珈琲の大霊師141
翌日、繁華街の裏通りの、大きくて古びた建物の前にジョージは立っていた。
辺りにはガラの悪い連中がたむろして、入り口にはゴウと似たり寄ったりの体格の男が二人、脇を固めていた。
ジョージは何でも無いことのように、入り口を通ろうとしたが、その二人はジョージの前をサッと塞いだ。
「ジャン=バルクに用がある。どけ」
ジョージは、敢えて高圧的に言った。
「あぁん?誰だてめえ。……見ねえ顔だな。親分を呼び捨てするたあ良い度胸じゃねえか。名を名乗りな」
「ジョージ=アレクセントだが?」
門番は、しかめ面をした後懐から紙を取り出して眺め始めた。そこには、数名の名前が書いてあった。どうやら、照合しているようだった。
「聞いてないな。出直しな兄さん」
「仕事に忠実なのは良いことだな。だが、少しは頭も使わないと上には行けねえぞ?まあ、筋肉ダルマに脳ミソがあるかは知らないがな」
「何?……てめえ、買ったぜ」
門番の片割れが、拳を握った。その拳を気にすることなく、ジョージは呼びかける。
「ジャーン!!降りてこいこのノロマ!!」
「っ!!てめえ!」
門番が振り上げた拳は、しかし降り下ろされる事は無かった。その大きな拳より、更に一回り大きな手が、その腕を捻り上げたからだ。
「ゼェゼェ……あ、兄貴、人が悪いですぜ」
門番より巨躯の男が、息を荒げて降りてきて、門番の腕を掴んでいた。
「お、親分?」
突然出てきた上役に、門番は狼狽した。その横っ面に、岩のような拳が容赦なく叩き込まれた。
「てめえ、誰に手ぇ上げてやがる!!家族ごと焼き殺されてえのか!?ジョージの兄貴に傷1つ負わせてみやがれ。てめえはなぶり殺し、妹はさんざん使い捨てた後に奴隷市に並べられちまうぞ!」
「ジャンは相変わらず面倒見が良いなあ。まぁ、俺はもう一線引いた身なんだ。そのへんにしといてやれ。あと、他のファミリーには言うなよ?あいつら、俺がいいって言っても落とし前つけそうだからな」
「へいっ!!ありがとうございます!おい、てめえも礼を言わねえか!」
「良いって良いって。ま、突然来た俺も悪かったが、ジャン、てめえにも責任があるだろうが?なぁ?要注意人物のリストっくらい、頭に叩き込ませろって、教えたよなぁ?」
「へ、へい、お、俺が悪かったっす!!」
大男が、二まわりも小さいジョージの一言一言に怯える。
そう、ここはかつてジョージが頭領として出入りしていた場所。
マルクの暗部、その末端だった。
「ま、からかうのはこの位にしてだ。聞きたい事がある。今上がって大丈夫か?」
「へ、へい!!どうぞこちらへ!」
「お前、相変わらず図体の割に腰低いなあ。ま、それがお前の良さだけどな」
大男にヘコヘコされながら案内される図は、妙に滑稽だった。
大男のジャンに案内された部屋は、かつてジョージがマルクの闇を牛耳っていた頃のままになっていた。
必要以上に大きくて豪華なソファー。壁にはマルク全体の地図が貼り付けられ、沢山のメモがピンで止めてある。全て過去のジョージが張った物だ。
その一つ一つが、マルクの裏の顔だ。
部屋は軽くパーティーが開ける程の大きさだ。かつて、ここには常に20人近くの男達が詰めていた。
街の情報を集め、ジョージに報告し、ジョージの決定を実行する為に。
「兄貴、紅茶でいいですかい?」
ジャンが、隣の簡易的な厨房から声をかけた。ジョージは、懐かしそうに部屋を見回しながら、それに答える。
「あぁ。砂糖はいらないぞ」
珈琲と言いたい所だが、下手に無理を言うと調べてモカナを拐ってきそうだからやめておいた。
「へい!」
紅茶は、茶葉を発酵させた物を煎じて飲む、この世界の最も主流な嗜好品だ。産地は広く、歴史も長い。
だが、それも珈琲の登場によって大きく勢力が変わる。ジョージはそう確信していた。
「そういや兄貴、ご婚約おめでとうごぜえやす!」
ジャンが、紅茶の入ったカップを部屋中央の大きな円卓に置く。かつて、マルクの地図を広げて、日夜謀略を語り明かした円卓だ。
若干うんざりした顔で、ジョージはカップに口をつけた。
