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出せない手紙 僕の「後悔」と「罪」の話

前置き、あるいは「いいわけ」

こんにちは、Shadeと申します。
僕は、30代、既婚(子無し)、バイセクシャル、メンタル疾患持ちの男性です。
noteを始めて約2週間、他の方の書かれた記事を読んだり、自分の書いた記事にリアクションをいただいたりしたことでたくさんの勇気をもらい、先日、奥さんに自分がバイセクシャルであることをカミングアウトすることができました(リアクションやフォロー、コメントをしていただいた方々、本当に有難うございます!)。
ただ、自分のセクシャリティと真剣に向き合ったことで、少しずつ人生が前に進み出していることを実感している一方、僕の中でたった一つ、しこりのように感じられる過去のとある出来事があり、今回はそれについて書きたくて筆を取りました。
端的に言えば、これはごく私的な懺悔のようなものです。
正直なところ、書き出した今も、このことを本当に書いていいのか、自分に問いかけ続けています。
けれど、どうしても一旦頭の中で整理しないことには次に進めそうにないくらい、しこりが日々大きくなっていく一方なので、思い切って言葉にしてみることにしました。
もしもこれを読んで不快になられる方がいらっしゃったら申し訳ありません。ですが、noteでは嘘偽りのない自分を出すと(勝手ながら)決めたので、軽蔑されることも覚悟で書いてみたいと思います。
もしよろしければ、お付き合いいただけるとありがたいです。

どうして何も言えなかったんだろう?

実は、僕はこれまでの人生で一回だけ、男性の友人からカミングアウトを受けたことがあります。
あれはまだ二十代前半の頃、相手のいる話のため具体的な状況などの詳細はぼかしますが、彼は僕に、「自分は男性を恋愛対象とする同性愛者である」と打ち明けてくれました(ちなみに、友人として打ち明けられただけで、いわゆる告白をされたわけではありません)。
自分がカミングアウトをした今だからこそ分かることですが、それは本当に本当に、勇気の要る行動だったと思います。
その時の彼の気持ちを考える度、胸が締め付けられるように苦しくなります。もしそれが今であれば、僕もバイセクシャルであると、同じように打ち明けられたでしょう。
けれど、当時の僕は、自分の性的指向に関する認識について、まだひどく曖昧な状態でした。同性に惹かれる自分もいる一方、女性に恋をする自分もいる。そんな自分をどうしても認めることができない。そしてそのことを、他の誰かに話す選択肢、というか彼が示してくれたような勇気は、その時の自分にはありませんでした。
もちろん、彼のことを否定したり、距離を置いたりするようなことはしませんでした。しかし僕は、自分の中にも、同性に惹かれる「もう一人の自分」がいることを隠したまま、彼との友人関係を続けることにしたのです。
それは本当に、今から考えると、卑怯で、ずるくて、恥ずかしい選択だったと言い切れます。軽蔑されても仕方のない行動です(「LGBTQ+」当事者の方で、これを読んで気分を害された方がいらっしゃいましたら本当に申し訳ありません)。
何故あの時、たった一言、「その気持ち僕も分かるよ」と言えなかったのか。
結果として、彼とはしばらく友人関係を続けましたが、僕の結婚を機に次第に疎遠になりました。それでも、毎年お互いの誕生日にだけはメッセージを送り合っていたのですが、いつの間にかそれもなくなり、今では完全に音信不通の状態です。

僕が僕になるために

彼との関係が途絶えて数年が経ちましたが、僕は今、彼に再び連絡を取ってみようと思っています。
奥さんの次にカミングアウトをするべき相手は、誰よりもまず彼なのではないかと、毎日のように考えているのです(勝手なようですが、僕にとっては、それくらい大切な友人でした)。
相手の気持ちを考えれば、今更そんなことを言われても、迷惑かもしれない。
けれど、特に返信がなくても構わない。
それでも、あの頃伝えることができなかった今の自分の本当の気持ちを、せめて誠実に、誠意をもって伝えたい。
出せない手紙を何度も書き直しては捨てるように、僕は今、彼に伝えたいことを考えている最中です。どんな言葉でメッセージを送ったら、真摯な気持ちが伝わるだろうと考えながら。
これを読んで、否定的な感想をお持ちになる方もいらっしゃると思います。ただ「許し」が欲しいから、自分の気持ちを「楽」にしたいから、そんな行動を取るのではないかと。
もしかしたら、そういう部分もあるかもしれません。でも、決してそれだけではないのです。たとえそれを伝えたことで彼に軽蔑されようとも、あの時彼が感じていた苦しみや痛みを、少しでも同じように感じたい。そしてむしろ、「罰」を受けたいという気持ちが少なからずあります。
僕が本当の意味でより正直な人間になるためには、そこを通過することが必要なのではないかという、確かな直感があるのです。

時間をかけてようやく辿り着くもの

僕の敬愛するSF作家、テッド・チャンの小説の中に、こんな言葉が出てきます。

「してしまったことは変えられないが、すくなくとも、しなかったふりをすることはやめられる。」

『偽りのない事実、偽りのない気持ち』テッド・チャン(大森望訳)、
短編集『息吹』より、2019年、早川書房

僕がしたいことは、まさにこれです。
彼に不誠実な態度を取った過去を変えることはできないけれど、それを認めて、新たな行動に移すことはできる。
それがどんな結果に繋がるかは分からないですが、少なくとも「罪」を認めることは、今後の自分にとって絶対に必要なことです。
彼からカミングアウトを受けて10年以上が経ちますが、もしまだ少しでも扉が開く可能性があるなら、彼に謝罪をしたいのです。
許してもらえるかどうかは関係なく。
人にはそれぞれ、人生の転機になるタイミングというものがあると思います。そして、時間を経たからこそ、ようやく辿り着くことができる境地というのも、間違いなく存在すると思うのです。
奥さんへのカミングアウトを実行し、家族へのカミングアウトも考えている今、自分の中で、彼に「そのこと」を告げる準備がようやくできたと、僕は考えています。
ものすごく時間を要しましたが、そういえば僕は昔からスロー・スターターでした(完全に「いいわけ」ですが…)。30代後半になって、ようやく自分のセクシャリティに向き合う覚悟が生まれた今この時こそ、当時言えなかった言葉を、あらためて口に出す時なのだと感じている次第です。

おわりに

長くなってしまいましたが、これが僕の正直な懺悔です。
そして、ある意味ではもう一つの「カミングアウト」です。
重ねて言いますが、不快な気持ちになった方がいらっしゃったら、本当に申し訳ありません。
ほぼ書き終えた段階の今も、この記事を投稿するか否か、すごく悩ましいところなのですが、この痛みを感じることこそ、自分がもう一歩前に進むための糧になると信じて、公開したいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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