珈琲の大霊師135
テントに到着すると、いつもの朝の常連達が何やら熱心に話し合っているのが見えた。
「よう、おはようさん。何話してるんだ?」
「あ、ジョージさん!見て見て!この人凄いんだよ!」
例の娼婦が目を輝かせながらジョージを呼んでいた。それなのに、いつものように駆け寄っては来ない。つまり、心理的にそれだけ関心の高いものがそこにはあるのだ。
ジョージの胸が高鳴る。
(来たか!?)
「モカナ、準備は後だ。来い!」
「えっ?は、ははい」
ジョージに手を引かれて、焚き火を囲む一団に駆け寄る。見ると、いつもは話題から1人距離を置いている男が、両手一杯に紙の束を携えていた。
ジョージは、待ち人がやっと現れた事を直感した。
その男は、モカナが初日から気にしていた男だった。ぼさぼさの髪の毛に、やせた体の男。それが、今日は髭を剃り、目に精力を溢れさせ、眼鏡をかけて身綺麗な格好をしていた。
「おはよう……ございます。僕の、今の僕の精一杯です。どうか、見て下さい」
それは、凄まじい数の設計図と、デッサンの山だった。ジョージの胸がうち震えた。
ジョージは、ずっとこれを待っていたのだ。
震える手で一番上の紙を手に取る。そこに描いてある光景を見た瞬間、体に珈琲のアロマが風になって吹き抜けたような気がした。
街中の、通りに面した木製の建築物。カウンター、屋内テーブル、テラスと3種類の座席がある簡易的なバーに似た店に、人々がそれぞれ好きな格好で珈琲と菓子を楽しんでいる様が描かれている。
カウンター席の女は珈琲を淹れる店長に親しげに話し掛け、屋内のテーブルには互いの菓子を互いの口に突っ込んで笑う男達や、幸せそうに頬を押さえる若い娘の姿が描かれ、通りに面したテラスには背もたれに角度のついた椅子に深々と腰掛け、足を組み、目を瞑って珈琲の香りに想いを馳せている紳士や、通りの知り合いに手を振って呼んでいる二人組の女の姿などが描かれていた。
それはまさに、今このテントの周りで繰り広げられる日常の雰囲気をそのまま再現したかのようだ。
男の愛情が伝わってくる。男が、この珈琲を取り囲む一帯の空気をこよなく愛しているのが良く分かった。
ぶわっと、全身に鳥肌が立ち、涙腺が緩むのを感じながら、ジョージは次の一枚を捲る。
今度は、行商人達が行き交う街道筋に面した店だ。基本はさっきと同じように3種の座席があって、旅人達が一息入れたり、談笑したりしていた。
だが、ジョージが注目したのは外の丸太に腰掛けて、目を閉じながら竹の容器を口元に傾けている男の絵だ。
「……おいおい、まさか、こいつは……」
「っ……気づかれ、ましたか?この、人は、珈琲を、簡単な容器に入れて、道中楽しんでいるんです」
とんでもない当たりを引いた。と、ジョージは確信していた。
普遍的で、アレンジの余地があるシンプルかつユニークな店の構成だけでなく、珈琲をどう展開していくかまで考えられている。
もちろん、この男は建築家であって商売人ではない。それでも、簡易容器が竹などと素人なりに一生懸命考えた節があった。
これは、夢だ。と、ジョージは思った。
これは、ただの仕事でできるものではないと。この光景が、男の夢なのだ。そうでなければ、そこまで拘る必要が無い。男は、この光景にありったけの夢を詰め込んだのだ。
沢山の環境、様々な想定に即したバリエーションのデッサン画があった。どんな国でも展開できるように、こだわられている。
「うぉぉぉ……」
感動で涙が止まらない。間違いない。この男は同志だ。珈琲に魂を奪われた、本物の珈琲馬鹿だ。
「僕の、人生で、最高傑作だと、思います」
男は、暖かく笑った。相変わらず口は回らず、たどたどしいしゃべり方だったが。
「ジョ、ジョージさん!ボクも、ボクも見せて下さい!」
身長が足りなくて、モカナはぴょんぴょん跳ねて一生懸命ジョージが見ているデッサンを見ようとしていた。
「モカナ、あのな。泣くな?」
「えっ?」
そう言って、最初に見たデッサンをモカナに渡す。
ワクワクしながらそれを受け取って広げたモカナの顔が固まる。
目だけが、ギュルギュルと目まぐるしく動いていた。
そして、
氾濫した川のように、モカナの涙腺は決壊した。
大粒の涙が紙を濡らす前に、ジョージは素早く手近な布でモカナの顔を覆ったのだった。
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