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「日本一人口の少ない、売れない鳥取県」で毎年130%成長「狭い商圏で勝つ方法」

日本で一番人口の少ない鳥取県。その地を基盤に、住宅販売で売上を伸ばしている会社がある。いったいどのような戦略を取ったのかと「人口の少ない場所」を逆手に取った戦略があった。その内容を追った。


鳥取県米子市に本社を置くアート建工は、米子市や島根県松江市などで注文住宅を中心に販売を行う工務店だ。
売上は右肩上がりで、令和元年の18億円から、令和2年で31億円、令和3年は40億円と、ウッドショックなど業界全体には逆風の中でも、毎年130%近い成長を続けている。
2019年着工件数鳥取県No.1を獲得するほか、全国優良ビルダー百選に選出されるなど、実績だけでなく評価も高めている企業だ。
同社の成長を支えているのは、注文住宅だけでなく、建売・分譲地販売に力を入れていることが挙げられる。
しかし、かつて「鳥取県は建売・分譲地が売れない」とされていた。同社もかつて建売・分譲地販売を開始するも、軌道に乗らず撤退した過去がある。
今回はなぜ成功したのか、そのポイントを聞いた。

成功の理由は「ニーズにマッチした商品をつくり、うまくいく方法をやり切る」

アート建工の代表取締役、魚谷宗司氏は語る。
「わが社が商圏とする鳥取県、島根県の山陰エリアは人口減少が進んでいることもあり、これまでの注文住宅の販売だけでは業績が頭打ちになってきていました。
そこで新たな事業を考えていて、目を付けたのがかつて撤退した建売・分譲地販売です。
かつてと現在で状況の変わった部分に、人の住む場所の変化が挙げられます。県全体で『山間部から市街地に人が住む場所を変える』流れが起きてきていました。高齢化や利便性などから、中心地へ移り住む人が増えてきていたのです。
そのような背景を考えて、イチから住む場所を決めて家を建てる注文住宅よりも、すでに建物が建っている建売・分譲地販売のニーズは高まっていると考えました」

アート建工代表取締役 魚谷宗司氏

そのようにして建売・分譲地販売に再び乗り出した同社だが、過去を踏まえて、進め方はリスクの少ない形を取った。多くの分譲地を購入してその上に家を建てるのではなく、すでに完成された宅地を小さな区画ごとに購入し、住宅を建設して販売していくようにしたのだ。そして販売は住宅が完成する前から開始した。
「準備はしましたが、かつての経験から、建売・分譲地がそう多く売れるとは思っていませんでした。ましてや完成する前から販売するなんて、都会の話だろうくらいに考えていたのですが、始めてみると、初年度、2年目は90%近くが完成前に販売しました」
完成前販売数の多さは、船井総合研究所の主催する住宅ビジネス研究会の会員企業の中でトップを記録した。日本一人口の少ない、建売・分譲地が売れないといわれていた場所で、高い成果を上げたのだ。
そのような成功の裏には、建売・分譲地を売るからこその発想の転換と、愚直とも言える取り組みの徹底があった。魚谷氏は語る。
「意識したのは『建売・分譲地は立地と価格が8割』ということです。わが社のように注文住宅をメインに販売してきた会社は、どうしても買い手の着く前から建てる家は『モデルハウス』のつもりでよいものをつくってしまいがちです。
しかし、そうなると価格が上がるか、価格を下げるためには立地の悪いところに建てることになり、建売・分譲地を求めるニーズと合わなくなってしまいます。
建売・分譲地のニーズは『個別の要望は少なく、価格は抑えた家を欲しい』なので、それに忠実に、『この場所に建てるならば価格はいくら』と決めて、建てる家はそこから逆算して考えていく、そのような商品設計の形を徹底しました。
ほかにも意識したのが「成功事例を素直にやりきる」ことです。同じようにほかの地域の建売・分譲地販売で成功している会社の例を聞き、同じくらいの商圏ならば、同じようにやればうまくいく可能性が高いほかの地域で成功している会社のやり方をそのまま真似したほうが、成功スピードも速く、確率も高くなる。自社のこだわりを一切捨てて、やるべきこと着実にこなしていこうと決めました」

ブランドを分けることで「高いものが欲しい顧客に適切に訴求」

建売・分譲地販売の成功は、アート建工のメイン事業である注文住宅にもプラスに作用した。建売・分譲地も注文住宅も「家を建てる」工程は同じなので、住宅着工件数が増えれば、使用する資材の数は増える。使用する量が増えれば、スケールメリットを活かして調達コストを抑えられる。
そのようにして、相乗効果を生んでいるのだ。
「鳥取県で建売・分譲地は売れない」という定説を覆した同社は、建売・分譲地販売を事業の柱の1つにすると同時に、自社の整備にも着手した。
自社内で注文住宅、建売・分譲地の両方を扱うと、顧客は心理的に安いものを買いたくなる。営業担当者も、安いほうが買ってもらいやすいからと、それに注力しがちになる。そうすると高く売り上げられるチャンスを逃してしまうことにもなりかねない。
その問題をクリアするべく、同社は自社のブランドを3つに分けた。一番の高価格帯商品が、完全自由設計の注文受託ブランド「アート建工」次がイージーオーダー、一部資材は規格や使用するメーカーが決まっているなどの条件がある「トコスホーム」その下が建売・分譲地販売の「マチリブ」だ。
そのようにブランドを分けることで、顧客は予算に合わせて買いたい家を選べるようになり、会社は顧客の要望に沿って上や下の価格帯商品を紹介できるようになった。

