珈琲の大霊師291
「ああー、スッキリしました!一生分の勇気を出して、一生分の嫌味を言えた気がします!あの大役を任せて下さって、ありがとうございました」
ニカが晴れ晴れとした顔で、深々と頭を下げる。ジョージは苦笑いしつつ、隣で憔悴しているコートに目をやった。
「・・・気が気じゃなかっただろ。お疲れさん」
「妹の知らない一面を知ったような気がします・・・。しかし、思った以上に上手く行きましたね。順調すぎるくらいです」
「外の世界じゃ通じないだろうがな。相手の常識を覆してこそ攻めに回れるってもんだ。さて、それじゃ最後の打ち合わせといくか。行くぞ、モカナ、ルビー」
と、ジョージは2人に声をかけ、残っていた珈琲を一気にあおる。頭がスーッと覚醒するような気がした。
「ん・・・・」
硬い地面に寝ていたはずが、妙にふんわりとした感触が頭の下にあって、ヒューイは寝ぼけ眼を擦りながら寝返りをうつ。暗くて、そこに何があるのか分からなかったが、良い匂いがした。
「良く、寝てましたね」
と、頭の下にいた枕が揺れた。
「・・・・・・・・・!?」
驚いて飛び起きると、その動きに驚いたようで、声の主が少し身を震わせた。
「・・・驚かせてしまいましたか?ごめんなさい」
「えっ・・・・あ、えっと・・・いや・・・」
ヒューイは、顔が真っ赤になっていく自覚があった。
「私はやることがないので・・・、地面は固そうでしたし・・・。余計なことでしたか?」
暗闇の中でも、ヒューイの位置を違えずに捉えるその声は、カルディのものだった。
夜、かさっかさっと枯葉を踏む音が静寂な森に小さな波紋を広げた。
足音の主は、さして気をつけるでもなく歩いている。どこか頼り無い足取りで。しかし、その意思を反映してか力強く。
そして、しばらく歩いて行き着いた先にそれはあった。一面に広がる、珈琲の木々が。
「・・・・・・ああ、ここが・・・ボクの珈琲畑」
モカナは嬉しそうに呟き、深呼吸する。記憶が封じられた今でも分かる、馴染んだ空気。そう、自分はここで長い時間を過ごしてきたのだと自覚する。
「・・・中粒。実はしっかりしてる。うん・・・でも・・・手入れがされてない・・・よね」
1つ1つの木の枝を確認して、モカナが顔を曇らせる。かなり長期に渡って、手入れされていないかのような木々だった。それでも、ある時期まではしっかり手入れされていたと見え、まだ枯れずにあるのだ。
「ボクの・・・家族・・・」
洞窟にいた、近所だったという人の話によれば、モカナには家族がいるはずだった。この里で珈琲を一手に引き受ける家族だ。
彼らはどこにいるのか?いるなら、何故手入れをしないのか?
モカナは、暗がりの中を進む。
その後方、足跡を立てずにそれを追う影があった。
珈琲畑の中を、精霊の感覚だけで進む。月の出ていない暗がりは、純粋な漆黒だ。
「どうして話しかけねえんだ?」
ネスレが肩で囁く。耳元がくすぐったいからやめて欲しい。
「俺に着いて来て欲しけりゃ言うだろ。言わなかったってこたぁ、あいつなりに自分で消化したいもんがあるってこった。・・・ドロシーがついてりゃ、危ない事はまず無いだろうが、奴らがこの辺りに居ない保証は無いからな。俺が保険だ」
「・・・何でお前、そこまでモカナに入れ込んでんだ?」
「あ?」
突然の質問に、面食らう。入れ込んでる?俺が?
・・・・・・入れ込んでるのか?
「あのちびっこいのの為に、どれだけの手間を割いてきたか考えろよ。入れ込んでる以外のなんだってんだ?」
「・・・・・・いやまあ、珈琲の為だろ」
モカナに力を貸すのは、もっと美味い珈琲を飲む為だ。あいつに、俺に淹れさせる為だ。その為なら、これまでの手間なんて大した事は無いと思っていた。
「それだけかぁ?」
「考えた事も無かったなぁ。珈琲についちゃ、俺はあいつの一番弟子みたいなもんだしな。弟子が師匠を盛り立てるのは当たり前だろ?あいつの珈琲は世界に通ずる。それをちゃんと価値のある場に出すのが俺の役割だろ」
「ふぅん・・・?それそのものが、入れ込んでる奴の思考だと思うけどなぁ?」
「・・・まあ、珈琲には入れ込んでるぞ。・・・お」
極めて小さな声で話しながら追うと、モカナが何か建物の前で止まった。小さな木造の家だ。無骨な、丸太を組んだような形をしていると、土の精霊の感覚が教えてくれていた。
ギィ・・・と木の扉が鳴く。
ことりと、モカナが踏み出した足が床に降りる。
壁には、沢山の麻袋。どれも歪な形をしていて、長年何度も使っている事が読み取れた。
モカナの記憶の端にあった、珈琲を収穫する為の道具が全部揃っている。ここは確かにモカナの家。
「・・・どうして・・・誰もいないの・・・?」
踏み出した床は、ホコリだらけだった。ものの数年でなったものではない。少なくとも10年近く。つまり、モカナがこの里を出て直ぐということになる。
家族はここにいない。
その事実だけが、この夜の収穫だった。
と思ったが、珈琲に関わる物を全て持ち帰った辺り、モカナもちゃっかりと逞しい奴だと認識を改めた。
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