馳せるところ。だかしかし、今年は何があったと聞かれて明確に答えられる自信が今の僕にはない。だからと言って何もなかったわけではない。だが、取り立ててここに書くことはない。


今年は何もなかった。

僕は見失っていた、自分自身を。

僕は深い深い海の底で光を失っていた。


視界を奪われた僕は、ただただ闇雲に砂地を荒らし、水面を目指すどころかサラサラと水に流れていく砂に潜り、自ら水との接触を断ち切った。


いわば、死んでいたも同然だった。


僕は、誰かと関わることが嫌になった。

僕の放った言葉たちは誰にも受け取られず誰の元にも届かず墓場を彷徨う霊の如く、何処に消えていく。

他人には何も伝わらない。人は自分に興味がありすぎる。だから、自分の存在理由のために他人に興味を持つ。お互いに興味を持たせあっている。それがお互いの存在を守る術だと知っているからだ。僕はそれを忌み嫌い、自らの中に他人を創った。僕は俺に興味を持ち、俺は僕に興味を持つ。そこには僕以外、俺以外誰も要らない。お互いがお互いを観測している。僕が存在する理由はそれだけで十分なんだ。

だけれど、最近僕は気づいたんだ。

僕は他人と関わるのは嫌だが、他人が嫌いなわけではない。他人と接する自分の態度や気持ち、言葉その全てが気に入らない。そんな気に入らない自分を他人に見せることが嫌で嫌でたまらないんだ。

僕はうまくいかない事柄の原因を外部ではなく内部すなわち自分に求める傾向がある。他人は変えられない。他人を責めても何も出てこない。代わりに責めるのは自分だ。

だから、そんな発想になるのかもしれない。だが、責めるべきものは自分。それは僕の中で俺の中で共通の認識であることに間違いはない。

今年の僕は弱かった。自分に自信が持てなかった。こんな自分を他人に見せるわけにはいかない。その原因は自分にある。他人から逃げてはダメだ。時には逃げることも必要なことではあるが、今の僕に逃げる権利はない。僕は立ち向かわなければならない。自らに課したそれを果たさねばならない。僕は何に追われているのか?ここに書いたところでそれは誰にも理解されない。それは、僕がこの世でただ1人の存在であって僕がオリジナルな存在だからに違いない。それは誰しも同じこと。違うことは同じこと。言葉遊びも大概にしろと言ったところ。

もう、めくるページもない。めくったページもそれほどない。いつもよりも厚さを感じないこの2020年も僕の中にしまわれていく。


来年の僕は少しでも変われるのだろうか?

早くこの砂地から脱出して水中を優雅に泳ぐマンタぐらいにはなれるだろうか?

それとも地を這うカレイにもなれないのだろうか?

その答えは誰も知らない。

でも、その答えを作るのは紛れもなく自分自身だ。

またね。

最後まで読んでいただきありがとうございます。 皆様から頂いたサポートは今後の自己研鑽のために使わせて頂きます。 僕の書いた文章で何か少しでも感じていただけたら、僕にとってこれほどうれしいことはありません。