「建売・分譲地販売を主力商品にできたことのメリットは非常にたくさんありますね。注文住宅はお客様のご意向を聞きながら家を建て、完成したのちにようやく支払いがあります。
建売はすでに建物があるので、契約が決まったら早ければ明日にも売上が立つかもしれない。完成前に売れることもありますから、そうなるともっと売上のサイクルは早くなります。
また、建売・分譲地があることで、それ以外の注文住宅やイージーオーダーのよさも明確にできました。お客様にはフラットによいものを選んでいただける環境が整ったことで、お客様の『鳥取、島根で家を買う』ニーズを広範囲にカバーすることができるようになり『家を買いたければまずわが社に相談』の形が整備できたのです」

障がい者福祉事業で、住宅の新たな可能性を模索

アート建工は「地域での住宅の新たな可能性」を模索した。建物の事業を軸とした「街づくり」を目的とした障がい者福祉事業への進出だ。魚谷氏は語る。
「私の親戚に障がいのある人がいて、そのような人たちの働く場所や住む家に困っているという話を聞いていました。そこで、障がい者向けグループ住宅を建設、販売する『福祉を目的とした土地活用』をしたいと考えたのです。
障がい者向けに変更する部分はありますが、基本は住宅ですので、わが社の家を建てる技術を活かせる。それに社会的意義も高く、様々な人が暮らしやすい街づくりにも寄与できる。
県内の障がい者施設を視察したり、事業者にヒアリングするなどリサーチを進めた結果、自社でも十分に参入できる見込みが立ったので『ラシクスル』というそのための新しい会社を設立し、参入を決めました。
とはいえ、障害者福祉は狭い業界で、新参者がいきなり入るのはハードルが高い。障がい者向け住宅の受注をするなど実績をつくることが必要でしたが、それが大変と思ったので『我々のほうで障がい者向け住宅を建てますから、事業者の皆さんはそこに運営で入ってもらえませんか』という形で開始しました」
当時、鳥取県の障がい者向け住宅は中古住宅を改修していたりと、質が高いとは言えないものが多く、収益性も低く、経営で苦戦しているところがたくさんあった。そのため、新築の建物で参入し、住宅会社のノウハウを用いて収益性も確保するラシクスルの姿勢は運営業者にも好意的に受け止められ、事業は軌道に乗り始めた。
「障がい者福祉の業界は横の繋がりが非常に強いので、実績ができたあとの横展開は比較的容易でした」
現在「山陰の福祉事業者のほとんどはラシクスルの知り合い」と言えるほど、同社は強固な地位を築いている。

小さな商圏だからこそ、大手にできない勝ち方がある

鳥取・島根で新たな店舗を出店し、障がい者向け住宅事業に力を入れ、本格的に街づくりにもするなど、成長を続けるアート建工。実は小さな商圏の山陰だからこその戦い方があるという。
「山陰は『陸の孤島』と呼ばれていまして、もちろんほかの地域と陸地で繋がっていますが、新幹線も通っておらず、交通や物流が分断されています。
しかし実はそこが地場の会社にとってはやりやすいところで、大手がやりにくい点と言えます。小さな商圏である鳥取、島根に手間をかけて人やモノを大量に送るのはコストが見合わない。
そのように、地場の会社が有利な仕組みになっているのです」(魚谷氏)

小さい規模の地域だからこその強さがある一方で、苦労するのは人材の確保だ。
「人材がいない一方で、仕事がないので都市に出ている人もたくさんいます。私の同級生の多くもそうで、ただし東京で働いている人は『地元に帰りたい』と言うのです。しかし、現在東京でもらっている収入に見合う仕事が地元にはない、いい仕事がないから帰れないという現実があります。
我々は賃金水準を東京と同じにしたいと考えています。そうすれば少なくとも地元に帰りたいと思っている人たちは帰れて、雇いたい会社は採用できるようになる。
将来的には、人口が増えて地価が上がれば街はよくなると考えています。どうやって地価を上げるかというと、人の流れをつくって、街全体の流れを起こしていく必要があります。
例えば半径100m、半径200m、ここのエリアだけ人の流れを集中的につくっていけば、そのエリアだけ地価を上げる、人の流れを起こしていくことは可能だと思っています。街がよくなればお金も集まるようになり、雇用も生まれますから、外に仕事を求めていった人も戻ってこられる、そのようなことも可能になると考えています。
街づくりの一番小さなユニットは、家族であり住宅です。住宅に関しても障がい者福祉事業などバリエーションを増やして、次は非住宅に進出しました。今年、コワーキングオフィスを立ち上げまして、今後はユースホステル、ホテルや飲食店をつくり街を活性化しようと考えています。

アート建工が立ち上げたコワーキングスペース

そして、その動きと住宅が連動することが重要です。
私たち住宅屋は、お客様を一番よくわかっている職種だと思っています。購入までに1年近くかかり、さらに30年や40年といったスパンで顧客との関連性がある商売はほかにありません。働く人も、お客様とたくさんの時間を過ごしているので、割とお客様のことをよく知っています。知っている人同士をくっつけることができるので、そのコミュニティをつくれるのは住宅会社の強みだと思うのです。
私たちの事業を通じて、元気な街をつくっていく。それを目指しています」
日本一人の少ない県の会社の、挑戦は続く。

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