「茶葉、気に入りませんでしたかい?」
「そうじゃない。その婚約って話がな」
「あぁ、仲間内じゃその話題でもちきりですぜ!さすが俺たちの兄貴は器が違う!衛兵なんかで終わるはずがなかったって、大喜びで毎晩酒場で大騒ぎでさあ。兄貴がボスをやめてから、いくつか派閥ができちまいましてね?コーディーなんか、兄貴を腰抜けとか言い出しやがって。ほら、あいつ人一倍兄貴に惚れ混んでやがったでしょ。裏切られたって言ってやした。それが、この間目キラッキラさせながら押し掛けてきやがって。『聞いたか!?兄貴が王様になるんだってよ!!さっすが兄貴だよな!マルクの裏と、サラクの二つの王様だ!!』って、泣きながら喜んでましたぜ。俺も、あいつの気持ち良く分かるから、貰い泣きしちまいましたよ」
(……やべえ。とても、ただの噂だとか言えねえ空気だ)
興奮ぎみに話すジャンに、ジョージは平静を装うのがやっとだった。
「しかも、お姫様は大層別嬪だって聞きましたぜ?どうやって口説いたんですかい?独り者の俺にも教えて下さいよ」
「いや、口説いてねえんだけどな?」
ジョージはボソッと呟いた。
「マジですかい!?じゃあ、あっちがジョージ兄貴に惚れ込んじまったってわけで!さすが兄貴!!天然たらしは健在ですね!」
「おい、ちょっと待て。なんだその天然たらしってのは」
「え?」
「えっ?」
(おい、なんだよその今更何を言ってるんだ?って顔はよぉ)
本気で誰かに惚れられた事なんて、一度も無い。
と、ジョージは思っていた。
裏社会の時代は、裏の女達のリップサービスとしか思っていなかったし、当時のジョージとしては楽しく気持ち良くなれれば良かったから考えた事も無かったのだ。
そのまま、欠片も女気の無い衛兵という職業に就いたジョージに声をかけるのは、持ち込み禁止の品物をジョージに取り上げられた売人くらいで、衛兵になりたての頃は特に裏社会の人間に近付くなと命令しておいた甲斐もあって、ルナ以外の女との接触は無いに等しかった。
中には、その禁を破ってジョージに会いに来た女もいたが、ジョージはどうせ裏社会への影響力を当てにして近付いて来ているんだろうと相手にしていなかった。
そういう扱いをしたら、一度涙目でひっぱたかれた事もあった。
(あ、もしかして、あれ、マジだったのか?)
今更気づくジョージだった。
短くまとめると、ジョージはまともな恋愛経験が無かったのである。
「まさか、兄貴全然気付いてなかったんですかい?飲み屋のシルクとか、売れっ子(高級娼婦)のマリアンとか」
「え?……その二人にゃ、手ぇ出さなかったぞ?」
飲み屋のシルクは、悪どい奴隷商人を捕まえた時に助けて面倒を見た女の子で、飲み屋の仕事を斡旋して何度か様子を見に行った。
高級娼婦のマリアンは、当時付き合っていた男に、借金を残して逃げられ、身も心もぼろぼろになって働いていた所を、借金回収の見回りに行った際に助けた。具体的には、マリアンから借金を回収しようとした部下をボコボコにして、借金を肩替わりしてやった。その後、逃げた男を捕まえて炭鉱送りにして金は取り戻した。時々客として様子を見に行った。当然、店ではやることはやった。随分と熱の籠った愛撫をするな、さすが売れっ子になるだけはあるなと当時感心した覚えがあった。
「兄貴……人生のピンチに、見返りも求めずに助けてくれる男がいて、しかも目をかけてくれてたりしたら、惚れますぜ。そりゃ」
「………そういうもんなのか?」
ジョージは真顔で訪ねた。助けたことはあるが、助けられた事は無い為、ジョージには本気で分からなかった。
「……兄貴って、時々ガキみたいな事言いますよね」
「……なあ、マリアンとシルクの事って」
「他の兄弟も知ってますぜ?ちなみに、その二人だけじゃありやせん」
「………そうなのかー」
実感はさっぱり湧かなかったが、悪いことをしたんだろうな、と、ジョージは漠然と思った。
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